*


「――うん。だいたい焼けたかな。みんな、お待たせ! どんどん食べてね!」

「わあ! おいしそうダネ‼」

「待ってマシタ! イタダキマース!」

「どうぞ召し上がれ」

 やがて十七時を過ぎた頃になると、午後をめいめいに過ごしていた、たちばな荘のみんなが自然と戻ってきて、彼らの手にはバケツに入った魚や売店で買ったお土産があり、表情を見ても一目で充実した時間を過ごしたことが簡単にうかがえた。

 準備をはじめるには少し早いかなと思ったものの、全員が揃ったことで場の流れは〝本日のメインイベント〟へ向かい、魚をさばいたり持ってきた野菜を洗ったり、肉を切ったり炭を起こしたり……みんなでやいのやいのと進めていくうちに、あっという間に目の前には鉄板の上でおいしそうに火が通ったバーベキューメニューが広がった。

 最後に軽く焼き色を確かめて声をかければ、次々にみんなの箸が伸びてくる。そんなに急がなくてもと思わず苦笑してしまうほど、紙皿と鉄板を往復するスピードは速い。

「スミレ、おいしいネ! いくらでも食べれちゃうヨ!」

「うん。外で食べるとまた違うね」

 紙皿にこんもりと肉や野菜を乗せたマルちゃんに言われ、すみれも笑って頷く。

 本当にそうだと思う。

 いつも以上に食が進むし、自然と気持ちも解き放たれる。たちばな荘のみんなや田屋や、自分たちと同じようにバーベキューをはじめた家族連れや友だち同士の集まりなど、ちょっと見回しただけで誰の顔からも開放感があふれているのが目に映って、そしてそれは自分も同じだと、取り分けた肉や野菜を口に運びながら、すみれは思う。

 その様子を眺めていると、ふいに、もしかしたら肩に力が入りすぎていたのかもしれないなとすみれは思った。すみれは今日まで、どういう料理を作ったら食欲が減退してしまいがちな夏でも食べてもらえるかばかりを考えていたように思う。食材や味付けで〝食べたい〟意欲を引き出そうとしてみたり、見た目や盛り付けでみんなの食指を動かそうとしてみたりと、アプローチのしかたが偏りがちだったのかもしれない。

 もちろん栄養面や健康面を考えて作っていたし、けして無理に〝料理〟としてテーブルに並べるようなことはしなかった。この季節にしては箸の進みもいいくらいで、すみれのちょっとした創作料理は、そうしてみんなのお腹に収まった。

 でも、場所を変えるだけで、外で食べるだけで、こんなにも違う。

「……すみれさん? どうしたんです、ぼーっとしちゃって」

 少しだけ物思いに耽ってしまっていたらしい。いつの間にか隣に田屋が並んでいて、紙皿を持ったまま次に箸を伸ばさないすみれの顔を心配した様子でうかがっていた。

「いえ。キャンプに来れて本当によかったなって、しみじみ思って」

「僕もですよ。今日はなんていい日なんだろうって思ってます」

「ふふ、私もです。でも、それだけじゃありません。ここ最近は特に、みんなをお腹いっぱいにしなきゃって力が入りすぎていたように思います。けど、そういうことだけじゃないんだなって気づくきっかけをもらいました。それは田屋さんのおかげです」

「僕の、ですか?」

 不思議そうに自分の顔を指さす田屋に、すみれは頷く。

「こんなふうにいつもと違う食べ方をするだけで、みんなの様子が全然違うんです。同じものを食べるのは変わりません。でも、そうなるまでの過程だったり、場所の特別感だったり外の開放感だったり、そういうものが隠し味にもなるんだって思ったんです」

 そんな簡単なことになんでもっと早く気づかなかったんだろうと思うと、ちょっとだけ、後悔する気持ちのほうが先に立ってしまう。

 これまでも歓送迎会や誕生日や、お祭り、正月、ハロウィンにクリスマスなど季節やイベントごとにみんなでテーブルを囲んできた。そのどれもがすみれにとってすてきな思い出になっていることは間違いない。けれど、みんなで遠出をしたり、協力し合って一から料理を作ったりなんていう発想は、なかった。

 それはけして自分ひとりで作ったほうが進みがいいとか、分量や調理方法にきちんとした決まりがあるとか、そういうことではなくて、そもそもが古い建物なので台所が狭かったり、大学生活で忙しい彼らに少しでも多く休息を取ってもらいたい、栄養や健康の心配はしなくていいと料理で伝えたかったから、という気持ちが大きい。祖父母の代からのその思いにすみれもひどく感銘を受けたし、丸ごと引き継いでいきたいと思った。

 けれど、それだけじゃない。

 料理の隠し味は、たちばな荘の外にもたくさんある――。

 そのことに気づかせてくれた田屋は、大げさかもしれないけれど、すみれの救世主だ。

「……隠し味、ですか。いい表現ですね。じゃあ僕は、スパイスでしょうか」

 言うと田屋は、空っぽのままのすみれの紙皿に焼けた肉と、日中、遊歩道から入れる小径を進んだ先の小川でふたりで摘んだクレソンを乗せた。クレソンに塩、こしょう、サラダ油、お酢を混ぜた簡単なドレッシングをかけると、どうぞと目線だけで促す。

 付け合わせもいいけれどサラダで食べようということになって、縦半分にしたミニトマトや千切りにしたニンジン、細切りパプリカを散らしてサラダを作っていた。肉には塩こしょうで下味をつけているので、そのままでもいいし、タレをかけ足してもいい。

 少しだけ迷って、すみれはまず、クレソンのサラダだけを口に運ぶことにした。正式に〝趣味〟になって初めて採った野草の味をできるだけシンプルに味わってみたかった。

「――ん、ピリッと辛い。あ、苦味も。なんていうか、風味がスパイシーです。それと、ちょっと土の香りもするような気が……。クセになっちゃいますね、これ」

「お口に合いました?」

「はい、とっても」

 聞かれて素直に頷く。

 辛味と苦味がほどよく口の中に広がって、香りとともに爽やかに鼻に抜けていく。

 トマトやニンジン、パプリカの味も加わって、それをドレッシングがひとつにまとめてくれている。肉と一緒に食べたら、また違う味わいを楽しめそうだ。

「それはよかった。いわゆる香草ですから、好みが分かれるところではありますよね」

「ですね。けど、私は好きですよ」

「僕もです。ちょっとした薬味にも使えますし、油で炒めたり、茹でて酢みそ和えや白あえ、ごま和えなんかも美味しいです。もちろん肉と一緒に生食しても」

 どうぞ、と二口目を促されて、すみれは今度は肉と一緒に口に運んだ。肉につけた下味とクレソンにかけたドレッシングだけでも十分、おいしく食べられそうだ。

「んん、合いますね。一緒に食べると、お肉がスッキリするっていうか」

 口の中で肉とクレソンの味が合わさって、こちらもまたおいしい。

 肉の脂でこってりしそうなところを、スパイシーな風味と柔らかい葉やシャキシャキの茎がほどよく中和してくれる。食感の違いもプラスされて、口の中が楽しい。ドレッシングに使ったお酢の酸味も効いていて、いいアクセントになっている。

「おいしいですか?」

「とっても。さっきマルちゃんも言っていましたけど、いくらでも食べられそうです」

「ははっ。それはなによりです」

 お世辞でもおべっかでもなく、本当にそう思う。フィールドワークに出かけたりバーベキューの準備で動き回ってお腹が空いていたのもあるけれど、なにより〝隠し味〟がすみれの食欲を掻き立ててくれる。そして、今日のこの機会を提案してくれた田屋という〝スパイス〟が、偏りがちだった思考にいい方向に刺激を与えてくれた。

「どうでしょう、スパイス的な役割になれましたかね、僕」

 そう言う田屋に、もちろんです、とすみれは大きく頷く。

 これからもみんなの健康を預かる料理番として試行錯誤は続くだろう。ときには上手くいかなかったり失敗することもあるかもしれない。それでも、今日の出来事をとおして気づいたことや感じた気持ち、思い出が、すみれの道しるべになることは間違いない。

「はい。とってもすてきな刺激をもらいました」

 笑って言うと、田屋も嬉しそうに笑い返してくれた。


 やがて日が落ち、周りでバーベキューを楽しんでいた人たちが片付けをはじめると、すみれたちも、そろそろ帰る準備をしようということになった。

 たちばな荘のみんな、すみれや田屋もお腹いっぱいの大満足で、多めに準備してきたはずの肉や野菜は全部使い切ったし、川で釣った魚も頭と骨を残すだけ、小川で摘んだクレソンのサラダも、皿の上からきれいさっぱりなくなっていた。

 鉄板もそのとおりだ。ピーマンやパプリカ、トウモロコシにナス、カボチャや枝豆といった夏野菜を中心に、玉ねぎ、しいたけ、じゃがいも、アスパラガスなどバーベキューに欠かせない野菜もたくさん用意してきたけれど、見事にみんなの胃袋に収まった。

 中でも、塩こしょうで下味をつけた肉とは別に、田屋特製のハーブソルトで下味をつけた肉のおいしさは絶品で、焼けたそばからすぐにみんなの箸が伸びてくるほどだった。

 魚にまぶしても野菜にかけてもおいしくて、味がぱっと華やかになる。たまらなくなり、どんなハーブや塩を使っているのか尋ねると、田屋は快く『あとでレシピを渡しますね』と約束してくれて、すみれは「はい!」と満面の笑みで頷いた。

 帰りの車中では、最初、キャンプの感想や楽しかった出来事を話すみんなの賑やかな声があふれていたけれど、三十分もすると徐々に寝息のほうが目立つようになっていった。助手席に座るすみれがそっと後ろの様子をうかがってみれば、みんな揃って夢の中だ。

「みんな、遊び疲れて眠っちゃったみたいです」

 ふふと小さく笑い声をこぼしながら、前に向き直る。

 まるで電池切れを起こした子どもみたいで、みんなかわいらしい。たちばな荘のみんなでした初めての遠出にはしゃぎ疲れてしまったのだろう、彼らの日に焼けた頬や腕が、今日がどれだけ楽しい思い出になったのかを雄弁に物語ってくれているようだった。

 すみれは、そのことがたまらなく嬉しく、そして隣の田屋に深く感謝する。

 田屋がいなければ、今日はいつもと同じ今日だった。でも、田屋がいてくれたから、今日が特別な今日になった。田屋の存在なくしては、今日のみんなの笑顔や、すみれ自身に起こった革命的な出来事――隠し味はたちばな荘の外にもたくさんあることに気づけたこと――も起こらなかっただろうと思うと、感謝してもしきれないくらいだ。

「すみれさんも、どうぞ。道のりはまだまだ長いですから、気にせず休んでください」

 そう言ってくれた田屋の横顔にも、さすがに疲れた色が見え隠れしている。

 往復の運転に加えて、午後のフィールドワークにバーベキューと動き回ることが多かったし、馴染めるか不安だったと話してくれたことからも、緊張だってしていたはずだ。それを見せなかった田屋は、やはりたちばな荘のみんなに対しても、すみれに対しても察して余りあるほどの気づかいや心配りをしてくれていた、ということになる。

 本当にどこまで優しい人なんだろうと、すみれは、疲れただろうからと気づかってくれた田屋に胸の奥がじんわり熱くなっていくのを感じずにはいられなかった。それはすぐに体中に行き渡り、否応なしにすみれの頬を火照らせる。

「いえ。逆に元気になっちゃって。よかったら、お付き合いさせてください」

 そう返すだけで精いっぱいだ。もうちょっと気の利いた台詞やかわいらしいことが言えたらいいのにと思うけれど、なかなかどうして、少しも言葉になってはくれない。

「ありがとうございます。でも、疲れたら遠慮なく言ってくださいね」

「はい。田屋さんも。ひとりのほうがいいときは、以下略です」

「ははっ。じゃあ遠慮なく。けど、そもそも、すみれさんと話していて、ひとりになりたいなんて思うかな。少なくとも僕は、そう思わない自信がありますけどね」

 いたずらっぽく言って横目でちらりとすみれをうかがうと、田屋は続けて「じゃあ、どんな話をしましょうか」と口元に緩やかな笑みを作る。

 すみれもつられて笑いながら、少し考えて〝そうだ!〟とひらめく。

「田屋さんが野草を食べてみようって思ったきっかけ。ぜひ教えてください」

 どういう理由で野草に興味を持ったのか、どんなことがあって食べてみようと思ったのか、田屋の口から直接、聞いてみたい。何度か考えたことはあったけれど想像の域は出なかったので、この機に聞けたら、もっと田屋のことを知るきっかけになると思った。

「いいですよ。なら僕は、すみれさんがたちばな荘を継ごうと思ったきっかけが知りたいです。前にも言いましたけど、図書館で働きはじめたのは四月からなので、それより前のことはわからないんです。いつも賑やかで楽しそうで、前を通るたびにほんわかした気持ちになる噂のたちばな荘ができるまでのお話、ぜひ聞かせてください」

「噂の……かどうかは、わかりませんけど、はい」

 お互い、前にも聞いたり口にしたりしたような台詞を言って、くすりと笑い合う。

 そういえばすみれ自身も自分のことを詳しく話したことはなかったので、まだまだ長い帰りの車中での、ちょっとした話題の種や息抜きになるかもしれない。

「――では、リクエストにお答えして僕からお話しさせていただきますね。といっても、そんなに面白くないかもしれませんけど、お暇つぶしにでもなれば」

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