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「こんばんは。お言葉に甘えて来ちゃいました。これ、この前の栗とクルミです。栗は茹でて、クルミは素焼きなんですけど、よかったら、みんなでどうぞ」
「……こ、こんばんは。ご丁寧にありがとうございます。い、いただきます」
「はい。どうぞ召し上がってください」
それから三日ほどして、午後七時を過ぎたころに田屋がたちばな荘にやってきた。
図書館の仕事を終えて直接ここへ来たのだろう、いつも通勤に使っている大きめの黒いバックパック姿の田屋は、まごつきつつ玄関先で出迎えたすみれに右手の紙袋に入っていたらしいタッパーを取り出して見せながら中身を説明してくれた。
次会ったときにどんな顔をしたらいいだろうと、そればかりを考えていたけれど、田屋のほうは、この前のあれはなんだったんだろうと思わず拍子抜けするほど、普段と変わった様子は見受けられない。たちばな荘のみんなもいる前だからと考えられなくもないけれど、夢を見ていたんだと思ったほうがいくぶん納得もいく、いつもどおりぶりだ。
「田屋さんは中に入るのは初めてですもんね。えっと、玄関横のこのドアが私が寝起きしている離れにつながっていて、反対側の階段を上っていくと、みんなの部屋があります。この廊下の突き当たりがフリースペース――居間ですね。みんながくつろぐ場所になっていて、そこと間つなぎで台所と食卓、という間取りになっています」
ほっとしたような、なんとなく残念なような気持ちで田屋を案内する。自分のペースが安定するぶん、田屋がいつもの田屋で助かるけれど、それはそれで物足りなくも感じてしまって、すみれの心の中は複雑だ。
そんなすみれを知ってか知らずか、やや後ろを付いてくる田屋は、珍しそうに周りに目をやりつつ「外観もですけど、中もすごくすてきですよね。僕の部屋とは大違いです」と和風住宅に興味津々の様子でにこにこ笑っている。
とはいえ、気に入ってもらえたようで、なによりだ。
ここはすみれが誇りに思う場所で、田屋が誇ってほしいと言ってくれた場所だ。昔ながらの日本住宅は最近では珍しくなってしまったのもあるけれど、すみれが大事に思っているものを田屋も同じように感じてくれていることが、とびきり嬉しい。
「もうそろそろ晩ごはんの時間なので、みんな、居間にいると思いますよ。田屋さんもどうぞそちらで待っていてください。キャンプ以来ですもんね、みんなに会うの。みんなも今日、田屋さんが来てくれるって聞いて、すごく楽しみにしているんです」
廊下の突き当たり、居間に続くドアに手をかけながら、すみれは田屋を振り返る。
今朝、たちばな荘の前の道路で通勤途中の田屋と会ったのだけれど、そのとき『仕事が終わったら食べに行きますね』と言われて、その後の朝食の席で田屋が来ることをみんなに伝えていた。みんな、また田屋に会えることをすごく喜んでいて、里山のお礼もしたいということだった。きっと今か今かと首を長くして待っているだろう。
「わかりました。でも、人手が必要なときは遠慮なく呼んでくださいね」
「はい。あ、それなら味見をお願いしたいです。いいですか?」
「もちろんですよ」
「ありがとうございます」
そんなやり取りをして、居間のドアを開ける。
すみれに続いて入ってきた田屋を見るなり笑顔になるたちばな荘のみんなは、今日も手放しでウェルカムだ。あっという間に輪の中に引きずり込まれるようにして熱烈な歓迎を受ける田屋も、みんなのテンションに乗って自然と身振り手振りが大きくなっている。
みんなもだけれど、田屋も友だちが増えて楽しそうだ。すみれは、そんな彼らの賑やかな話し声を聞きながら、佳境に入っていた晩ごはんの準備を再開することにした。メインはもう出来上がっていて、あとは味噌汁と、途中だった副菜を用意するだけだ。
今日のメニューは、秋鮭のハーブソルト焼きに、ブロッコリーとにんじんのクルミ和え、茶わん蒸しに、栗ときのこの炊き込みご飯、具だくさん味噌汁だ。
ハーブソルトはキャンプのときに田屋が手作りで持ってきてくれたのが、とてもおいしくて、あとでレシピを教えてもらったものだし、和え物のクルミは里山で採ってきたものを使っている。炊き込みご飯と味噌汁にも里山の秋の幸が入っていて、栗はもちろん、きのこも里山で採ったものだ。味噌汁にはきのこのほか、大根、にんじん、ごぼう、さつまいも、こんにゃく、豆腐、白菜、油揚げ、ネギも入っていて、まさに具だくさんだ。
茶わん蒸しには銀杏も入れたかったものの、あいにく里山にはなかったし、今日行ったスーパーでも見つけられなかった。せっかくだから全部の料理に秋を感じる食材を使って田屋をおもてなししたかったのだけれど、そこだけが心残りだ。
それでも、すみれなりに精いっぱい心を込めて準備した。田屋の笑顔が見たくて、おいしいの一言が聞きたくて、今日はずっと晩ごはんのことを考えていたくらいだ。
「よし。だいたい、いいかな。田屋さん、味見をお願いしてもいいですか?」
コンロにかけた具だくさん味噌汁の鍋の火を止め、居間の田屋を呼ぶ。
自分でも確かめたけれど、田屋にも味を見てもらいたい。きのこの出汁が効いて〝秋の味〟になっているものの、もうひと工夫あるならぜひ教えてほしい。
「お待たせしました。なにを味見しましょう?」
「味噌汁なんですけど、味噌加減と、あとはもうひと工夫あるならと思って」
みんなの輪を抜けて台所へ来てくれた田屋に小皿に取った味噌汁を渡す。「どれどれ」なんて言って受け取り、ふーふーと息を吹きかけて小皿に口をつける田屋の反応をドキドキとうかがいつつ、すみれは、田屋ならどんな工夫をするだろうと考える。
前に辛い鍋を食べると言っていたから、一味やキムチをちょい足しするだろうか。
「味噌加減もちょうどいいですし、きのこの出汁も効いていて、おいしいですよ。もうひと工夫ってことですと……そうだな、次の日に温め直すとき、豆乳とバターを入れると味変が楽しめますよ。クリーミーになりますし、体もぽかぽかすると思います」
すると、すみれに皿を返した田屋が予想に反してそう言う。
「豆乳とバター、ですか?」
「はい。僕はわざと多めに作って味変するときもあります。バターのコクも出て、いつもとひと味違う味噌汁になるんですよ。まだ試したことがなかったら、すみれさんもぜひ」
ぱちぱちと目をしばたたかせて聞き返すと、田屋は自信たっぷりにおすすめする。
てっきり辛みを足すものだとばかり思っていたけれど、そんな工夫の仕方があったとは思いもよらなかった。しかも味変のために多めに作るというから、どんなにおいしいだろうと想像が膨らんでいく。なんたって田屋のおすすめだ。絶対においしい。
「さっそく明日、やってみます。どうしよう、想像しただけで、もうおいしいです」
「はは。気が早いですよ。でも、おいしいのでぜひ。なので、今日はこのままで」
「じゃあ、そうします」
豆乳もバターも冷蔵庫に買い置きがある。明日の朝が楽しみだ。
「そうそう。この味噌汁のきのこ、里山で採ったもののラストなんですよ。あのときはだいぶ採ったなって思っていましたけど、もうこれで終わりなんです」
「やっぱりそうですよね。だったらなおさら、今日はこのままでいただきましょう」
「ですね」
きのこを使いきる目処は、冷蔵庫の場合はキッチンペーパーで包んで保存袋に入れて一週間くらい、だったはずだ。スーパーで買ったものも同じようにして保存すると鮮度や風味が落ちずにおいしく食べられるということで、里山の帰りに田屋に教えてもらっていた。水分に弱く、そこから痛みはじめてしまうきのこを守るためだという。
帰ってさっそく、その日に使うぶん以外のきのこは田屋に教えてもらったとおりに保存したし、これからスーパーで買ったときも、ひと手間加えてから冷蔵庫に入れようと思う。みんなの胃袋と健康を預かる料理番として、できることは全部やりたい。
田屋と笑い合って、すみれは台所をぐるりと見回す。
秋鮭もフライパンの中で焼けているし、炊き込みご飯もできている。和え物も小鉢に人数ぶん盛り付けてあるし、茶わん蒸しも蒸し器の中でぷるんぷるんの食べごろだ。
「田屋さんに味見もしてもらいましたし、今日の晩ごはんはこれで完成です。あとはテーブルに並べるだけですね。もうちょっとだけ待っていてください」
「いえいえ。お手伝いしますよ。どんなごはんか、僕も早く見たいです」
「ふふ。そういうことなら一緒にお願いします」
「お任せください」
ということで、田屋はそのまま台所で盛り付けを手伝ってくれることになった。
フライパンの蓋を取るなり香った鮭とハーブソルトの食欲をそそるいい匂いに頬を緩ませつつ「この匂いは僕が教えたレシピですよね。嬉しいなあ」とこぼしたり、炊き込みごはんをよそうすみれの横からひょっこりのぞき込んで「栗ときのこ! しかも炊き込みごはんじゃないですか!」とぱっと目を輝かせたりと、田屋はなんだか忙しい。
そのたびにすみれは笑って「そうですよ。なににでも合うので万能ですよね」とか「これも里山で採ったものですよ」なんて返しながら、今度は手にミトンをはめて蒸し器から茶わん蒸しを取り出す。その横では田屋がお盆に和え物の小鉢を乗せていて、その手を止めると「……もしかして、このクルミもですか?」と尋ねる。
「はい。もちろん里山産ですよ。炒って香りを出してから荒く刻んだんです。せっかく田屋さんが来てくれるので、できるだけ一緒に採ったものを使いたくて」
「っ。まさに〝里山の秋尽くし〟ですね!」
照れ笑いしつつ答えると、けれど田屋は一瞬だけ押し黙って、すぐに相好を崩す。
そのほんの瞬きひとつの間に見えた田屋の表情は、明るい声とは反対の、くしゃりとした泣き笑い顔だ。けれど、どうかしたんですかと聞くより早く田屋はお盆に乗せた小鉢を持ってテーブルのほうへ行ってしまって、すみれもまた、熱々の茶わん蒸しを取り出すのに悪戦苦闘中だったため、聞くタイミングを逃してしまう。
「いただきます!」
「いただきマース!」
「はーい。どうぞ召し上がれ」
そのまま晩ごはんがはじまって、すみれも田屋の隣で席に着く。さっき一瞬だけ見えたあの顔はなんだったんだろうとは思うものの、田屋があんまりおいしそうに料理を口に運んでいくため、そのうちすみれも、それほど気にならなくなっていった。
二十分もすると、田屋もみんなも、すみれもお腹いっぱいになり、全員で「ごちそうさまでした!」と手を合わせて〝里山の秋尽くし〟の晩ごはんは終わった。
居間で料理を待つ間も、食べている席でもみんなに話しかけられっぱなしの田屋は、それでも炊き込みごはんを二回おかわりしたし、具だくさん味噌汁も二杯、大盛りでぺろりと平らげた。秋鮭も茶わん蒸しも、和え物もそのとおりで、隣で一部始終を見ていたすみれは、田屋の胃袋はいったいどうなっているんだろうと何度思ったかわからない。
キャンプのときも思ったけれど、もしかしたら田屋は、たちばな荘の誰よりもよく食べるかもしれない。それはすみれにとってとても嬉しいことで、作り甲斐や食べさせ甲斐をたくさん感じさせてくれる田屋を、すみれはやっぱり好きだと思うことに終始した。
「みんな、田屋さんからの差し入れだよ。茹で栗と素焼きのクルミだって」
食後のデザートにどうぞ、と居間でくつろぎはじめたみんなに皿に乗せた栗とクルミを持っていく。栗は鬼皮ごと縦半分に切って、スプーンで中をほじって食べてもらうことにして、クルミはそのまま爪楊枝で差してもらおうと思う。
栗の茶色い硬い皮のことを鬼皮と言うそうだけれど、茹でてあるので柔らかく、切るのに手間はかからなかった。クルミはあとで砕いたローストアーモンドと混ぜて簡単お菓子のタフィーにしようか悩んだものの、素焼きの香ばしさを味わうのもまたおいしいだろうと考え直して、今日はそのまま出すことにしようと思った。
きのこと同じく栗も今日の晩ごはんで使い切ってしまったけれど、クルミはまだすみれが採ったぶんが残っている。タフィー作りに必要なはちみつをちょうど切らしてしまっているし、それでなくても、今から作ると食べるのは明日になってしまう。
タフィーとは、はちみつや砂糖、牛乳少量、有塩バターを、フライパンでカラメル色になり、ゆっくりと泡が立つようになるまで木べらで混ぜ、そこにクルミやアーモンドを入れて作るお菓子だ。クッキングシートを敷いたバットに平らに広げて冷まし、固まったら適当な大きさに割って完成になる。
作り方は簡単だけれど固まるまでどうしても時間がかかるので、やっぱり今日には向かない。すみれのクルミで作ったタフィーは後日、田屋に差し入れることにして、今日は田屋のクルミをみんなでいただこうと思う。
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