第5話

「お邪魔致します」


スカートの裾をちょこんと摘まんで、案内された部屋へ入ります。


「まあ、素敵。下のお部屋にも素敵な家具はあったけど、こちらにあるものは更に極上品のようですわね。あら?でもこのお部屋、窓が無いんですのね。昼間なのにまるで夜みたいに薄暗いわ」


「太陽が苦手なのでね。こちらに座りたまえ」


ノー天気に突撃お宅訪問を始める小夜子を椅子に座らせ、男性もテーブルを挟み、向かいの椅子に腰掛けます。


「娘……突然だが、君はバンパイアの存在を信じるかね?」


「信じません」


「間髪入れずに答えるのではない」


「信じませんわ。だってそんなもの空想、全くのフィクションですもの。そりゃあ私はバンパイア好きですわよ?だからこうやって、現にバンパイアの伝承が残るこの土地まで、わざわざ観光にやって来たのです。だからと言って、存在を肯定する訳ではありません。私が好きなのはあくまで虚妄。真しやかでありながら実態が掴めない、まやかしの存在です。嘘か事実か、それがはっきりと判ってしまったら、面白くないでしょう?私が興味を惹かれるのは、その昔あたかもバンパイアと言う架空の生物が居たように語り継がれるフィクションの世界だけ。それが本当に居るかなんて言われたら、そこははっきりと居ないと言いきれます。だってツチノコすら捕まっていないご時世ですわよ?もし本当にバンパイアが居るのであれば、今すぐ生け捕りにして学会へ突き出してさし上げます」


「君はどうしてそう聞きもしない事を次から次へと話し続けるのかね?質問にだけ答えればいいのだ」


「あっごめんなさい。また私の悪い癖が出てしまいました。一度喋り始めるとなかなかどうして止まらないのです。止めようとは思うのですが、頭より先に口が動いてしまって、ついあらぬ事まで余計に喋ってしまいますのよね。あ、ほら今もまた……」


「まあ良い」


「御免遊ばせ。念の為一つ言わせて頂きます。私がこの城まで足を運んだのは、単純に此処を見たかったからです。このお城、昔バンパイアが居たという伝承が残っているのでしょう?存在を肯定する訳ではありませんが、バンパイア伝説自体にはロマンを感じております。でなければ、わざわざこんなところまで観光に来ませんもの」


その時、ふと男性の表情が厳しくなりました。唇をぎゅっと噛み締め、鋭い眼差しで小夜子を見つめます。


「娘……知っていたのか」


「何をです?」


「いかんせん間抜けな顔をしているから油断していた。娘、何処でその噂を聞き付けた?」


「とりあえず間抜けな顔と言うのは取り消して頂けませんこと?そうして頂かなければ質問に答える事は出来ません」


「食えない娘だ。まあいい。間抜け顔は取り消すとして、その噂は何処で聞き付けた?街の人間が騒いでいたのか?」


「噂ってバンパイアの事ですか?」


「他に何があるというのだ。いいから答えたまえ」


「何処で、と聞かれると返答に困ります。他人から聞き付けたのではなく、自ら情報収集したものですから。バンパイアの噂は昔からこの地に伝わるものらしいですから、誰が、と言う特定の人物ではなく、自然と人々へ伝承されていった噂話と言った方がいいのではないかしら?貴方意外と情報に疎いのね。ルーマニアの古城、バンパイア伝説なんて、充分世界に知れ渡っている噂ですわよ?」


男性の表情が更に険しくなったように感じます。どこか疑いのあるような目つきでしたが、じっと小夜子を見詰め再び口を開きます。


「どうやら君は異国の者でありながらそれなりの知識は身に着けているようだ。中には居るのだよ。この辺りの人間であっても、地域に根付く伝承や噂を頑なに受け入れない愚鈍な者が。その点君は賢いようだ。先刻君はバンパイアなど信じないと言ったが、今こうしてバンパイアの城を訪れている。つまり信じないと言いながらも、その存在を根本から否定はしていないという事だ」


「……おっしゃる事がよく判りません」


「ふむ。どうやら君のお喋りにつられて私も饒舌になってしまったようだ。娘。心して聞くがいい。もし君の目の前にバンパイアが居ると言ったら、君は信じるかね?」


うわー。何この人。急に変な事言い出しやがった。小夜子の脳裏に、そんな言葉がよぎります。


「おじ様、急に言い出すと思えばなんて御冗談です?あ、もしかしてあれですか?昨日私が、まるでバンパイアみたいなんて言ったから、それを根に持って……」


「冗談ではない。私はバンパイア。この城の主だ」


「……なかなか愉快な御冗談だと思いますわ」


「娘、まだ信じぬというのか」


「さっきから申し上げているでしょう。私そういった類の話は一切信じませんの。幽霊も宇宙人もUMAも、フィクションはあくまでもフィクションですのよ。ま、御冗談としてはなかなかお上手だと思いますけど」


「本当に私がバンパイアだとは信じないのかね?」


「ええ、信じません」


「……では私を誰だと思っている?」


「強いて言うなら、ちょっと危ないオッサンです」


「……」


(ああもしかして!)


小夜子はハッと何かを思いつきます。


この人って、もしかするときっと、このお城でパフォーマンスをするバンパイア役の役者さんなんじゃないでしょうか。

ほら、日本にも居るじゃないですか。古城を案内する為に戦国武将に扮したイケメン達。この人もきっと、観光客に向けたパフォーマンスをする、係員に違いありません。


だとすると、失礼な事をしてしまいました。きっと昨日入り込んだ地下室は、スタッフオンリーの楽屋か何かで、そこでこのおじ様が仕込みをしていたところに、運悪く入り込んでしまったのです。


きっとあの後、このおじ様は「ふははは、ようこそ諸君、我が城へ」とか言いながら、観光客の前に颯爽と現れてパフォーマンスをする予定だったのです。

それなのに勝手に楽屋へ入って登場前の姿を目撃してしまっては、それは余りにも間抜けですわよね。

だからきっと、昨日はあんなに怒った様子だったのでしょう。


そんな事を考え出すと、急に小夜子は申し訳ない気持ちになってしまいました。自分の行動は営業妨害。

某夢と魔法の王国で、ネズミーさんの首を剥ぎ取ってしまったようなものですもの。

この哀れなおじ様の為に何が出来ましょうか。今の小夜子に出来る事は、せめて彼の発言を肯定し、とことんこのバンパイアコントに付き合ってさし上げるくらいです。


流石の小夜子も、ここで逆らう程意地が悪くありません。コホン、と小さく咳払いをし、うやうやしくお辞儀をしながらこう語ります。


「これはこれは、バンパイア様。昨日は大変失礼致しました。どうか数々のご無礼をお許しくださいまし。でも私、感激していますのよ。だってこうして、本物のバンパイア様にお会いできたのですもの」


いきなり白々しく演技する小夜子に、男性は少々当惑しています。しかし、これだけいじらしい言葉を言われると、悪い気はしないようです。先刻までの険しい表情が少し緩み、やや穏やかな口調になりました。


「娘、どうしたのだ?急に。ご機嫌取りのつもりかね?」


ご機嫌取り、と言いながらも、随分と上機嫌のようです。この男、案外単純ですね。


「とんでもないで御座います。私本当にお会いできて光栄ですのよ。先程のご無礼は許してくださいましね。だって、まさか本当に、本物のバンパイア様にお会いできるなんて、信じられなかったのですもの」


本当は今でも信じていませんが、これくらいの嘘で付き合ってあげた方がかえって面白くなりそうです。


「ふん、小生意気な娘かと思っていたが、なかなか可愛い事を言うではないか」


ご満悦気味の男性はすっかり調子のいい小夜子に騙されています。この際どこまでこの男性がバンパイアコントを続けてくれるか、騙されたつもりで付き合ってさし上げましょう。

そう思った小夜子は、ちょっと意地悪そうにクスッと口角を上げました。


「それでバンパイア様、このお城はバンパイア様のお城なんですよね?素晴らしいですわあ。これ程ご立派なお城をご所有なさっているなんて。バンパイア様ってお金持ちなんですね」


「娘、勘違いするのではない。貨幣と言うのは所詮人間が勝手に決めた都合の良い道具にしか過ぎん。バンパイアたる者そんな物を使わずとも生活に難はないのだ」


「まあ……。お金がないのならこのお城やお城にある高そうな家具などはどのように手に入れたのです?」(これでどうだ)


「この城はかつて変わり者の貴族が人目を避ける為人里離れたこの地に建てたものだ。その後持ち主が居なくなり空き家となったところをこの私が拝借した」


「不法侵入じゃないですか」


「人間の物差しで考えるのではない馬鹿者。それしきの事、このバンパイアが気にする訳ないであろう」


(そこは気にしろよ……)

「流石はバンパイア様、人間ごときのちっぽけな感覚と違って、大変寛大なお心がけですわあ」


どうにかボロを出すまで男性に突っ込み続けたいのですが、予想以上に設定が出来上がっているのか、なかなかどうして会話が途切れません。


若干しゃくに触りましたが、これ程までに良く出来た嘘……というか演技を続ける男性との会話は妙に小気味良く、ついつい意地悪な質問をぶつけては男性との会話を続けたくなります。そんな妙な感覚に支配されてきました。


恐らくこの男性は、どんなにこちらから意地悪な質問を繰り返しても、サラッと小洒落た返答をしてくれるに違いありません。

例えそれが嘘であろうと、下手に取り乱したりせず理路整然とバンパイア気取りを続けてくれる男性との会話は、愉快で心地良いものです。


思えば小夜子がこんなに男性と会話をするのは、久方ぶりかもしれません。というより、初めてでしょうか。だって日本の男の子って、恐ろしく会話が下手糞でしょう?

彼らは女の子と話す時、年齢と出身地、そしておっぱいにしか興味を示しません。レディを楽しませる能力が乏しいのです。


そんな彼らに比べれば、どんなにこちらがくだらない会話をふっかけようと生真面目に返答してくださるこの男性は、なんとまあジェントルマンなのでしょう。

何となく会話の心地良さに気を緩めた小夜子は、思わずふふっと声を漏らしコロコロと笑いました。


「娘、何をニタニタとしている?」


「なんでも御座いません。ただ貴方との会話が楽しくて……あ、申し訳御座いません。私大事な事を忘れていましたわ。私達自己紹介が出来ていません。折角このようにお話が出来ましたのに、お互いを知らないままでは不便ですわ」


「知る必要などない。娘、君は私がわざわざ君をこの部屋まで招いた理由を理解していないようだな?」


「おじ様と楽しくお喋りする為です」


「本来此処へ足を踏み入れる者は私が自ら呼び寄せた女だけだ」


「女性限定ってところがミソですわね」


「人間は我々バンパイア一族に比べ、遥かに潜在能力が低い生き物だ。しかし微量ながらも特異な力はある。危険を恐れる能力だ。此処は深い森に囲まれた城。人間は本能でこの場所を忌み嫌い、決して近寄らないよう避けていた筈だ。火を恐れる獣のように」


確かに人間は本能的に、というか潜在の危険回避能力で特定の場所を避ける場合がありますよね。富士山に登山する人は居ても、富士の樹海でわざわざピクニックする人なんて居ませんもの。


このお城は大変鬱蒼とした森に囲まれていますし、道は歩きにくい獣道。ましてやガイドブックで大々的に紹介されているメジャースポットでもない、いわば穴場スポットです。


余程興味ある物好き(小夜子もそうですが)でなければ、そうそう立ち入るような場所ではないでしょう。

マイナーなバンパイア伝説が眠る森の奥の古城なんて、興味のない人間は二時間もかけてわざわざ来たりしませんよね。


「にも拘らず君は二度も我が城に足を踏み入れた。私の忠告も聞かずに、だ。君は少々私と関わり過ぎてしまったようだ。このまま君を帰す訳にはいかない」


男性はゆっくりと部屋の隅に移動しました。そこには埃を被った大きな布のような物が置いてあります。


「過剰な好奇心は命をも落とすぞ。愚かな娘よ、しかと見るがいい」


男性が布を剥ぎ取ります。そこには大きな鏡がありました。全身が写る程の、立派な姿見です。


「ああっ!」


小夜子は息を飲みました。だって、鏡の前に立っている男性の姿が、鏡に映っていないのですもの。


「嘘でしょ……」


呆然としてしきりに鏡を見詰めます。


「嘘です!これは何かのトリックです!仕掛けがあるのでしょう?じゃなきゃ鏡に映らないなんてありえません!」


「嘘ではない。私はバンパイア。この鏡に我が姿が映る事はありえん」


動揺しつつも疑り深い小夜子は、まだこの状況を信じようとはしていないようです。


「う、嘘よ嘘。トリックだわ。もしも貴方が本物のバンパイアでしたら、こんな小細工に頼らず明確な事実を証明してくださいな。例えばそう……。姿を消して見せるとか。できますでしょう?バンパイアなら」


「いちいち注文の多い小娘だ。どうも君には素直に信じる心が足りていないらしい。しかし、そこまで言われては仕方あるまい」


仕方ないと言いつつも、この男やけにノリノリです。


男性がすっと姿勢を正します。その瞬間、まるで蜃気楼にでも包まれたかのように、男性の体はユラユラと薄くなり始めたのです。


それは本当に一瞬の出来事でした。瞬きをする間もなく、小夜子の目の前にいた男性は煙のように消えてしまったのです。


これには流石の小夜子も、驚きを隠せません。そりゃあそうですよね。自分の目の前に居た人物が、イリュージョンの箱も無しに、忽然と消えてしまったのですから。


先程まで男性が立っていた場所へ行ってみても、影も形も、気配すら残っていません。今この部屋に居るのは、小夜子ただ一人。本当に、本当にあの男性は消えてしまったのです。


さて、ここで一つ断らなければなりません。

大概の人であれば、ここで恐怖に慄きこの場から逃げ出すか、或いはショックの余りに気を失ってしまうのがセオリーでしょう。


ところがこの女、小夜子は普通とは違うのです。よって物語の展開を高揚させるような一般的なリアクションは、全くとれないと断言していいでしょう。


目の前に居た人が消えてしまった後とは思えぬほど冷静さを崩さない小夜子は、とりあえず男性がまだこの辺りに居ると考えたうえで、誰も居ない部屋へ語りかけます。


「おじ様、ご親切に私の要望をお聞きくださって有難う御座います。でももう判りましたわよ。だからいつまでも姿を消していないで、出てきてくださいな」


静まり返った空っぽの部屋に、小夜子の声だけが響きます。


「おじ様、まだ近くにいらっしゃるのでしょう?それとも何処か遠くへ行かれてしまったのですか?だったら嫌だわ。だって私、誰も居ないのに一人でこんなに喋っているなんて馬鹿みたいじゃない」


一向に姿を見せない男性に、少々苛ついてきたようです。その時です。背後にふと人の気配を感じました。


「おじ様ですね?」


振り返る間もなく、小夜子の首筋にヒヤリと冷たい感触が走りました。一瞬、少しだけ怯えたようにビクッとします。


「どうだ娘よ。これで私がバンパイアであると信じたであろう?」


「えーと、それはいいんですけど……、私達今とても奇妙な状態になっていませんか?」


小夜子の首元には男性の手が絡みついています。まるで死人のように体温を感じさせない両手で、小夜子の首と肩を覆うように。


丁度後ろ側から男性が抱き着く様な体勢、あすなろ抱きってヤツですね。(あっ、古い例え。意味が判らない方、パパかママに聞いてね)


「すみませんが、おやめになってくださいませんか?私殿方に気安く触られる趣味は御座いませんの」


「ふん、口の減らない娘だ。少しは今の状況を考えてみたらどうだね?」


「なんだかとってもいやらしい体勢だと思います」

「馬鹿な娘だ……。自らが獲物になっていると気付いていないとは。まさかこう易々と獲物の方から出向いてくるとはな。好奇心故の悲劇と思うがいい」


バンパイア、若い娘、獲物……。現状から読み取れるワードで小夜子は気付きました。


「私の血をお吸いになられるのですか?」


おタバコはお吸いになられますか?的なニュアンスで質問する小夜子に、男性は拍子抜けしたのか小夜子を抱き締める手が少し緩みました。


「勘が鋭いのだな」


「やはりそうなのですね」


「哀れな小娘よ……。何度も出向かなければ生き延びられたというのに……。私に深く関わってしまった以上帰す訳にはいかぬ。我が糧になるがいい!」


小夜子の白い首筋に、男性の長い爪が食い込みました。


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