「これは私から田屋さんへのプレゼントです。どうぞ開けてみてください。フィールドワークのときに役に立つかなと思って、アウトドア用のシューズを選んでみたんです」

 田屋にどんなプレゼントを贈ろうか、悩んで悩んで決めたのが、これだった。

 有名なアウトドア用品メーカーのもので、田屋はよくフィールドワークのときにこのメーカーの靴を履いている。見た目の格好よさはもちろん、機能性も優れていて、長時間歩いても疲れにくくするために軽い素材を使っていたり、通気性の面でも優秀だそうだ。

 足裏の衝撃も吸収してくれるということで、春になったらまた、たくさんフィールドワークに出かけることになるだろうから、ちょっとだけ季節を先取りしてみた。

「……アウトドア用の、ですか? どんなのだろう?」

 目をぱちくりさせながら言う田屋に、すみれは、はいと頷く。

 本当はその場に田屋を連れて行って選んでもらったり試し履きしてもらうのが一番だったのだろうけれど、よく履いているということは、きっと気に入っているメーカーなのだろうし、ショップの人の話だと、合わないときは交換もしてもらえるということだった。田屋の足のサイズはわかっていたので、思いきってみたというわけだ。

「気に入ってもらえるといいんですけど。……もし気に入ってくれたら、この靴でまた、いろんなところへフィールドワークに連れて行ってくださいね」

 そう言いながら、田屋が丁寧な手つきでラッピングを解いていく様子を、すみれはドキドキしながら見つめる。気に入ってもらえるかどうかが一番の気がかりだけれど、果たして田屋はどんなリアクションをしてくれるだろうか。

 いよいよ箱の蓋に手がかかり、中のシューズが見えてくると、すみれの緊張は一気に高まる。どうか気に入ってもらえますようにと願いながら、田屋の表情に目を凝らす。

「これ……僕がずっと、いいなって思ってたものですよ! なんでわかったんですか!」

「へっ?」

 するとみるみるうちに田屋の目が輝き、すみれを見るなり、ぱっと表情が華やぐ。

 対してすみれは間の抜けた返事になってしまった。田屋とショップに出かけたことはなかったし、まして欲しがっていたなんて知らなかったから、田屋の予想外のリアクションと、ピンポイントで選んでいた自分に驚いて気の抜けた声にしかならなかった。

 けれど、田屋がそう言ったということは、気に入ってくれたということだ。

「ありがとうございます! めちゃくちゃ大事にしますね!」

「はいっ!」

 箱ごと抱きしめる勢いの田屋に、すみれは笑って頷く。

 まだ春は先なのに、早くこの靴を履いた田屋とフィールドワークに出かけたくなって、すみれは芽吹きの季節が待ち遠しくてならない。ふきのとうやフキ、ヨモギ、菜の花、ノビルにカラスノエンドウ、サクラやタンポポ、そして思い出深いドクダミやスミレが野原や土手、たちばな荘の庭に芽を出す季節がまたやってくる。

 来年の春はきっと、これまでただ通り過ぎてきた道端にも、たくさんの〝おいしい〟発見があるはずだ。田屋と出かければ、いつもの景色に魔法がかかる。

「こうしちゃいられない。ちょっと待っててくださいね」

「……は、はい」

 気に入ってくれてよかったなと思っていると、田屋が急に立ち上がり、離れを出ていった。かと思えばすぐに戻ってきて、すみれの前に小さな箱を置く。

 少し息が弾んでいるのは、それだけ急いで持ってきたということだ。

「これは僕からのクリスマスプレゼントです。いつ渡そうかと、ずっとバックパックに入れていたんですけど、すみれさんに先を越されちゃいました」

「私に、ですか?」

「開けてみてください。きっと、すみれさんにすごく似合うと思うんです」

 そう言ってにっこり笑う田屋に、なんだろうと思いながら、すみれは小さな箱にかかっているリボンを解いていく。箱が小さいということは、アクセサリーだろうか。

 包装紙を取って箱の蓋を開けると、さらに薄紙に包まれた箱が顔をのぞかせて、それを左右に開くと、アンティーク調の装飾が施された花の形をした宝石箱がすみれの目に飛び込んでくる。陶器製なのだろうか、薄紫色のかわいらしい花と、やや大ぶりの緑の葉がつやつやと光沢を放っていて、思わず、はっと息を飲むほどきれいだった。

「どうぞ手に取ってみてください。この花はすみれの花なんだそうです。オルゴールにもなっていて、横にあるゼンマイを巻くと『星に願いを』が流れるみたいですよ。ショップで見た瞬間に一目惚れしたんです。すみれさんにぴったりだって」

「オルゴールにも?」

 ちょっと貸してください、と手を差し出されて、すみれは田屋に宝石箱を預ける。田屋がゼンマイを巻いて、すみれの手に戻す。けれど曲はまだ流れない。

「蓋を開けると鳴るようになっているんですって」

 あれ、と思って田屋を見ると、にっこり笑って教えてくれた。

 そうして宝石箱の蓋を開けると――。

「これ……」

「ブレスレットやイヤリングより、こっちのほうが邪魔にならないかなと思って選んでみたんです。すみれさんはピアスは付けませんもんね。そもそもアクセサリーは付けないのかなとも思いましたけど、小ぶりのものなら、さり気なくていいかなと」

 きれいな音で奏でられる『星に願いを』が流れはじめるとともに現れたのは、田屋の説明のとおり、小ぶりのネックレスだった。インフィニティラインに似たモチーフで、チェーンとつながっているラインにキラキラと輝く宝石が並び、その後ろのS字のラインが宝石が並んだラインを下から支えるようなデザインをしている。

「……か、かわいい」

「気に入ってくれました?」

「もちろんですよ。こんなの、初めてです」

 思わず呟くとすかさず田屋に聞かれて、すみれはすぐに言葉を返す。

 こんなにすてきなプレゼントは、本当に初めてだ。

 すみれはこれまで、ジュエリーの類いは特別、持ってこなかった。母やイギリスのグランマ、日本の祖母から譲り受けたものや、形見としてすみれの手元に大事に持っているものはあるけれど、自分で買ったものは数える程度しかない。

 出かけた先などでたまたま目に入り、きれいだな、すてきだなと思ったものはいくつかあったものの、もともと物欲がそれほど強くはないこともあって、いつも目を楽しませてもらうばかりだった。

 けれど、田屋がプレゼントしてくれたネックレスは格別のかわいさがある。

 田屋がすみれのために選んでくれたというのも、もちろんあるけれど、デザインも大きさも全部がすみれの好みだった。田屋が言ったように、さり気ないのもまた、かわいくて、もしすみれが自分で買うとしても、きっとこれを選んだと思う。

「イエローゴールド素材なので、肌馴染みもいいと思うんです。石は真ん中の大きいのがダイヤモンドで、左右に三つずつある薄紫色の石がアメトリンというそうです。アメジストとシトリンが混ざり合った天然石なんだそうで、淡い色が、すみれさんだなって思ったんですよね。オルゴール付きのジュエリーケースを見つけたときと同じで、このネックレスも一目惚れでした。すみれさんによく似合うだろうなって」

 すみれの様子に「よかった」と安心したように呟いて、田屋は言う。

「付けたところを見せてください」

 そして、すみれの手からそっとジュエリーケースを抜き取ると、丁寧な手つきでネックレスを取り出し、そのままテーブルを回ってすみれの後ろに両膝をついた。

 髪の毛がさらりと左に流され、続いてネックレスが首にかけられる。そのとき部屋の明かりを受けてネックレスがきらめいて、すみれはそっとモチーフに手を添えた。そうすると田屋がふっと笑った気配がして、首の後ろで留め具がはめられる。

「こっちを向いてください」

 髪を元に戻し、すみれの両肩に優しく手を置くと、田屋は言う。

「……どうですか? 似合ってます?」

「とっても。きれいですよ、すみれさん」

「へへ」

 向かい合うと田屋が嬉しそうに目を細めてすみれを見るので、すみれはどうにも照れくさくなって、つい笑ってしまう。面と向かって言われると、どこに目を向けたらいいのかわからなくなる。口元が勝手にもにょもにょと動いて、表情が落ち着かない。

 でも、オルゴール付きのジュエリーケースも、このネックレスも、田屋が自分のためだけに選んでくれたんだと思うと、すみれはたまらなく嬉しい。

 なにを贈ろうか考えている時間、ショップを探している時間、実際にショップに行ってプレゼントを選んでいる時間や、店員と相談している時間、ラッピングを待つ時間、そして今日まで、田屋はきっとすみれのことをたくさん、たくさん思い描いてくれていたはずだ。その時間もひっくるめて、なにものにも代えられない大切なプレゼントだ。

 だからこそ、なかなか表情が安定しない。

「……ふたつとも、ずっとずっと、大事にします」

 なんとか笑顔を作ってそう言うだけで、すみれは精いっぱいだ。

「はい。僕もです。もらったシューズ、大事に大事に履かせてもらいますね。すみれさんが僕のために使ってくれた時間、全部丸ごと、宝物です」

 けれど、すみれの気持ちはどうやら田屋にちゃんと伝わってくれたようだ。

 テーブルの上のアウトドア用シューズに目をやった田屋は、すみれに向き直ると首元のネックレスに目線を落とし、それからまたすみれと目を合わせてにっこり笑う。

「! それ、私も今、同じことを思っていました」

「本当ですか? 僕たち、考えることが似ているんですね。でも、僕がいいなって思っていたシューズをぴったり当てちゃうすみれさんのほうがすごいですけどね」

「いえいえ。シューズはほんと、偶然ですよ。私だって、自分で買うとしたら田屋さんと同じものを選んだ自信があります。どっちも本当にかわいいですもん」

「そう言ってもらえると嬉しいなあ」

「ふふ。たくさん喜んじゃってください」

 合わせようとしなくても近い考え方になるのは、とても幸せなことだと思う。

 すみれが心で思ったことと同じことを田屋が言ったのは驚いたけれど、でも、すみれと田屋はそれだけ似た周波数を持っているということだし、きっとお互いに無理なく一緒にいられる相手と巡り会えたのだろうとも思う。

 相変わらず〝さん〟付けと敬語はなかなか抜けないものの、一緒にいるときの心地よさや安心感、しっくりくる感覚などは日に日に増していっている。

 前に、自分に魂の片割れがいるのなら、それはきっと田屋に違いないと思ったことがあるけれど、改めて今、本当にそうだとすみれは思う。いつかそんな人と巡り会えたらいいなと思っていた相手がこうして目の前で微笑んでくれること、自分の名前を呼んでくれること、呼ぶと応えてくれること、考えや価値観が似ていることは、奇跡と同じだ。

「すみれさん」

 呼ばれてすみれは、ゆっくりと目を閉じる。すると田屋の顔が近づく気配がして、おでこに、両まぶたに、鼻に、そして最後に唇にキスが落とされた。

 キスするとき、田屋は決まっておでこからしていく。田屋のこの、すみれそのものを慈しんでくれるような優しいキスが、すみれはとても好きだ。うまく言えないけれど、大事だから、それを伝えるための手段としてキスをする、という感覚だろうか。

 田屋がキスしていったところから、すみれを想う大きくて深い愛情がじんわりと流れ込んでくるようで、そのたびにすみれは幸福感でいっぱいになる。この人と一緒にいられて嬉しい、これから先もずっとずっと一緒にいたいと、心からそう思う。

「私、田屋さんと付き合えて幸せです」

「それは僕の台詞ですよ。でも、ありがとうございます。僕もです」

「ふふ。こちらこそありがとうございます」

 目を開けるとどちらからともなく微笑み合って、もう一度キスをする。やっぱりおでこからはじまったキスは、もはやふたりの中での約束事のようなものかもしれない。くすぐったくて甘酸っぱい気持ちが胸の中に広がっていくのを感じながら、すみれはまた、田屋がくれるキスをおでこに、両まぶたに、鼻に、そして唇に受け止めていった。


 それから間もなくして、離れの廊下を歩いてくる足音が聞こえた。そろそろかな、と田屋と目を見合わせると、襖の向こうから「片付けが終わったヨ。ふたりとも来てー」とマルちゃんの声がして、すみれと田屋は揃って「はーい」と返事をする。

 みんなに田屋とふたりきりにさせてもらえてよかったなとすみれは思う。前に話していたとおり、田屋は明日、仕事がある。パーティーが終わったら帰る予定になっていて、だから、いつプレゼントを渡そうかとタイミングを計っていた。

 もちろん、みんなの前で渡したとしても、特になにも言われないとは思うものの、やっぱり照れくさい。さっき田屋が急いで母屋に戻ったから、もうみんな、薄々わかっているはずだけれど、とはいえ恋人へのプレゼントはふたりのときに渡すほうがいい。

 それは田屋も同じだったようで、すみれの背中に手を添えて戻りましょうと優しく促しながら、耳元で「気づいたとは思いますけど、恥ずかしいのでみんなには内緒です」と囁く。プレゼントを贈り合ったことなのか、キスをしていたことなのか、きっとどちらもなんだろうなと思いながら、すみれも「そうしましょうか」と囁き返した。

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