嬉しかった。確かにそうかもしれないが、悔しさもあった。彼女に迷惑をかけたのではないか、と。自分自身が、もっとをわかり、にも対応できる人間であれば、こういうことにはならなかったはずだと。彼も男だ。態度にしなくとも、大切な人を守りたい・笑顔にしたい・幸せでいたい。そういう想いは、持ち合わせているのだ。

 「―――う、うぅ……」

 少し前の出来事の回想が終わると、見えるのは天井。学校の保健室だった。

 「ここは、保健室か?」

 目をショボショボとさせ、ベッドから起き上がる。失神した時に壁に頭をぶつけたのか、瞬間的に後頭部に痛みが走る。痛みがある部分をさすっていると、窓際の椅子の方から声がした。

 「だ、大丈夫、優人?」

 水色のリボンで結んだポニーテール。大きな瞳に、透き通る白い肌。優人の約束の相手、そして彼女でもある。他人が泣いてしまう程の美人、五藤ごとうあんずだ。優人を放課後デートに誘った、本人である。

 「ごめんね私のせいで。その……デートの時間が」

 「あーいや、大丈夫だよ。大丈夫、大丈夫。あははは」

 杏に言葉をかける優人の顔は、愛想笑いだ。どう接するのが正解かが、いまいち分からないからだ。とどのつまり、困っている。

 忘れもしないあの遊園地デートの帰り道、優人に衝撃の真実が告げられる。他でもないその当日、そして今回の図書室前での失神に大きく関わることだ。いつも現れる一匹のG。それは、変身した杏であるという衝撃のものだった。緊張のリミッターが一定水準を外れると、姿が人間からGに変身してしまうのだという。

 「ヒドいことばっかしてるよね、私。優人に、ずっとずっと」

 「い、いやそんなことは」

 「そんなことある。いつも、本当に……」

 容姿ようし端麗たんれい眉目びもく秀麗しゅうれい。様々な表現をされる彼女の、唯一ともとれる欠点。そんなことを聞いて驚かずにはいられず、優人はしばし意識を失った。だが、代々そういう家系にあること、二十歳を過ぎればおおよそ解決されること。それまで彼女が歩んできた人生。その全てを聞き、その上で好きとなり付き合ったのだ。とはいえ、症状が治るはずもなく、優人自身もGの出現に未だ慣れていない。

 「本当にごめんなさい。アタシがこんな変なばっかりに、優人に何回も迷惑ばっかりかけてる。こんな自分が嫌になる」

 「杏……」

 杏は幼い頃、とても引っ込み思案だった。理由は明白で、Gに変身してしまう。という利用しようのない個性があったからだ。中学生になれば、その内向な性格はおさまったが、誰かと付き合うなんてことは夢のまた夢だった。そこに現れたのが、他でもない優人だった。

 「心配するな、そんなことはない」

 ベッドから足を下ろし、優人は杏の手を握る。

 「何かさ、もうしゃあねーじゃん。受けちまったごうなんだから。短所なんて誰にでもある。問題は、互いがそれを受け入れれるかだ。俺は受け入れる。だから付き合っている。だから、好きなんだ。杏のことがな」

 正直に話すべきだと思った。目線を外さず、優人は彼女の目をじっと見つめ話した。

 「気にしても、気にしなくて良い。だってよ、俺がお前を好きということは、これからも変わんねぇんだからさ」

 真っ直ぐな気持ちで話したこと。嘘偽りなく話したこと。杏の手を握っていたこと。急に恥ずかしくなった優人は、ふと杏の手を離し、顔が赤くなる。

 「と、とりあえずだ! 何もノー問題ってこと、だな。あははは」

 愛想笑いは、どうやら苦手の様だ。

 「あ、ありがどぅぅぅ!!」

 それはまるで子供の様に、漫画で描かれる噴水の様な号泣の様に。涙が溢れ出る。これも、彼女の欠点かもしれない。

 「お、おいおいあんま泣くなよ。ほら、ティッシュで鼻かんで。涙もな、ちゃんと拭かないと」

 「ご、ごべんね」

 「謝るのはしなくて良いから、先に鼻を何とかしねーと。ちゃんと喋れてないぞ」

 懐に入っているポケットティッシュを渡す優人。入っていた量が多くなかったこともあるが、それはすぐになくなる。

 「(お、おぉ早いな使いきるの)とりま、俺は大丈夫。まぁ二十歳まで色々あるだろうけどさ、力合わせて二人で乗りきっていこう―――」

 と言い切る前に、優人は異変を感じる。ついさっきまでいたはずの杏の姿がないからだ。まさかと思い保健室を見るも、姿はどこにもない。いるのは、自分一人だけだった。現実を受け入れがたい時が来た。

 (い、いやまさか、さ。あるわけないってそんなの。あれだろ、なんつーかあのー、犬のうれしょん的なあれだよな? 恥ずかしさとかじゃなくて、嬉しさからくるあれだよな? な、な?)

 特別あやしげに、そして必死に。優人は意味もなく言い訳をした。信じることができなくなると、人間は行動や思考・理性を失う。ヒトはIQが高い。とはしばしば言われるが、そんなものは大したことがないのかもしれない。何故なら、窮地に追いやられた人間は、彼のようになってしまうのだから。

 (やっぱり、こうなるのか……)

 足元にGが一匹。美しい触覚を持つその害虫がそこに触れた途端、彼はこう叫んだ。

 「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 今世紀最大のボリュームで。声が枯れてしまうくらいに、それはそれは大きな声だった。

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