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嬉しかった。確かにそうかもしれないが、悔しさもあった。彼女に迷惑をかけたのではないか、と。自分自身が、もっと女心をわかり、特殊な場面にも対応できる人間であれば、こういうことにはならなかったはずだと。彼も男だ。態度にしなくとも、大切な人を守りたい・笑顔にしたい・幸せでいたい。そういう想いは、持ち合わせているのだ。
「―――う、うぅ……」
少し前の出来事の回想が終わると、見えるのは天井。学校の保健室だった。
「ここは、保健室か?」
目をショボショボとさせ、ベッドから起き上がる。失神した時に壁に頭をぶつけたのか、瞬間的に後頭部に痛みが走る。痛みがある部分をさすっていると、窓際の椅子の方から声がした。
「だ、大丈夫、優人?」
水色のリボンで結んだポニーテール。大きな瞳に、透き通る白い肌。優人の約束の相手、そして彼女でもある。他人が泣いてしまう程の美人、
「ごめんね私のせいで。その……デートの時間が」
「あーいや、大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫。あははは」
杏に言葉をかける優人の顔は、愛想笑いだ。どう接するのが正解かが、いまいち分からないからだ。とどのつまり、困っている。
忘れもしないあの遊園地デートの帰り道、優人に衝撃の真実が告げられる。他でもないその当日、そして今回の図書室前での失神に大きく関わることだ。いつも現れる一匹のG。それは、変身した杏であるという衝撃のものだった。緊張のリミッターが一定水準を外れると、姿が人間からGに変身してしまうのだという。
「ヒドいことばっかしてるよね、私。優人に、ずっとずっと」
「い、いやそんなことは」
「そんなことある。いつも、本当に……」
「本当にごめんなさい。アタシがこんな変なばっかりに、優人に何回も迷惑ばっかりかけてる。こんな自分が嫌になる」
「杏……」
杏は幼い頃、とても引っ込み思案だった。理由は明白で、Gに変身してしまう。という利用しようのない個性があったからだ。中学生になれば、その内向な性格はおさまったが、誰かと付き合うなんてことは夢のまた夢だった。そこに現れたのが、他でもない優人だった。
「心配するな、そんなことはない」
ベッドから足を下ろし、優人は杏の手を握る。
「何かさ、もうしゃあねーじゃん。受けちまった
正直に話すべきだと思った。目線を外さず、優人は彼女の目をじっと見つめ話した。
「気にしても、気にしなくて良い。だってよ、俺がお前を好きということは、これからも変わんねぇんだからさ」
真っ直ぐな気持ちで話したこと。嘘偽りなく話したこと。杏の手を握っていたこと。急に恥ずかしくなった優人は、ふと杏の手を離し、顔が赤くなる。
「と、とりあえずだ! 何もノー問題ってこと、だな。あははは」
愛想笑いは、どうやら苦手の様だ。
「あ、ありがどぅぅぅ!!」
それはまるで子供の様に、漫画で描かれる噴水の様な号泣の様に。涙が溢れ出る。これも、彼女の欠点かもしれない。
「お、おいおいあんま泣くなよ。ほら、ティッシュで鼻かんで。涙もな、ちゃんと拭かないと」
「ご、ごべんね」
「謝るのはしなくて良いから、先に鼻を何とかしねーと。ちゃんと喋れてないぞ」
懐に入っているポケットティッシュを渡す優人。入っていた量が多くなかったこともあるが、それはすぐになくなる。
「(お、おぉ早いな使いきるの)とりま、俺は大丈夫。まぁ二十歳まで色々あるだろうけどさ、力合わせて二人で乗りきっていこう―――」
と言い切る前に、優人は異変を感じる。ついさっきまでいたはずの杏の姿がないからだ。まさかと思い保健室を見るも、姿はどこにもない。いるのは、自分一人だけだった。現実を受け入れ
(い、いやまさか、さ。あるわけないってそんなの。あれだろ、なんつーかあのー、犬のうれしょん的なあれだよな? 恥ずかしさとかじゃなくて、嬉しさからくるあれだよな? な、な?)
特別あやしげに、そして必死に。優人は意味もなく言い訳をした。信じることができなくなると、人間は行動や思考・理性を失う。ヒトはIQが高い。とはしばしば言われるが、そんなものは大したことがないのかもしれない。何故なら、窮地に追いやられた人間は、彼のようになってしまうのだから。
(やっぱり、こうなるのか……)
足元にGが一匹。美しい触覚を持つその害虫がそこに触れた途端、彼はこう叫んだ。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
今世紀最大のボリュームで。声が枯れてしまうくらいに、それはそれは大きな声だった。
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