2
「――てことなんだけど、みんな、どうかな?」
その日の夜、食卓テーブルにみんなが揃ったところで、すみれは日中の田屋とのやり取りを話してみることにした。田屋のことは〝春のドクダミの一件でお世話になった司書さん〟として話してあって、実際に面識のある下宿人も何人かいる。
ドクダミ以外にも、たちばな荘の食卓には時折、野草を使った料理が並ぶことがあるけれど、それはほとんどが田屋が教えてくれたものだ。
例えば、スーパーで売っているセリやフキ、ワラビなどは、実は思いのほか近所で自生していることを教えてもらったり、ヨモギの食べ方も、すみれはヨモギ餅くらいしか思いつかなかったのに対して、クッキーやスコーンといったお菓子になることを教えてもらったり、という具合で、みんなも野草料理をとおして田屋のことを知っているというわけだ。田屋と二言、三言、世間話をしているところに偶然居合わせた下宿人もいて、彼らのネットワークによって田屋のことはたちばな荘のみんなが知る存在となっている。
「いいネ! ボクはぜひ行きたいナ」
真っ先に賛成したのはマルちゃんだった。
ドクダミの葉の天ぷらもそうだけれど、次に教えてもらったスミレの花や葉を使ったスイーツでも彼は田屋に恩を感じているようで、野草料理が食卓テーブルに並んだ日などは、折に触れて『ボクも司書さんに会ってみたいなー』と言っている。
失恋したカナエをなんとか元気づけたくてスイーツを作ったマルちゃんと彼女は、あれからも良好な友人関係を築いていてるそうだ。それぞれの母国語を教え合ったり一緒に出かけることもあるそうで、カナエもすっかり元気になっているらしい。
そのお礼を直接伝えられる機会があるとなれば、マルちゃんだって嬉しいだろう。
「前に下宿の前でスミレと話してた人デショ? ボクもオーケーだヨ」
「ボクも。天ぷらもスイーツもおいしかったし、ずっとお礼が言いたかったんだ」
ほかの下宿人たちも異論はないようで、口々にそう言うと、すみれに笑いかける。
すみれも彼らに「ありがとう。じゃあ、明日にでも田屋さんに伝えるね」と笑い返しながら、胸の中がじんわりと温かいもので満たされていくのを感じずにはいられない。
それと同時に、ふいに近々、たちばな荘の面々が揃って田屋と対面したときの彼の様子を想像して、不謹慎ながらも、ちょっとだけおもしろい気持ちになってしまう。
肌の色も瞳の色も、髪の毛だってそれぞれ違うたちばな荘の面々は、食の好みだってもちろん違う。日本料理――といってもすみれが作る日本の家庭料理が好きなところは同じだけれど、一気に八人もの外国人と対面すれば、田屋も多少びっくりしてしまうだろう。
「ふふ」
そのときの彼の顔が唐突に頭に浮かんで、思わず笑い声も漏れてしまった。
「どうしたの?」
脈絡なく笑ったすみれに、マルちゃんが不思議そうに尋ねる。
「ううん。なんでも。楽しみだなって思って」
「ボクもだよ!」
そう言って大きく頷いたマルちゃんは、すごく待ち遠しそうな顔で屈託なく笑った。
*
「わあ! いい景色! 天気も最高だし、空気もおいしい!」
「ですね。川で魚も釣れますし、野草が採り放題なのが嬉しいですよね。腕が鳴ります」
「もしかして、まだ昼前なのにもう晩ごはんのメニューのことを考えてます?」
「……バレましたか」
「ふふ、田屋さんの顔を見ればわかります」
ワゴン車から降りるなり、大きくぐーっと伸びをしたすみれに続いて、田屋も早々に腕まくりをすると、いたずらっぽくそう言ってすみれに笑いかけた。
田屋が言うには、野草料理は自然の中でこそおいしさが発揮されるそうだけれど、お昼ご飯もまだ食べていないのにと思うと、まるで目の前の楽しいことに今にも駆け出していきそうな少年のようで、すみれはそんな田屋が微笑ましく、また、かわいらしく思う。
「ボク、こんなの初めてだヨ!」
「めっちゃ楽しい! もう楽しい!」
「どうしようスミレ、ワクワクが止まらないヨ!」
そんなすみれと田屋のそばを、たちばな荘の面々が我先にと駆け出していく。まだ到着したばかり、これから楽しいことがもっともっとあるというのに、すでにテンションは最高潮のようで、こちらはすみれも田屋も、やれやれといった笑顔だ。
でも、みんなで遠出なんて初めてだもんなと思うと、すみれの頬はすぐに持ち上がる。
今までこれといって話に出たことはなかったし、すみれも考えたことはなかった。祖父母の代だったときも、みんなでどこかへ出かけたなんて話は聞かなかったように思う。
それはけして、たちばな荘を切り盛りするので精いっぱいだったから、というわけではなくて、ただ単に発想がなかっただけだ。祖父母のときも、すみれに代わってからも、優しいみんなのおかげで、ゆったりと日々の運営をさせてもらっている。
「みんな大きい子どもみたいで、ちょっと恥ずかしいです……」
「はは。それだけ今日を楽しみにしてくれていたってことですよ。僕も嬉しいです。こんなにもキャンプに喜んでくれるなんて、思いきって誘って大正解でした」
「ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
というわけで、すみれとたちばな荘の八人、そして田屋は、休みを合わせてキャンプ場を訪れていた。直近でみんなの休みが合うのが田屋から『――じゃあ、今度行きます?』と誘ってもらってから十日ほどあとになってしまったものの、田屋やバイトをしている下宿人にシフトの調整をしてもらいつつ、こうして無事、今日の運びとなっている。
田屋から誘われた翌日、足取り軽く図書館へ向かったすみれは、彼の姿を見つけるなり『下宿のみんなも、ぜひって言ってくれました』と、前日のことを話した。続けて『それぞれの空いている日も聞いてきたんですけど、田屋さんのご都合はいかがでしょう?』と尋ねると、田屋の表情は少しの間、くるくると忙しく動いた。それから少し思案顔をしたあと、ふっと表情を和らげると、急ぎ足気味のすみれを落ち着けるように優しく微笑む。
『どうせなら、場所も変えてみましょうか。――例えば、みんなでキャンプ、とか』
『キャンプ、ですか?』
『はい。きっとすごく楽しいし、思い出にもなるんじゃないでしょうか。そうすれば、食欲が減退しがちな夏でもおいしくご飯が食べられそうじゃありません?』
その話を持ち帰ると、下宿のみんなは『キャンプ⁉ 絶対楽しい‼』と手放しで喜んでくれて、みんなで今日の日をそれはそれは心待ちにしていた、というわけだ。
もちろんすみれも、そうだ。田屋と出かけることもそうだけれど、下宿のみんなと思い出を作ることができるのも、とびきり嬉しい。田屋の発案がなかったら、きっと今日もどんなごはんを作ったらみんなが夏を元気に過ごせるだろうと頭を悩ませていただろうと思うと、あのとき田屋に誘ってもらって本当によかったなと心から思う。
「じゃあ、早いとこテーブルや椅子を用意して、お昼ごはんにしましょうか。……あの、もしかしたら作りすぎちゃったかもなので、見てびっくりしないでくださいね」
「楽しみすぎて、ですか?」
「はい。張り切っちゃいました」
「それは楽しみです」
そんなことを話しながら、ワゴン車から荷物を取り出す。景色を写真に撮ったり、何人かで記念撮影をしていた下宿のみんなも、ひととおり雰囲気を楽しんで落ち着いたのだろう、手伝いに戻ってきてくれ、受付を済ませるとさっそくキャンプのはじまりだ。
今日、利用させてもらうキャンプ場は、コテージ、区画が広めに取られているのでゆったりとテントを張ることができる芝スペース、自由にテントを張ることができるフリースペースと、三つから利用したい施設が選べるというものだった。
ホームページを見てみると、芝スペースとフリースペースは車の乗り入れも可能だそうだ。宿泊はもちろん、日帰りでキャンプを楽しみたい人にも、近くに自分の車を停めておけることで車中で休めたり荷物の出し入れがしやすいなど、なにかと便利だろう。
すみれたちが選んだのは、フリースペースだった。
ほかの二つの施設と違って予約の必要がなく、受付時間内の午前六時から午後九時までの間であればチェックイン、チェックアウトはいつでも可能、しかも日帰りだと使用料はかからないということで、すみれたちはほぼ即決に近い形でフリースペースを選んだ。
チェックアウトの時間に余裕があるので、帰りは午後七時前後を目安にしようと計画を立てるときにみんなと話し合って決めていた。田屋もそのことに快く頷いてくれて、時間まで日帰りキャンプをめいいっぱい楽しもうということで、話がまとまっている。
さらに場内には川も流れていて、釣った魚をテントや共同の調理場へ持っていき調理もできるそうだ。キャンプ場の周囲をぐるりと一周する遊歩道も整備されているらしく、季節の動植物を楽しめるところも、すみれをワクワクさせるにはじゅうぶんだった。
それは、もはや〝野草博士〟と言っても差し支えないだろう田屋にこそ、願ったり叶ったりなのではないだろうか。さっきも『野草が取り放題』だと嬉しそうにしていたし、きっとここで採れる野草を使っておいしい料理に変身させてくれるだろう。
車は田屋がレンタルしてくれた。
当日の朝にたちばな荘の面々を拾ってもらい、そのままキャンプ場へ向かう。適度に休憩を挟みつつ昼前に到着し、すみれが作ってきた弁当で昼ごはんを食べたあとは、釣りをしたり遊歩道を散策したりしながら夕方を待ち、いよいよバーベキューとなる。
肉や野菜も十分に用意したし、バーベキューセットや椅子にテーブルも、準備はバッチリだ。たちばな荘のみんな、それにすみれや田屋も、バーベキューを一番の楽しみにしていることは間違いない。そこに釣った魚や野草が加わったら、きっともっと最高だ。
「さ、さあ、どうぞ。召し上がれ」
大きめのテーブルを二つ並べ、その周りに椅子を置くと、すみれは気恥ずかしくなりつつも作った弁当の蓋を開けていった。……けれど、さっき田屋に前置きをしたとおり、十人で食べるには、もしかしたら張り切りすぎてしまったかもしれない。
おにぎり、サンドウィッチ、のり巻きに、いなり寿司。唐揚げ、卵焼き、焼きそばやポテトフライなどなど、ピクニックに持っていくようなメニューがレジャー用の大きなランチボックスに盛りだくさんだ。蓋を開けるたびにみんなから歓声が上がるものの、果たしてこの量を食べきれるだろうかと思うほどに、とにかく張り切った量だった。
普段から自分も合わせて十人弱の料理や弁当を作ってきた手前、どれくらいの量を作ればみんなのお腹が満たされるか、確かな心得はあったはずなのだけれど――あれも入れよう、これも入れようと作っているうちに、ついつい、多くなってしまったらしい。
バーベキュー用の材料も多めに準備してきたというのに、これでは夕方までにお腹が空くかどうか……。すみれは、自分でも苦笑を浮かべてしまう。
「あの、食べきれないときは無理せずで。楽しくて多くなっちゃったんです」
「すごいです、すみれさん! これ、全部食べていいんですか?」
「へっ?」
けれど、予想外の言葉にパチパチと目をしばたたかせるすみれとは反対に、田屋はこれでもかというくらいに輝いた瞳を向けた。
「昼はすみれさんがお弁当を用意してくれると聞いてたので、実は昨日の夜から食べる量を加減していたんです。楽しみなのは、すみれさんだけじゃないですよ」
そう言って、たちばな荘のみんなの顔をぐるりと見回す。その視線を受けたみんなも、色とりどりに盛り付けられた弁当を前に今にも箸を伸ばす勢いだ。
「……よかったぁ。いっぱい作ったので、もりもり食べてくださいね」
「はい。それでは――いただきます!」
「イタダキマース!」
行儀よく両手を合わせると、田屋やみんなの箸がいっせいに弁当に向かった。かしこまった調子で「どうぞお召し上がりください」なんて言っているそばから弁当箱にはみるみるうちに隙間ができていき、すみれは、こんなに嬉しいことがあるのだろうかと、胸の中からとめどなく湧きあがってくる幸せな感覚に頬を緩ませる。
すみれの心配は、どうやら杞憂だったらしい。
「はー、お腹いっぱい。すみれさん、ごちそうさまでした!」
「ゴチソウサマデシター!」
「はい。おそまつさまでした」
あれだけ盛りだくさんだった弁当は、みんなのお腹にきれいさっぱり収まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます