「ありがとうスミレ。ミノルもお土産ありがとう!」

「いえいえ。お土産ってほどじゃないけど、よかったら食べてみて」

 すみれから皿を受け取ったみんなは田屋を下の名前で呼んで、田屋もすみれと話すときとは少し違って砕けた口調だ。キャンプのときは緊張していたそうだけれど、もうそんな様子はない。すっかりみんなの中に溶け込んでいて、居心地よさそうに笑っている。

「ミノルは? 食べない?」

 聞かれて、田屋はゆっくりと首を振る。

「僕はもうお腹いっぱい。ほんと、すみれさんのごはんがおいしくて。いいなあ、みんなはこんなにおいしいごはんを毎日食べてるんでしょ? 羨ましいよ」

「じゃあ、ミノルもここに住む? スミレのごはん、毎日食べられるよ」

「それもいいね」

 ただの会話の流れとはいえ、すみれはちょっとドキッとする。そんなすみれには気づかないようで、田屋は栗やクルミをつまむみんなと、にこやかに話を再開した。

 すみれはなんだか、ふわふわした気持ちになって、それを落ち着けるために晩ごはんの片付けをしようと台所に戻ることにした。今はなにより田屋の顔をちゃんと見られそうにない。一言断りを入れて居間を離れると心なしかちょっと落ち着いたような気がした。

「僕にも手伝わせてください」

 けれど、それもつかの間、すぐに田屋がやってきて、すみれの隣に立つ。

「みんなのほうは、いいんですか?」

「はい。もうたくさん話しましたし、僕が手伝いたそうにしていたので、行ってきてと」

 ……う。そういうことなら仕方がない。聞くとにっこり笑って言われてしまい、すみれは「じゃあ、お願いします」と少し横によけて田屋にスペースを作った。

 水ですすいだ食器を田屋に布巾で拭いてもらいながら、すみれはふと、みんなはどこまで自分の気持ちに気づいているんだろうと思う。

 田屋と仲がいいことはわかっているはずだけれど、そこに恋愛感情も持ち合わせていることは、そういえば言っていない。聞かれたら答えるものの、わざわざ自分からは言わないし、照れくさすぎて言える気もしないので、みんながどこまで察しているか、すみれにはわからない部分が多い。

 でも、それならそれでいいかなとも思う。

 みんな気持ちのいい人たちだ。パンケーキとスムージーや、この前の里山でのフィールドワークのように、田屋とふたりで出かけだしたときにはもう、すみれの気持ちは言わなくてもみんなに伝わっていて、そっと見守ってくれているのかもしれない。

「そういえば、柿やカリンはどうなっていますか?」

「カリンは氷砂糖でシロップ漬けにして、柿は離れの縁側の軒下で干し柿にしている途中です。みんな、たくさん手伝ってくれたんですよ。出来上がりはまだ先なので、そのふたつは冬になってからですね。みんなも私も、今から冬が楽しみです」

 聞かれて、すみれはそのときの様子を思い出しながら答えた。

 フィールドワークに行った翌日、すみれがせっせと台所でなにかしているのを見て、みんなが自分たちもやってみたいと仕込みの手伝いを買って出てくれた。

 収穫した中身はその日のうちにお披露目していたし、スーパーとホームセンターをはしごして買ってきたのが、大量の氷砂糖と保存用の大きな瓶、ビニール紐だったため、すみれがなにをするつもりなのか、みんなすぐに合点がいったようだった。

 台所では切ったカリンの種やワタ取りを、居間では柿の皮むきを、といった具合に手分けして作業すると、本当にあっという間だった。皮をむいた柿の軸にビニール紐を結わえつけるのも一瞬と言っていいほどで、離れの縁側に持っていき軒下に吊るすと、その壮観な眺めに、みんなの顔にも、すみれの顔にも、満足げな笑みが広がった。

「冬はみかんやりんごをよく買っていたんですけど、今年は手作りの干し柿もあるので楽しみなことが増えました。カリンは喉にいいって言いますし、これからの季節においしく役立ってくれそうです。ふふ、私ったら、まだ食べられないのに、毎日まだかなーって眺めちゃって。それを見たみんなに、まだだよーって笑われちゃっているんです」

 言いながら、そういえば今日もそんな姿を見られたなとすみれは思う。柿やカリンを仕込んでから、ずっとわくわくが止まらない。まるで子どもみたいだなと自分でも思うけれど、待ち遠しくてたまらないし、待ちきれない気持ちも大きい。出来上がったらもちろん田屋におすそわけするつもりでいて、待ちきれないのはそのせいかもしれない。

 それくらい、出来上がりが楽しみだ。

「ほんと、これだから僕は――」

 すると田屋が小さくつぶやいた。その続きはすみれが食器をすすぐ水の音で聞こえなかったけれど、ちらと田屋をうかがうと、その横顔は和え物に里山で採ったクルミを使っていることに気付いたときに一瞬だけ見せた、あの泣き笑い顔だ。

「……田屋さん?」

 ドクンと心臓が鳴って、すみれは手を止めて田屋を見つめる。

 言葉の続きも気になるけれど、どうして今日はたびたび、そんな切なげな顔を見せるのか、もし話せることなら話してほしいとすみれは思う。

「いえ。もしすみれさんが嫌じゃなかったら、離れの干し柿、僕にも見せてください」

 けれど田屋は、ふーっとひとつ息を吐くと唐突にそんなことを言う。

「みんなの大作を僕も見てみたいです」

 そう言ったときにはもう、田屋の顔には切なげな色はどこにもなく、あるのは田屋が持っている穏やかで柔和な雰囲気そのままの、いつもの優しい笑顔だった。

 そんな田屋を不思議に思いつつも断る理由なんてなく、すみれはこくりと頷く。見られて困るものはないし、むしろ吊るしてある様子を見てもらいたいと思っていたからちょうどいいくらいだ。

「はい。それは全然」

「ありがとうございます」


 そうして後片付けを終えると、すみれは田屋を連れて離れへ向かった。みんなに「ちょっと干し柿の様子を見せてくるね」と一声かけ、玄関横のドアから離れへ入る。

 すみれが寝起きしている離れは、たちばな荘を継ぐ前は祖父母が自室として使っていた部屋だ。畳敷きの十畳一間で、もともとふたりで使っていたところを、すみれが使うことになった。ひとりで使うには広いくらいで、すみれは少し持て余し気味だったりする。

「これです、これです。吊るし終わった柿を見たときは壮観でした」

 それはともかく、廊下を進んで、軒下に吊るしてある干し柿まで田屋を案内する。すみれの部屋の襖を開けると目の前に柿がぶら下がっているので、すみれは毎朝、たちばな荘の誰よりも早く柿の様子を眺められる特権を得ている。

「おお、すみれさんの言うとおり、これはまさに壮観ですね」

「えへへ。みんなが吊るしてくれたんですよ。本当にありがたかったですし、この襖を開けると私の部屋なんですけど、朝一番に見られて、それも嬉しいです。晴れた日なんか、秋空と柿が映えてとってもいい眺めで。雨戸を開けて、そこに腰掛けてぼーっと眺めてみたり、庭の手入れをしつつ眺めたりしています。庭もそろそろ秋じまいですから、最近は日中は母屋じゃなくてこっちにいることが多いですかね」

 ずらりと並んだ柿を見て田屋が感嘆のため息をもらす横で、すみれも同じように柿を眺めて緩く唇に弧を描く。みんな本当によく手伝ってくれて、とてもありがたかった。

 離れも和風住宅をそのまま絵に描いたような造りをしていて、庭に面して〝濡れ縁〟と呼ばれる、縁側に似た場所がある。雨が降ると濡れてしまうことからそう名付けられたそうで、定義としては家の外壁よりも外側に飛び出している床部分のこと、だそうだ。

 そこの、屋根の裏側に水平に渡った柱に柿を吊るすときなど、みんなが手伝ってくれてどれほど助かったか。すみれひとりだったら、こんなにきれいには吊るせなかった。

「そうなんですね。僕もその場にいたら、絶対、一番役に立つ自信があったのにな。フィールドワークの次の日はシフトが入っちゃってたんですよね。残念です」

 そう言って田屋が肩をすくめて笑って、すみれもつられて笑う。

 田屋がいたら、役に立つどころではないだろう。すみれよりよっぽど精通しているはずだし、いろんなアドバイスをしてくれながら吊るしてくれたに違いない。

「そうだ。田屋さんが採ったぶんの柿や、ほかのものは? どうしたんですか?」

「もともとひとりぶんのつもりで少なく採ったので、今日持ってきた栗とクルミ以外は、もう食べちゃいましたかね。柿やカリンも、すみれさんと同じシロップ漬けと干し柿にしているところです。……といっても、僕の場合はサンルームで干しているんですけどね。洗濯物と一緒なので、びっくりするほど見栄えがしなくて、壮観とはほど遠いです」

 ふと気になって尋ねると、すみれと似た答えが返ってきた。同じころに同じものを仕込んでいたことがすみれはたまらなく嬉しく、自然と頬が持ち上がる。

 見栄えがどうこうなんて、そんなの関係ない。絶対おいしいに決まっているし、もしかしたら味も微妙に違うかもしれない。出来上がったらそれぞれ持ち寄って、みんなで味見をするのも楽しいだろう。そういえば田屋の手作りはキャンプのときのハーブソルトくらいなので、ぜひ田屋が作ったほかのものも味わってみたい。

「いえいえ。じゃあ、出来上がったらまたみんなで集まって味見しましょうよ。田屋さんの干し柿やカリンのシロップ漬け、私も食べてみたいです」

「いいですね。僕のもおいしくできているといいんですけど」

「そんな。田屋さんですもん、絶対に間違いないです」

「はは。プレッシャーだなあ」

「ええー?」

 そんなことを言い合いながら、すみれと田屋は自然と濡れ縁に腰掛け、ほぼ真上で緩い秋風にかすかに揺れる干し柿を見るともなしに眺める。

 後片付けまで一気にやってしまったけれど、お腹いっぱいでちょっと体が重い。座って少しゆっくりする時間を取らなければ、消化が追いつかないかもしれない。

「ちょうどいい風ですね」

「そうですね。目をつぶったら、このまま寝ちゃいそうです」

 頬を撫でていく心地いい風にそう言えば、隣に座った田屋は床に後ろ手に手をつき、顔を持ち上げて軽く目を閉じていた。頭上で柿が揺れて、廊下や、すぐ後ろのすみれの部屋につけた明かりでできた影が、田屋やすみれの顔にゆらゆらと揺らめく。

「ふふ。風邪引いちゃいますよ」

「ですよね。でも、そんなのはどうだっていいくらい、僕は今、幸せなんです」

 噛みしめるように言って、ふと田屋の顔がこちらを向く。その瞬間、ひどく真剣な目をしてすみれを見つめる田屋と目が合って、すみれの心臓は大きくドクンと跳ねる。

「すみれさん」

「……は、はい」

「今から大事な話をします」

 そう言われてしまえば、もう身じろぎのひとつさえできそうになかった。

 瞬きはおろか、呼吸さえ止まってしまいそうで、すみれは一瞬のうちに苦しいほど締めつけてくる胸の痛みをそのままに、かろうじて小さく頷くことしかできない。

 そんなすみれを見た田屋は、居住まいを正すとゆっくりと口を開く。

「すみれさんはいつだって、どんなことにも手間を惜しまないですよね。よく手入れされた庭も、たちばな荘の外観も中も、どれほどすみれさんが愛情を注いでいるか、一目見ただけでわかります。料理だってそうです。クルミの殻を割るのも大変だったでしょうし、柿やカリンを仕込むのだって、みんなが手伝ってくれたといっても、それなりに時間がかかったはずです。それをすみれさんは〝楽しかった〟〝出来上がりが楽しみだ〟って嬉しそうに言ってくれるじゃないですか。……そんなのもう反則です。というか、すみれさんはいつも反則ばっかりです。これだから僕は――僕は、すみれさんのことがどうしようもなく好きで好きで、たまらないんです。だから、僕と付き合ってもらえませんか?」

「……っ」

 その瞬間、すみれは今日の田屋に感じていた小さな違和感がすべてつながった。泣き笑い顔も、途中で聞き取れなくなってしまった『これだから僕は』の続きも、干し柿を見たいと言ったときの様子も、ここにつながることだったのかと急速に理解した。

 それでも頭で理解できても心が追いつかなくて、すみれはすぐには言葉を返せない。代わりにあふれてくるのは涙ばかりで、それを見て少し困ったように笑った田屋は、すみれに伸ばした手を一瞬ためらい、けれど覚悟を決めたように頬に触れると、親指でそっと涙をぬぐった。

 いつもみたいに一言断りを入れることなく触れてきた――それだけで田屋がどれだけ本気かがこれでもかというほど伝わって、すみれは涙が止まらない。

「……すみれさん。困っちゃうのであんまり泣かないでください」

「わ、わかってはいるんですけど」

「ですよね。すみません。でも、告白するなら今日にしようって思っていたんです。だから僕の気が済むまで言わせてください。好きです。好きです、大好きです」

「は、恥ずかしいですよ。こういうときにどうしたらいいかも、わからないんですから、お願いです、田屋さん。もうこれくらいで勘弁してください……」

 すみれの頬に手を触れたまま、優しい手つきで流れる涙をぬぐい続けて甘い言葉を紡ぐ田屋に、すみれはもう本当にどうしたらいいかわからない。田屋はすみれに泣かれると困ってしまうと言ったけれど、それはすみれも同じだ。こう何度も続けざまに好きだと言われてしまうと、声が喉につかえて返す言葉が出てこなくなってしまう。

 もちろんすみれだって田屋が好きだ。大好きだ。返事は〝はい〟以外ないし、田屋と付き合えたらどんなに幸せだろうと何度、思い描いたかもわからない。

 お互いに付き合っている人がいないことがわかってからは、ゆっくりゆっくり田屋との関係を深めていけたらいいと思いつつも、あんまりのんびりしていたら、いつの間にか田屋に恋人ができてしまうかもしれないと焦る気持ちも持ち合わせはじめていた。

 だから、田屋に好きだと言ってもらえて、付き合ってほしいと告白されて、これ以上ないくらいに嬉しくて、幸せな気持ちで胸がいっぱいで、涙が止まらない。

 そして、早く自分も同じ気持ちだと――好きだと伝えなければと、そう強く思う。

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