■第三話 手間を惜しまず伝えましょう 1

 秋は穀物や果物などの収穫が多くなる季節のために〝実りの秋〟と言われたりするけれど、野草にとってそれはシーズンの終わりを意味する言葉だそうだ。

 田屋が言うには、野草は冬の終わりから初夏にかけてが一番多く採れるそうで、平たく言うと春がシーズンらしい。地域の差はあってもどこもだいたい同じで、その話を聞いてすみれは最初、もう終わりなのかと驚いたし、ちょっとだけがっかりしてしまった。

 その落胆ぶりは田屋に「春になったらいっぱい出かけましょうね」と言われてしまうほど、すみれの顔に出ていたらしい。子どもみたいで恥ずかしいと思いながら、でもまた新しい約束が積み重なっていくことに、すみれはどうしようもなく嬉しさが込み上げた。

 とはいえ、なるほどなと納得もした。

 春は辺りいっぱいが緑にあふれる、芽吹きの季節だ。夏は春に芽吹いた草木がぐんぐん生い茂る。秋は夏に蓄えた養分で種子を作り、冬は春を待ちわびて静かに耐え忍ぶ。季節ごとに自然の装いはさまざまで、四季折々の風景が人々の目を楽しませてくれる。

 それはたちばな荘の猫の額ほどの庭でも、遠くイギリスの今は亡きグランマ自慢の〝ひみつの花園〟でも、普段何気なく目にしている景色のそこここでも、静かに、けれど確かに営まれている。自分たち人間はその自然からちょっとずつ〝おすそわけ〟してもらっているに過ぎないのかもしれないなと、すみれは田屋の話を聞いて思った。

 とりわけ野草は自然からすべて〝おすそわけ〟してもらっている。自然の営みに横から割って入るなんてことはできないし、それは人間のわがままかもしれないとも思う。


 みんなで行ったキャンプの帰り、田屋とふたりで出かける約束をした。実際に出かけたのは約束から約二週間後と少し間隔が空いてしまったものの、その間に田屋が探してくれたパンケーキとスムージーのお店は口コミでもおいしいと評判らしく、一口食べたすみれの顔にも、田屋の顔にも、あっという間に幸せな笑みが広がった。

 すみれにはやっぱり、田屋には汗をかきながら辛い鍋を食べる姿より、おしゃれにパンケーキにナイフを入れる姿のほうが似合う気がしたけれど、機会があれば鍋をつつく姿も見てみたいと思った。冬になったら誘ってみてもいいかもしれない。きっとおいしい鍋の作り方を知っているだろうし、鍋を囲むときは大人数のほうが盛り上がる。

 その席で野草のシーズンはいつまでなのかとすみれが尋ねた答えが、秋までということだった。「春を待つのも楽しみが増えていいですけど、栗やきのこが採れるころになったらフィールドワークに行きませんか? もうそろそろですよ」と田屋が誘ってくれて、来年の春を迎える前に今シーズン最後の野草探しに出かけることになった。

「といっても、野草より木の実やきのこ類がメインになっちゃいますけど……それでもよかったら、すみれさんを連れていきたいところがあるんです」

 そんなふうに言われてしまっては、断れるはずもない。もとよりすみれの返事はイエスしかないのだけれど、それにしたって誘い方がかわいすぎる。連れていきたいところ、というのもすごく気になるものの、きっとすてきな場所に違いないとすみれは思う。

 着いてからのお楽しみ、といったところだろうか。十月ごろが採りに行くにはいい時期だそうで、それまでの間、すみれは指折り数えてその日を待つこととなり――。


 *


「ここです、すみれさん! 今日のフィールドワークはこの里山です!」

 十月に入ったとある週末、待ちわびたその日は郊外ののどかな風景の中ではじまった。

 田屋がまた車を借りてくれて、それに揺られること一時間ほどだろうか。

 車がじゅうぶんにすれ違えるくらいの砂利道にレンタカーを停めた田屋に続いて、すみれも車から降りると、ぱっと両手を広げて満面の笑みを作った田屋に、すみれの顔にも笑顔が広がった。見渡す限りの里山の風景が、目に心に美しい。

「ここではなにが採れるんですか?」

「栗にイチジク、カリンに柿、ムカゴや自然薯、きのこも、クルミも採れます!」

 田屋のあまりのかわいらしさに思わず「ふふ」と笑ってしまいながら聞くと、田屋はさらに笑みを深めてそう答えるから、すみれはもうおかしくてたまらない。

 野草の話をしているときもそうだけれど、実際にそれを目の前にしたときや、さあこれから採るぞといったときの田屋は一気に少年に戻る。普段の落ち着いた印象からは想像もつかないような変わりぶりは、それだけ野草が好きなことの裏付けに違いない。

 そして、田屋のそんな顔を間近で見るたびに、すみれはいつも心がほんわかする。今では田屋公認で趣味になった〝食べられる野草探し〟は、そうして今日も少年に戻った田屋の先導のもと、すみれもわくわくしながらはじまることとなった。

「それにしても、ここは採れる種類がたくさんなんですね。スーパーで見かけるような秋の味覚がこんなに身近にあるなんて、まるで宝箱みたいです」

 砂利道を並んで歩きながら、すみれはたまらず、うっとりとそう言った。

 田屋が挙げた秋の味覚たちは、どれも代表格ばかりだ。自生していることは知っていてもどこに行けば採れるのかわからなかったり、人の手で栽培されているものが多いこともあって、クレソンのときと同様、すみれはどうしても〝スーパーで買うもの〟というイメージが先行してしまう。けれど田屋が連れてきてくれたこの里山には、それがあるという。しかも楽しそうな口ぶりからすると、たくさんだ。うっとりだってするし、宝箱と言わずになんと表現したらいいのか、すみれにはすぐには言葉が浮かばない。

 スーパーで見かけないのはムカゴや自然薯だろうか。

 すみれも本で読んで知識はあって、簡単に言うとヤマノイモの葉の付け根に付くのがムカゴなのだそうだ。本に載っていた写真の印象では、皮が黒っぽい小さなじゃがいも、だろうか。ヤマノイモの根の部分が自然薯と呼ばれるもので、昔から滋養強壮に食べられてきた。山芋やとろろ芋、長芋とも呼ばれるけれど、日本原産の山芋だけを〝自然薯〟と言うそうで、野山に育った自然の自然薯は希少価値が高いということだった。

 もしかしたら、そんなムカゴや自然薯も見つかるかもしれない。そう思うとすみれの足取りは自然と軽くなって、期待に胸が膨らんでいく。ひょっとすると田屋に現金だなと思われるかもしれないけれど、一度は食べてみたいし、たちばな荘のみんなにも食べさせたい。栗もイチジクも、カリンも柿も、秋の味をみんなで味わい尽くしたい。

「宝箱……本当にそうですね。里山って、集落とか人里に隣接した結果、人間の影響を受けた生態系が生まれた山のことを言うそうなんですけど、ここはまさにそうですよね。草木を整えて光が差し込めるようにしたり、土地を耕して畑や田んぼを作ったり。そうして人間がひと手間加えることで生育環境がよくなって、たくさん実をつけてくれるようになったり、自生する場所が増えたりした植物たちがここには豊富にあります。感謝しておいしくいただかないと、バチが当たっちゃうかもしれません」

「ですね。私たちは自然からおすそわけしてもらいに来たんですもんね。いっぱいあるからって全部自分のものにしたら、欲張るなって怒られちゃいます」

「はい。それ、すごく大事な考えですよ。なんでも〝ほどほど〟です」

「今必要なぶんだけ、ですよね。ふふ、わかっています」

 とはいえ、すみれも目に映ったもの全部を持って帰ろうとは思っていない。〝秋の味を食べ尽くしたい〟というのは、量ではなく種類のほうだ。いろんな植物から少しずつおすそわけしてもらって、みんなでおいしくいただきたい。そこにはもちろん田屋も入っていて、料理のし方を教えてもらいながら作って一緒にテーブルを囲めたらいいなと思う。

 そのためにはまず〝宝箱〟を見つけなければいけないのだけれど――。

「すみれさん、すみれさん、さっそくありましたよ。さっき話したものではないんですけど、あそこに赤や黄色の実が付いてる木があるの、わかります? あれ、キイチゴです」

「わあ、ほんとだ。……でも、ちょっとだけですね」

 砂利道の少し先、田屋の指さすほうを見ると、低めの木から伸びた枝葉の間に小さなつぶつぶの実が付いていた。けれど実の数は少なく、キイチゴといえばジャム、と頭が働いたすみれは、とたんにしょんぼりした声になってしまった。

 小さい頃、母に読み聞かせてもらった絵本の中にキイチゴのジャムが出てくる話があった。森の動物たちがせっせとキイチゴを集めて大きな鍋でジャムを作るその絵本がすみれはとにかく好きで、何度も母にせがんで読んでもらった記憶がある。

 クマは一度にたくさんの、リスやウサギはちょっとずつ、そうやって集めたキイチゴで作ったジャムを、森の動物たちみんなで仲良く分け合う話だ。

 機会があればすみれもぜひ作ってみたいもののひとつだったけれど、どうやら収穫にはちょっと遅かったらしい。また来年ねと、すみれは名残惜しい気持ちでそれを眺める。

「もうだんだんと冬支度をはじめる時期になってきましたからね。キイチゴは夏に実を付ける植物ですから、十月に入ってもまだ実が付いていることのほうがすごいくらいです」

「そうなんですね。いっぱい実がなっていたらジャムにしたかったんですけど、それはまた来年ですね。楽しみは先に取っておくことにしようと思います」

「それがいいですね。キイチゴの実がたくさん付くころになったら、また一緒にここに来ましょう。ジャムもぜひ味見させてください。たちばな荘のみんなもきっと大喜びです」

「はい。喜んでもらえるように愛情込めて作ります」

 当たり前のように約束してくれる田屋に、すみれの胸はなんとも言えない幸福感に包まれる。趣味仲間として誘ってくれているのか、それとも別の意図もあって誘ってくれているのかは、すみれには判断のしようもないけれど、もし後者だったとするなら、こんなに嬉しいことはない。

 田屋といると、とにかく楽しい。もっともっといろんな話がしたいと思うし、いろんなところへ出かけたい。一緒に料理だって作りたいし、一緒にテーブルを囲みたい。ずいぶん欲張りになったなと自分でも思うけれど、田屋のことが好きなんだとはっきり自覚している今となっては、それも仕方がないと思うようになった。

 田屋の言葉はいつも、すみれの自信が持てなかったり後ろ向きだったりする部分を優しく包み込んでくれる。それがどんなにすみれの胸の中にともしびのように温かい光を灯してくれるか、いっそのこと中を開けて見せてあげたいくらいだ。

 田屋はもう、すみれにとっても、たちばな荘のみんなにとっても、なくてはならない存在になっている。そんな田屋とずっと穏やかに日々を積み重ねていけたら、なんて幸せなんだろう。ここ最近、すみれにはそう思うことがとても増えていた。

「じゃあ、来年のためにちょっと味見だけ。すみれさんも、どうぞ」

「ありがとうございます。わっ、小さくてかわいい」

 キイチゴの木に近づいた田屋が実をふたつ取って片方をすみれの手に乗せてくれた。思っていたより小さいそれは、すみれの手の中でころんと転がる。

 よく見ると、つぶつぶの隙間から短くて柔らかいトゲが生えていた。本で確かキイチゴはバラ科だと書いてあった気がしたけれど、こちらはトゲといってもかわいいトゲだ。

「フィールドワークの醍醐味って、つまみ食いができるところもあると思うんですよね」

 そう言った田屋が、キイチゴをぱくりと口に放り込む。すぐに酸っぱい顔になって、飲み込むなり口をすぼませながら目をぱちぱちとしばたたかせる。

「ふふ。確かに。つまみ食いはフィールドワークの特権ですね」

 田屋の表情の変化に笑いながら、すみれもキイチゴを口に含む。つぶつぶがプチプチ弾けるのと同時に舌の上に甘さが広がって、それを酸っぱさが追いかけてくる。トゲもこれといって気になるほどではなく、後味はまさに甘酸っぱい。

「んー、甘酸っぱくておいしい」

「きっと、とびきりのジャムになりますね」

「来年が待ち遠しいです」

 目が合って、すみれと田屋はどちらからともなく微笑み合った。そのとたん、キイチゴの味と同じ甘酸っぱい気持ちが胸の中に広がって、なんともこそばゆい。

「さて。つまみ食いもしたことですし、どんどん行きましょう。もう少し行くと栗の木があるんです。近くにカリンの木もあるので、栗の甘露煮、栗ご飯、カリンのシロップ漬けやフルーツソースなんかも作れますよ。秋の味覚が目白押しです!」

「わあ、それは嬉しい!」

 田屋が張り切った声で言って、すみれも胸の前で両手を合わせて応える。目白押しとなれば採りに行かないわけにはいかない。

 もちろん〝ほどほど〟ではあるけれど、持ち帰った秋の味たちを使って腕によりをかけて作った料理に目を輝かせるたちばな荘のみんなの姿が目に浮かんで、田屋のあとに続くすみれの足取りはすこぶる軽かった。

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