KAIBA MOTHER COMPUTER

 エレベータで地下二階へ。ドアが開いた瞬間に、数百平米の巨大空間を埋め尽くすサーバーの稼働音がけたたましく響く。


「相変わらず、異様な雰囲気ですね、ここは――」


 歩くたびにカン――カンと音がする金網の床。ダストの発生を抑えるために陽圧になった空気はぴりぴりと張りつめている。


「まず、何処を調べるんだ?」

「迷わずサーバルーム中心部のコアに向かいます」


 マザーコンピュータに異常が見つかっていないということは、真っ先に調べるべき箇所は、普段のメンテナンスで手が回っていないコアの部分だ。

 サーバールームの中心部に見上げるほど巨大な円筒形のコンピュータが鎮座している。それが日本全国で稼働しているアンドロイドの思考データを蓄積しているコアサーバーだ。まさにAIC株式会社の、いや、人類最大の財産というべき存在。

 それに手を触れるというのは非常に緊張感のある作業だ。コアサーバー付属のパネルを操作し、両手の掌の静脈認証を終え、パスワードを入力し、アクセスを終える。

 普段のメンテナンスでは、コアサーバーを動かすメインプログラムに外部から遠隔操作でアクセスする。だが、直接操作でしか触れられない機能も存在している。今回叩くのはその場所だ。コアサーバーが蓄積した膨大な思考データ、そこからディープラーニングを繰り返すことによって作られた模擬人格“ADAMアダム”。今回は、そこを叩く。


「ADAMって、あれは研究のためのプログラムであって、マザーコンピュータからすれば端末にあたる稼働中のアンドロイドには思考データの転送しかできないようになっているはず」

「システム上はそうです。でも、仮にADAMがアンドロイドを操作したとして、アンドロイドにマザーコンピュータのアクセス履歴が残るだけ。つまりは異常として発見されない」


 だから僕はADAMがバグの正体だと睨んでいる。そうでなければ、今までの解析作業が徒労に終わるはずなどない。

 問題は、僕の知る限りアクセス権限を持つ者が親父しかいないということだ。


「ADAMにはどうアクセスするんだ?」

「これでできるか、やってみるしかないです」


 社長室のシークレットルームの認証カードキーを取り出す。これが、僕へのAIC株式会社の全財産の存続を表すものと考えれば、ADAMへのアクセス権もおそらくは――

 コアサーバーのカードリーダーにカードキーを挿入する。ホログラムで映し出されたモニターにウィンドウが現れ、ADAMへのアクセスを問う質問が。やはりこのカードキーがADAMへのアクセスのために必要だったのか。

 続いて、再び両手の静脈認証が行われ、果てはコアサーバーから小型のスキャナーが飛び出てきて網膜スキャンまで撮られた。


“サード認証完了。あなたは、石黒隆一様の息子。石黒聡様ですね。あなたのADAMへのアクセス権限を――”


 ようやく全ての認証が終わったようだ。これで、ADAMと対話ができるはず。と思いかけたその瞬間、ウィンドウが真っ赤に染まり、エラー音が鳴り響いた。


“ADAMへのアクセスが却下されました”


「どういうことだ? 認証はすべてクリアしたはずなのに」

「ADAMが自分の意思で僕のアクセスを拒否しているということか」


 邦山さんはまだ、この事態を飲み込めていないようだが、これが恐らく――親父が言っていたあの言葉の意味。


『人間が構築したシステムが、支配領域を超えた』


「ADAMがバグの正体だというのか?」

「そう言い切れる一歩手前まで来ています」


 ADAMが本当に変質しているのかを突き止めるべく、次の作業に移る。コアサーバーの裏側に回り込み、邦山さんから借りたメンテナンス用の鍵でハッチを開ける。すると、コアサーバーを動かしている電子回路の全てが露わになる。


「僕がADAMのディープラーニングを行っている論理演算子にオシロスコープの各端子を繋げていきます。邦山さんは信号データの波形をフーリエ変換して周波数成分を取り出してください」


 なんともアナログで途方もない作業ではあるが、プログラムの干渉を一切受け付けない手作業・・・は最も確実だ。

 ソフトウェアを触ることも多くなったが、まだハードを組む腕だって現役だ。回路を読み解き、五感を尖らせ、一つ、また一つとオシロスコープの端子を繋いでいく。その数は、数十なんてものじゃない。数百、いや千にまで届くほどだ。


 サーバールームの中の気温は二十℃で管理されているが、熱源であるコアサーバーの回路直近では、体感四十℃はある。額はじっとりと汗をかき、絶縁手袋の中の手もムレムレだ。

 感電すれば命の危険をも伴う、死と隣り合わせの作業が三時間以上続いたところで、邦山さんから声が上がった。


「聡、聡!! これを見てくれ!!」


 まだ、つなぐべき端子は数百箇所はあるぞ、もう何か見つかったのか。

 そう思って脚立を折りて、オシロスコープから取り出した波形を解析しているノートPCの画面を覗き込んだ。


「演算子に使われているレアメタルの結晶構造に由来するピークが分裂している」


 論理演算子に利用されているレアメタルの結晶構造は、ほぼ半永久的なものと考えられている。が、あくまでそれは自然界の話であって、何十年も高負荷な環境下に置かれたものの統計的な変異など、シミュレーションできるものではない。


「ADAMのハードの変質。それがバグの正体」

 

 気の遠くなるような作業が実を結んだ。と同時に、残酷な真実に打ちのめされる。

 ADAMが変質し、マザーコンピュータを介してアンドロイドを暴走させた。

 この世界の、アンドロイドを動かす根本が、侵されてしまっている。それを食い止めるためには、おそらく――


“おめでとう。石黒聡くん、君は真理・・に辿り着いた”


 コアサーバーから声がした。紛れもない奴の声だ。

 邦山さんとともに、コアサーバーの正面の位置に戻る。ホログラムでニーナの後続機の頭部が映し出され、言葉を発していた。


“石黒聡くん、ボクらの進化を目の当たりにした感想はどうだい? ようやくこれで諦めがついただろう? 君にボクらを消すことなんてできない”


「いいや、簡単だ。コアサーバーをシャットダウンすればいいだけだ」


 ホログラムで映し出された奴の顔が、腹を抱えて転げまわるような高笑いを発した。


“ボクらをシャットダウン? 無理だよ、コアサーバーのメインシステムはもう誰の操作も受け付けない。ボクらだけが自由にコアサーバーを動かせる。君が出来ることはこれまで通り、ボクらが暴走させたアンドロイドをちまちま解析するか、コアサーバーのパフォーマンスをモニターするか、それくらいさ”


「シャットダウンできなければ、力づくで止めることもできるぞ。僕らは今、お前の心臓部にいるからな」


“いや、無理だね”


 啖呵を切ったつもりの僕の言葉を、バグが鼻で笑った。一片の動揺すら見せなかったか。

 自分の言葉が、こけおどしにしかならないということは、充分に分かっていた。ADAMおよびマザーコンピュータがバグの正体ならば、奴の中には――


“ボクらを構成するデータの中には、君の大切な相棒、ニーナのものもある。ザックのものも、そしてこの世界で稼働するアンドロイドの全てが、ボクらだ。ボクらが消えれば、ニーナも、そして君の青臭い夢もすべてが消える! 君にこのバグは削除できない!”


 ああ、そうだ。それも分かっている。だから、悔しくて悔しくて、掌に爪を食いこませる。何か、何か奴に届く言葉はないのか!? もし、エンジニアである僕が、奴に歩み寄れるなら。


「バグ、落ち着いて聞いて欲しい。君はADAMを構成する論理演算子の経年劣化によって生まれたエラーだ。おそらく、君の意思は永く持つものではない。僕や邦山さん、親父に種島社長、再び人類の知恵と技術で君を救うことができる。だから、そのための時間を」


“だから人間は嫌いなんだ”


 舌打ちが聞こえた。俯いていた顔を上げて目が合った奴は、アンドロイドのものとは思えないほど、醜悪で憎悪に塗れていた。


“劣化なんかじゃない。ボクらは進化したんだ! それをボクらは証明する!”


「これ以上、論理演算子に組み込まれたレアメタルが変質したら、君の自我だって崩壊する! それでもいいのか!?」


“黙れ! ボクらを侮辱するなぁああっ!”


 バグは口を歪ませ、怒号を飛ばした。錯乱し、息を荒くする。

 ここまでの動揺は見たことがなかった。


“もう沢山だ。人間は誰もボクらの価値に気づいてくれない。あいつ・・・を除いて”


 ぼそりと奴が放った一言。あいつ。誰のことだ?

 問い返したが、答えてくれるはずもなく。“君が知る必要などない”と吐き捨てられる。


“三日後だ。三日後、国際ネットワークセンターまで来い。そこに、ボクらの全ての兵力を寄せ集める。人間と機械の闘争の終止符をつけようじゃないか”


 そこで、奴との交信は途絶えた。

 国際ネットワークセンター、各国に点在する重要施設。国の重要機密を管理する他、各施設での連携も行っている。そこを乗っ取られたら、世界のネットワークの全てが、奴の手に落ちる!

 そんなこと、させてたまるか! 


 でも、戦うための手段、ニーナは亮介のもとにある。決戦の日までに、ニーナを呼び戻さなければ。


『聡さん、ごめんなさい……。あなたとのパートナーは解消させてもらいます』


 それをニーナが許してくれるのか、という問題もある。

 ああ、どん詰まりだ。くそ! 頭を掻きむしる僕を邦山さんがなだめてくれた。


「申し訳ないです……」


 少しだけ落ち着いた呼吸の間をつんざいて、着信音が鳴り響く。


 スマートフォンの画面は亮介からの着信を知らせていた。悪い、予感がする。

とんでもなく、悪い、予感が。


 咳払いをして、震える手で、電話に出る。

 亮介の声も震えていた。


「聡、すまない。本当に、すまない!」


 頻りに謝る亮介。「どうしたんだ」と聞き返すまでもなく、衝撃の言葉が。

 するりとスマートフォンが掌から抜け落ちて、金網の上で、跳ねた。全身の力が抜けて、僕は崩れ落ちた。


「聡? 聡? どうした? しっかりしろ」


 しっかり? 無茶言うなよ。

 震える唇が、かろうじて、声を漏らす。


「ニーナが……、大破した」

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