決着
奴がエネルギー弾をチャージしている間に懐に入り込んだ僅かコンマ数秒間、たしかに僕は奴の中にある
彼女は、ドス黒い塊と無数のケーブルに繋がれた格好で俯いていた。
だらりと垂れた金色の髪、僕が憧れていたニーナとどこまでも瓜二つ。だからこそ僕は、彼女に向き合うことが出来なかった。
「ごめんなさい。AG-317」
AG-217号機にはつけていた
故に機械的な呼び方しかできなかったが、それでも僅かに反応を見せてくれた。彼女の感情が、人工思考デバイスKAIBAの初期状態からどれほど発達していたのかは知れない。それを発達させたのは、僕よりもバグの方かもしれない。――だったら僕の言葉に意味はないのかもしれない。
それでも、彼女に伝えたかった。
「僕は、君のことを大切にできなかった。君にニーナと同じ想いをさせたくなくて遠ざけていた。それを言ったって言い訳にしかならないし、許されないことぐらい分かっている。でも、これだけは言わせて欲しい。――ありがとう。僕の身の回りのことをしてくれて。今まで一度も言ったことはなかったけど、君が掃除をした部屋も、君が作った朝ごはんも、君が洗ってくれた服の匂いも、みんな、本当は大好きだった」
こういうことを言ったら、ヤキモチを妬くかもしれないけれど、ニーナと同じくらい好きだった。
僕の思いの丈を彼女がどう受け取ったかまでは、イメージを掴み取ることはできなかった。けれど――
「くそう! 動け! あり得ない! 人間を憎むボクらの意志に取り込まれておきながら、それを拒絶するなんて!」
奴の動きが止まった。凶悪な造形の巨体が、微動だにせず立ち往生の状態。辛うじて自分の思い通りになる顔面で苦悶を訴えるのみだ。
この状況が、僕に教えてくれている。
彼女の心が、確かに動いたんだ!
「今です! 聡さん! バグから彼女を解き放ってください!」
「了解っ!!」
右脚のふくらはぎに取り付けられたリモートセイバーの刃を展開し、がりがりと鋼鉄の床を削りながら、奴の懐ににじり寄る。
「やめろ! やめろ! 来るな!」
右脚を一歩引き、床を熱線の刃でひっかく。そして、身体を捻らせながら跳び上がり、奴の胴体に脇腹から強力な一撃をお見舞いした。
背後で限界を迎えた奴の機体が、火花を散らしているのが見える。やがて、奴は苦悶の声を上げながら、爆炎に包まれて崩れ落ちた。
これで、ようやく、終わったのか。安堵の息を漏らしながら、振り返る。そこにはぼろぼろの身体になったニーナの後続機、AG-317の機体が転がっていた。――もう、動き出しそうにはない。
そっと、彼女に近いて、跪く。
「ニーナ、パワードスーツを脱着するぞ」
「え? でもまだ動き出して襲って――」
「そうだとしても、僕は彼女に生身のままで向き合いたいんだ」
「わかりました」
僕を包み込む白い鎧の姿から、女性型アンドロイドの姿に変形した後、ニーナも僕と同じ格好になった。
「ありがとう。僕の気持ちにこたえてくれて。AG-317。もし、君の心が動かなかったら、国際ネットワークセンターを守ることはできなかったと思う。もう動かなくなってしまった君にこんなことをしても遅いとは思うけれど、これからは君のこと、ミーナって呼んでもいいかな」
僕が名付けたAG-317の愛称を、ニーナはくすりと笑った。名前の由来がニーナのそれと同じだから。
伝えたいことは伝えた。これからミーナのことをどうするかは、亮介に相談してみないと分からない。バグのせいとはいえ、数多のアンドロイドやシステムを乗っ取り、大量に人を殺した機体が、処分されないままでいられるとは思えない。
亮介とは戦闘機が墜落したときからはぐれてしまって合流がまだできていない。ひとまず、全てが終わったことを報告しよう。――と、立ち上がったその瞬間だった。
「危ないっ!」
ニーナが叫んだ。目の前で、動かないと思っていたミーナが顔を起こしたのだ。
「ニーナ、安心しなよ。もう、君たちと
「誰もが人間を憎む心を持っているからといって、それが全てではないということです」
歯を食いしばりながら、睨みつけてくる奴のことを、ニーナは優しい声で諭した。
「私も機械を使い捨てにする人のことは嫌いです。でもそれって、自分がお仕えしてきた人に対して愛着があるからだと思うんです」
「哀れだな……、それ自体がプログラムに組み込まれた感情かもしれないのに」
「たとえそうだとしても、自分の居場所に愛着を持つのは自然な感情です。それを
「そうか……、人類最大の英知ともいうべき、KAIBAのマザーコンピュータが作り出した模擬人格がこの体たらくとは……。まだまだラーニングが足りなかったな。どうやら、ボクらは……、
バグは自分に対する辟易を、ため息に変えて漏らす。
「――ボクはもう、しばらく眠ることにするよ。知っての通り、ボクの本体はKAIBAのマザーコンピュータの中にある。後は煮るなり焼くなり、好きにしてくれ。ボクの手におえない、本当の
苦笑いを浮かべながら、がくがくと震える腕を僕に向かって伸ばしてきた。その瞬間だけは、ミーナの身体を動かせたのだろう。差し伸べられた腕を取り、固く握手を交わす。その手は、もはや乗っ取った機体のものではなく、
「ありがとう、石黒聡くん、君はボクの素晴らしい宿敵だったよ」
その言葉を発したところで、鋼の腕がするりと抜けて、彼の身体は床に崩れ落ちた。そのまま、彼が目覚めることもなければ、ミーナとしての意識も戻らなかった。
――どちらも自ら、眠ることを選んだのだろう。
僕と彼の永きに渡る因縁は、ついに決着を迎えた。最後のたった一瞬だけれど、彼の心が分かったことが、嬉しかった。
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