*


 そうして二十四日、クリスマスイブ。

「え? ええ?」

「ほらほら、ボクたちはこれからとっても忙しいんダカラ!」

「で、でも――」

「そうそう。だからスミレもミノルも早く出かけてネ。あとのことは任せてサ!」

 張り切ってパーティーの手伝いに来てくれた田屋をなぜか玄関先で押しとどめたみんなは、わけがわからないまま、すみれにもコートとバッグを半ば強引に持たせて出かける用意をさせると、どういうつもりか、ひょいとたちばな荘から追い出した。

「……」

「……」

 総勢八人で手を振り、笑顔で「いってらっしゃーい!」と見送られてしまえば、すみれと田屋は、ぽかんとした顔で見つめ合うしかない。まったくと言っていいほど状況が飲み込めないためにリアクションが取れず、声だって少しも出なかった。

「これはいったい、どういうことなんでしょう……」

「そうですよね。だって昨日から、みんなに今日のことは話してあるのに」

「はい」

 田屋とふたりで閉められてしまった玄関を見つめて、首をかしげる。

 昨日、みんなに話したのは、このふたつだ。

 田屋がパーティーの準備を手伝いに来てくれることになったから、その間、みんなは街に出かけてクリスマスを満喫してくること。帰るころには、すぐにでもパーティーをはじめられるように、飾りつけも料理やケーキもばっちり用意しておくから、みんなは極力、お腹をぺこぺこにして帰ってくること。――このふたつをみんなにお願いしていた。

 田屋と話して、イブの日の休みはデートよりパーティーの準備に一日かけたいということになっていたし、大学も短いながらもちょうど冬休みがはじまった。課題にレポートにテストや論文と大学生活に忙しかったみんなも、やっと羽を伸ばせる時間が取れるようになったため、せっかくだから遊んできてはどうかと田屋が提案してくれたというわけだ。

 昨日はあいにく、まだ仕事が残っているとかで田屋はたちばな荘に顔を出せなかったけれど、すみれからその話をすると、みんな『ふたりにだけ任せるなんて悪いヨ』『でも、ニッポンのクリスマスは恋人同士で過ごすらしいよ?』『じゃあ、ふたりきりのほうがいいのかナ?』『うんうん、きっとそれがいいヨ!』と受け入れてくれて、だから今日だって、すみれも田屋も出かけるのはみんなのほうだとばかり思っていた。

 それが、まさか放り出されてしまうなんて、ちょっと想像していなかった。

 みんなのほうがたちばな荘に残るということは、クリスマスの飾りつけはみんながするつもりなのだろうけれど、それにしたって、これから一日、どうしよう。

「どっちにしても、ふたりきりにしてくれた……んですかね?」

「なんだかそんな感じですよね。というか、すみれさんも僕も愛されてますね」

「ですね。嬉しいんですけど、やっぱり恥ずかしいです……」

「はははっ。僕もです」

 とはいえ、いつまでも玄関前にいるわけにもいかないため、とりあえず並んで歩きはじめることにしたすみれと田屋は、思いがけない形でぽっかり空いてしまったイブの時間をどうやって埋めようかと、相談し合わなければならなくなった。

 嬉しい誤算ではあるけれど、一日かけてパーティーの準備を整えること以外は頭になかったから、すみれも田屋も、すぐには行きたいところもやりたいことも思いつかずに途方に暮れてしまう。

 料理の材料はもう揃えてあるので特に買い足すものもないし、ケーキは悩んだ結果、おいしいと評判のパティスリーで予約することにして、今日の午後に取りに行く予定ではある。でも、ケーキの受け取りなんてすぐに終わってしまう。

 顎に手を添えて考え込む田屋の隣で、すみれも、うーんと悩む。

「そうだなあ。行くとしたら、今日はこの前以上に混み合っていると思いますけど――」

「ああ! ふふ。すっかりお気に入りですね」

「はい、とっても。……いいですか? クリスマスマーケット」

「もちろんです」

 結局、目的が決まったのは、ふたりで悩みはじめてからしばらくあとだった。

 もしかしたら田屋は、もっと早い段階で思いついていて、でも今日はものすごい人出になるだろうことと、続けて同じ場所に行くことに少し抵抗があったのかもしれない。

 けれど、クリスマスマーケットは何度行ったって楽しいし、人出の多さだって、すみれはさほど気にならない。なにより、気に入って誘ってくれたことが嬉しい。

「――じゃあ」

「はい」

 すっと差し出された田屋の手を取り、すみれはにっこり笑う。せっかくみんながプレゼントしてくれた田屋との時間だ。めいいっぱい楽しまなきゃ逆に申し訳ない。お返しにお土産を買って帰ろうと思いながら、すみれは田屋と並んでイブの街に繰り出していく。

 ちらと隣をうかがうと、田屋も弾んだ顔をしていた。ケーキを受け取りに行くのは二回目のマーケットを満喫してからでいいだろう。今日も楽しくなる予感に胸をわくわくさせながら、そうしてすみれたちはクリスマスマーケットの会場へ足を向けた。


 その会場は、田屋が言ったとおり、すごい人で賑わっていた。

 開場してからさほど時間は経っていないのに、すでにたくさんのブースで順番待ちの長い列ができていて、この前ホットドリンクを注文したブースも、野菜や花や、田屋が吟味を重ねてクリスマス雑貨をお迎えしたブースも大人気の様子だった。

「わあ、中央広場でイベントも!」

「だからこの人出なわけですね」

「そうみたいですね」

 そして、それにはわけがあるようだった。

 会場中央に設けられた特設ステージでは、音楽グループによるクリスマスメドレーの演奏や合奏、地元の保育園児や幼稚園児のかわいい歌とダンスに、小中高生の吹奏楽部演奏や、クリスマスプレゼントを賭けたクイズ大会などなど、閉場時間の間際まで入れ替わり立ち代わりステージイベントが開催されるようで、人出の多さにもおおいに頷ける。

「この前はなかったですよね?」

「今日、明日の限定ステージみたいですね。ふふ。見ていきましょうか」

「ぜひ!」

 キラキラと目を輝かせた田屋に聞かれて、すみれは笑って答える。

 二十四日のイブと二十五日のクリスマス当日には毎年、特設ステージでのイベントが行われているのはすみれも知っていたけれど、いつもはそれまでにクリスマスマーケットでの買い物は済ませているし、イブも当日もパーティーやたちばな荘の仕事にかかりっきりだったため、特設ステージ自体、すみれも見るのは初めてだ。

 ステージではちょうど、一回目のプレゼントクイズが終わりかけているところで、商品を見事に勝ち取った親子連れが、子どもの背丈もある大きなクマのぬいぐるみを司会者から受け取っていた。

 ぬいぐるみを手渡された女の子は、ちょっとよろけながら、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。ぬいぐるみごと女の子を抱き上げた父親は〝よかったね〟と笑っていて、そんなふたりを近くで見守る母親の顔も幸せな笑顔であふれていた。

「すてきな光景ですね。幸せをおすそわけしてもらった気分です」

 田屋の言葉に、すみれも大きく頷く。

「いつも下宿の仕事だったので見に来たのは初めてなんですけど、いいものですね。こんなことでもなかったら見られなかったですし、みんなに感謝ですよ」

「そうですね。きっとパーティーの準備も楽しかったでしょうけどね」

「ふふ。けっこう細かく段取りをしていましたけど、こっちも楽しいです」

「ですね」

 わけもわからずたちばな荘から放り出されたときは、どうなることかと思ったけれど、こういうイブの時間もまた、いいものだ。みんなに大事にしてもらっていることを実感して、すみれはじーんと胸が熱い。本当にすみれは人に恵まれている。

「せっかくですし、みんなからもらった時間をたくさん楽しみましょう」

「はい!」

 田屋がにっこり笑って言って、すみれも笑顔で頷く。

 会場の入り口で受け取ったパンフレットによると、二回目のプレゼントクイズは午後一時かららしい。あまりない機会だしやってみようということになったすみれと田屋は、それまでの時間をブースを見て回ったり、フードメニューやドリンクメニューを楽しむことに決めて、どんどん人が集まってくるマーケット会場に飛び込む。

「実は私、一度、グリューワインを飲んでみたかったんです。この前来たときは、確かノンアルコールもあったはずので、田屋さんも一緒にどうですか?」

「グリューワインって?」

「簡単に言うと、ワインにスパイスや果物などを入れて一緒に温めたもののことなんだそうです。クリスマスマーケット発祥のドイツや、ヨーロッパのほうではとてもポピュラーみたいですよ。想像しただけでおいしそうじゃないですか?」

「よし、飲みましょう!」

「あははっ。そうしましょう」

 そうしてさっそく、グリューワインが売られているブースの列に並ぶ。

 何店か回りながらどこのブースのものにしようか相談するのも楽しいし、順番を待っている間も、もちろん楽しい。その間、どんな味かとか、自分でも作れるのかとか、アレンジするならどうするかと話は尽きなくて、待ち時間もあっという間だった。

「へえ、こうやって作るんですね。飲むのが待ち遠しいです」

「ご自宅でも作れますよ。よかったら手順を見て覚えていってください」

 いよいよすみれたちの順番になって、注文を終えて出来上がりを待っていると、興味深そうに作る様子を眺めていた田屋の言葉に気のいい笑顔を見せた男性店主は、そう言って手元を見せてくれた。四十代中盤から五十代前半と思われる店主は、隣のすみれにもにっこり笑って「グリューワインは初めてですか?」と尋ねる。

「そうなんです。だからぜひ飲んでみたくて。ワインとスパイスのいい香りですね」

「ありがとうございます。ご自分で作るときは、ワインは安いもので構いませんし、もし栓を開けてから時間が経ってアルコールが飛びかけたものがあるなら、それでも全然大丈夫です。ここで使っているのは、シナモンスティックやクローブ、スターアニスやカルダモンですけど、スライスした生姜と一緒に沸かしてもおいしく出来上がりますし、シナモンパウダーで代用だってできます。フルーツも自分の好きなものを入れてくだされば、それが自分だけのグリューワインになるわけです。ぜひ作ってみてください」

「はい。ということは、これといった決まりはないんですね」

「そうですね。入れたいものが決まったら、ワインと一緒に鍋に入れて、沸いたら弱火で少々です。そのときにシロップや砂糖やはちみつを入れて甘くすれば、グリューワインの出来上がりです。隠し味はラム酒ですかね。体が温まりますよ」

「ラム酒! 絶対おいしいです!」

 ぱちんと両手を合わせて弾んだ声を上げるすみれに笑って、店主は続ける。

「冷やしたものを炭酸で割ってもおいしいですよ」

「なるほど」

 そこでグリューワインが出来上がり、店主は手鍋からカップへ注ぎはじめた。ひとつ、ふたつとカップが満たされていって、鍋に残ったフルーツと、最後にシナモンスティックを差せば「お待たせしました」と人好きのする笑顔ですみれたちに渡す。

「熱いのでお気を付けくださいね」

「ありがとうございます」

 ほうほうと湯気の立つグリューワインを受け取ると、温めたことで香りが立ったワインとシナモンの香りがすみれたちの鼻をくすぐった。店主に丁寧に礼を言ってイートインスペースまで行けば、いよいよお待ちかねのグリューワインに口をつける。

「んー、鼻に抜けていく香りがすごいですね。はちみつの優しい甘さとフルーツの香りや味もワインに溶け込んでいて、おいしい! お店の人も言っていましたけど、一杯飲んだら体がぽかぽかです。これ、みんなにも作ってあげたいなあ」

「大賛成です。炭酸割りだとスパークリングっぽくなりそうですよね。これはパーティーにうってつけかもしれません。あとは、ゼリーもいいかもしれませんよ。色もきれいですし、フルーツもたくさん入っているので、ぱっとテーブルが華やぎそうです」

 ふたりの中での話題は、やっぱりたちばな荘のみんなに尽きる。こうしたらおいしいんじゃないか、こうやったらみんなが喜ぶんじゃないかとアイディアを出し合いながら飲むと、おいしいと味わうだけじゃなくなってくるから、ちょっとおかしい。

「田屋さん」

 私は根っからの料理好きなんだなと思いながら、すみれはちらと田屋をうかがう。

 せっかくみんながイブの時間をプレゼントしてくれたというのに、もう戻ることを考えはじめているなんて、みんなにも田屋にも申し訳ない。けれど、きっと田屋なら笑って付き合ってくれるだろうし、なんなら田屋も、うずうずした様子になってきている。

 みんなも口々に「もう戻ってきたの?」なんて言いながらも、最終的には「仕方ないなあ」と迎え入れてくれるだろう。そんな姿が目に浮かんで、すみれの頬は持ち上がる。

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