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「はい。ちょっと早めにマーケットを出ましょうか。予約のケーキを取りに行って、スーパーにも寄って。そうしたら、グリューワインを作りに、みんながいるたちばな荘に戻りましょう。早いって言われるかもしれませんけど、作りたくなっちゃったんですから仕方ありません。これでパーティーのメニューがまたひとつ増えましたね」
「! ありがとうございます!」
すると、すみれの意図を汲んでくれた田屋が、にっこり笑ってそう言った。とたんにすみれの顔はぱっと華やぎ、そんなすみれを見た田屋も満足そうに笑う。
そうしてすみれたちは予定を少し変更して、二回目のプレゼントクイズがはじまる前にマーケット会場を出ることにした。
午前中は特設ステージでのイベントやクリスマス雑貨を中心にブースを見て回り、昼どきになるとクラムチャウダーと自家製パンのセットや、岩塩で味つけした厚切り牛肉ステーキをサンドしたハンバーガー、ポテトフライなどで簡単な昼ごはんとして、まだまだ多くの人で賑わうマーケット会場を一足先に出る。
すみれも田屋も今回は特にお迎えするものはなかったけれど、やっぱり何回来てもマーケットは楽しくて、会場にいるだけで雰囲気を存分に堪能することができた。
「ケーキの受け取りは何時ですか?」
「午後二時ですよ」
「じゃあ、ちょっと荷物になるかもしれませんけど、先にスーパーに寄りますか。重いものは僕に任せてください。おいしいグリューワインを作ってあげましょう」
「ふふ。ありがとうございます。そうしましょう」
スーパーに向かうふたりの足取りは、ふわふわと軽い。
「赤が一般的でしょうけど、白ワインもきれいでしょうね。フルーツもなにを入れようか今からわくわくします。そうだ、炭酸は? たちばな荘にありますか?」
「炭酸は買わなきゃですかね。ゼリーも作るなら、ゼラチンパウダーも必要です。フルーツもたくさん買っちゃいましょう。うんと華やかにしましょうね」
「はい。そうそう、ケーキはどんなのを予約したんですか?」
「ホールの生クリームケーキとブッシュドノエルですよ」
「それはおいしそうです!」
会話もすこぶる弾んで、スーパーに着くまで話題が尽きることはなかった。
*
「おかえりー! スミレ、ミノル!」
「それから、付き合って二か月おめでとう! これからもずっと仲良しでいてネ!」
そうしてたちばな荘に戻ってみると、すみれたちを迎えたのはパーティー仕様に飾りつけられた室内だけではなかった。「ただいま」と玄関を開けるやいなやパンパンとクラッカーが鳴って、なにごとかと思う間もなく玄関先にずらりと並んだみんなが口々にすみれたちのことを祝福し、笑顔と拍手で出迎えてくれたのだから、驚いたってものじゃない。
戻りは何時ごろになりそうか電話で連絡を入れていたのだけれど、どうやらその時間に合わせて待ってくれていたらしく、八人揃っての出迎えは壮観と言うほかなかった。
「今日でちょうど二か月なんだヨ。もしかして忘れてた?」
田屋とふたりで驚きに固まっていると、マルちゃんがそう言ってまた笑った。
「だから朝、ふたりを追い出したんダヨネ。ごめんネ」
そして続けて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「マルちゃん、みんな……」
すみれはそれ以上、言葉にならなかった。にこにこと笑顔を見せるみんなの顔をひとりひとり見つめているうちに視界がぼやけてきて、最後にはすんと鼻が鳴る。
田屋も同じで、少しの間、状況が飲み込めないようだった。隣から田屋が声を詰まらせた気配もして、なにか言おうにも言葉が出ない様子がすみれにも伝わってくる。
「おめでとうはこれだけじゃないんだヨ! こっちに来て!」
さらに食卓テーブルに案内されれば、すみれの涙腺はもう決壊だ。
じゃーん、と効果音付きで食卓に続くドアが開けられれば、目に飛び込んできたのはローストチキンにミネストローネ、ローストビーフにポテトサラダのタワーやポットパイ、ロール寿司にシーフードパエリアなどなど、途中のものもあれば、もう出来上がっているものもあって、テーブルの上や台所のコンロ、それにシンク周りがとても賑やかだった。
「こんなに早く戻ってくると思ってなくてまだ途中なんだけど、スミレがいつも作ってくれる料理を真似してみんなで作ったんだ。どう? おいしそうデショ?」
「お、おいしそうもなにも……」
へへ、と頬を掻きながら照れくさそうに言われて、すみれは言葉に詰まる。
料理の材料は揃えてあったし、なにを作るのかも事前にみんなに聞いてメニューを決めていた。でも、出かけている間にまさかみんなが料理をしていたなんて思っていなくて、どう言葉を尽くしてお礼を言ったらいいか、すみれにはちょっとわからない。しかもそれが付き合いはじめて二か月のお祝いだなんて、サプライズにもほどがある。
「……あ、ありが、とう」
声を詰まらせながら、なんとかお礼を言うと、みんなから「ありがとうはボクたちのほうだよ」「いつもおいしいごはんをありがとう」「スミレが毎日、どんな気持ちでごはんを作っていたかわかった気がするよ」と、方々から温かい声がかかる。
「ミノル。スミレのこと、これからもよろしくネ。嬉しいとき以外に泣かせたらボクたちが許さないヨ。ミノルのスミレだけど、ボクたちのスミレでもあるんだから」
すみれの隣でいまだ声にならない様子の田屋にもそんな声がかかって、付き合うことになったとみんなに報告したときに田屋が言った台詞がそっくりそのまま返されると、田屋は「ははっ。約束する。任せておいて」とみんなに笑顔で頷く。
「もう。みんなったら……。田屋さんも」
調子がいいんだから、なんて思うものの、でも、みんなも田屋もそう言うんだから、今までもそうだったけれど、これからも悲しくて泣いたり、つらくて泣いたりすることはないんだろうと確かに思えて、すみれは深く深く愛されていることを実感する。
みんながサプライズを仕掛けてくれたことしかり、一生懸命に料理を準備してくれたことしかり、いったい、いつの間にみんなで計画を立てていたんだろうと思うけれど、そのすべてがすみれにとって特別で、大切で、どんなことにも代えられない出来事だ。
「ところで、スミレとミノルが持ってるものはなに?」
すると、さっきから気になっていたんだけど、といった様子でマルちゃんが尋ねる。
そこですみれも田屋もスーパーに寄って買い物をしてきたことを思い出し、実はね、とテーブルの端を借りて買ってきたものをバッグの中から取り出す。
ケーキの箱は、見たら受け取りに行ったんだとわかるけれど、バッグまで持っているのは不思議だったのだろう。料理の材料はもう揃えてあるし、料理も作りはじめているのにどうしてまた買い物をしてきたんだろうと思っていたのかもしれない。
本当にふたりは料理のことばっかりだなあ、なんて声が聞こえてきそうで、そんなみんなにちょっとバツが悪く感じながらも、すみれと田屋はワインや炭酸やフルーツ、スパイスなど、買ってきたものをいそいそとテーブルに並べていく。
「……もしかして、グリューワイン?」
そうして並んだ材料を見て思い当たるものがあったのだろう、そう言われて、すみれと田屋は目を見合わせると「そうだよ」とみんなの顔を見渡して頷く。
「クリスマスマーケットに行ったんだけど、そこで飲んだグリューワインがすごくおいしくてね。作り方も教えてもらったし、みんなと一緒に飲んだらもっとおいしいだろうなって思って、予約のケーキも受け取りに行きつつ、田屋さんと買い物もしてきたの」
「冷やして炭酸で割ってもおいしいって店主さんから教えてもらってさ。テーブルが華やぐだろうなって。本当はもう少しマーケットを見ていくつもりでいたんだけど、すみれさんも僕もみんなの顔が浮かんで、居ても立っても居られなくなっちゃったんだよね。ゼラチンパウダーも買ってきたからグリューワインのゼリーも作るつもりだよ。これは初めてだから、おいしく作れるかわからないけど、やってみる価値はあると思うんだ」
「ホットもクールもゼリーも⁉ ふたりともすごいや! ありがとう!」
すみれの言葉を引き継ぎ、田屋が詳しく説明してくれる。するとみんなの目がみるみるキラキラと輝きだすから、すみれも田屋も嬉しくなって笑顔がこぼれる。
スーパーへの移動中や売り場を見て回っているときに思いつく限りのものは揃えてきたつもりだけれど、もし作っているときに足りないものが出てきたり、もっとこうしたらいいんじゃないかとアイディアが出たりしたときは、また買いに行くつもりだ。
みんなが頑張ってくれたおかげでパーティーメニューは揃いつつあるし、夕方にもまだ早い。パーティーをはじめる夜までたっぷり時間があるとなれば、もう一品や二品、増えたってかまわないだろうし、なによりみんなの目が〝味わってみたい〟と言っている。
「よーし、みんな! スミレとミノルがとびきりおいしいデザートを作ってくれるってことだカラ、早いとこボクたちのお祝いメニューも作っちゃおうヨ!」
「おー!」
そんなかけ声とともに、みんなが我先にと狭い台所に散りはじめる様子を見て、すみれと田屋は微笑み合うと、こっそり寄り添って手をつなぐ。すみれの涙はいつの間にか止まっていて、あるのは料理にあまり慣れていないみんなの奮闘を見守る笑顔だけだ。
みんなが料理を作り終わるまで、しばしの休憩といったところだろうか。そのあとは、すみれと田屋からみんなへのお返しにグリューワインでパーティーに花を添えよう。
「みんな気合いが入っていて、出来上がりが楽しみですね。きっと、すみれさんがたちばな荘のみんなを大事に大事に思っているから、その気持ちがこうして形になったんでしょうね。今日のパーティーは、どうにかしてすみれさんを喜ばせたいっていうみんなの思いの結晶なんだと思います。そこに僕もいられることが、すごく幸せです」
食卓テーブルの椅子に座ってみんなを眺めながら、田屋がそんなことを言う。
「ふふ。私もです。みんなと田屋さんと一緒にいられて、台所がこんなにも賑やかで、間違いなく私至上最高のクリスマスです。たぶん初めてですかね、みんなが作ってくれた料理を食べるの。こうして料理を待つのも、そういえば初めてかもしれません」
すみれも深く頷き、にこにこと笑う田屋に笑顔を返す。
「じゃあ、初めて尽くしですか?」
「そうなりますね。初めて尽くしって、なんだかわくわくしますね」
「しますね」
また田屋と微笑み合って、すみれはみんなの様子に目を戻す。
これまでもみんなが洗い物や配膳を手伝ってくれることは多くあったけれど、こんなのは今日が初めてだ。もしかしたら田屋と出会わなかったら見られなかった光景かもしれないと思うと、目や心に焼き付けておかなきゃと気持ちが駆り立てられる。
それと同時に、あの春の日の図書館で植物が引き合わせてくれた奇跡に、すみれは改めて深く深く感謝する。そして、そのきっかけになったマルちゃんにも同じ思いを抱く。
もしマルちゃんが、夜も眠れないほど思い悩んで庭のドクダミをうっかり折るか踏むかしなかったら、図書館には行かなかっただろうし、駆除するために植物の本とにらめっこをすることもなかったはずだ。そう考えると、みんなの中心になって、あくせく動き回るマルちゃんは、すみれと田屋を出会わせてくれたキューピットにほかならない。
「お待たせ、スミレ、ミノル! ふたりにバトンタッチするネ!」
やがて料理が出来上がると、今度はすみれと田屋の番だ。
「ありがとう、みんな。次は僕たちに任せておいて」
「おいしいのを作るから待っててね」
そうして席を立つなりみんなと場所を入れ替わると、さっそくクリスマスマーケットで店主の男性から教えてもらったグリューワイン作りに取りかかる。
赤、白のワインを手鍋にそれぞれ移し、甘さを加えるためのはちみつ、スパイスにシナモンと生姜のスライス、フルーツは輪切りのレモンや薄切りにしたりんご、皮つきのオレンジ、ミックスベリーなどを入れて、隠し味にラム酒を少量足す。
それらをすべて鍋に入れ終えたら火にかけて、アルコールが飛びすぎないように注意しながら沸かし、鍋肌がふつふつしてきたら弱火にして三分ほど煮れば、すみれと田屋のオリジナル、赤、白のあったかグリューワインの出来上がりだ。
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