人生最大のピンチ

 男は安心しきっていた。


 一仕事を終えた大型銃をいたわるように、そのフレームを撫でる。この力強い銃に撃たれて、倒れなかった獣などいないのだ。


「……なに!?」


 だからこそ、バームは驚愕した。


 キバシノノイがその巨体をふらつかせながら、再び立ち上がったのだ。魔導銃で撃たれてもなお、たくましい前足で地面をしっかりと踏みしめる。


 魔獣の怒りは増しているのか、キバシノノイは鼻息を荒げていた。眼光の鋭さも増している。


「チッ…… 素直に倒れろよ!」


 バームは焦りに駆られて、引き金を何度も引く。拳銃を支える両腕に、それから両肩に射撃の反動が重くのしかかる。


 魔法弾は、初めのうちは効いていた。キバシノノイの巨大な顔面に銃弾が埋まっていく。


 けれど、異変が起きた。途中から魔獣の表皮が弾丸をはじくようになったのだ。弾は跳弾し、キバシノノイの背後の木々を貫いていく。


「なんだ…… あの魔力のオーラは……」


 バームは呟く。思わず銃口を下ろしてしまう。魔獣を包む空気が陽炎かげろうのように揺らめいていた。


 キバシノノイはひずめで硬い大地を引っ掻く。突進の前動作だ。そして容赦のない突撃が開始される。丸太のように太い牙がバームに向かって来る。


「おいおい、こんなところで……」


 男は銃を構えることすらしなかった。


 いや、魔獣が銃を構える時間すら与えてくれなかったのだ。だからこそバームは、目の前に迫る死に驚いていた。そして半ば、受け入れてさえいた。


「バームっ!!」


 男は、横っ腹に衝撃を受けて倒れる。倒されたバームのすぐ横を、魔獣が魔導列車のように駆け抜けていく。巻き起こった土埃がバームの顔に降りかかる。


「なんだ、思ったよりも痛くな…… ラズリー?!」


 倒れた際に打った頭をさすりながら、バームは上半身を起こした。彼の体の上には、少女がのしかかっていた。


「なんで、お前がここに…… いやいい、早くどけ! アイツは待っちゃくれないぞ!?」


 バームは急いでキバシノノイの姿を探す。遠くに魔獣の尻が見えた。走り出すと止まれないのか、巨体のシノノイは波打ち際を走り抜け、膝下を湖の中に浸していた。


「何よ、どけって!? せっかく助けてあげたのに!」


 ぶつくさ文句を言いながらも、ラズリーはバームの上から飛び退いた。バームもすぐに立ち上がる。


「どうしてオレの言いつけを守らないっ!!」


 バームにしては珍しく、大きな怒声を少女にあびせた。少女は少し怯んだが、負けじと大声で怒鳴り返した。


「助けてあげたんじゃない!? わたしが体当たりしなかったら、バーム、今頃死んでたんだよ!」

「っ…… 今からでも遅くない、お前は車に戻ってろ! オレがアイツの気を逸らすから!」

「いやだっ! ここにいる!」


 キバシノノイの様子をうかがっていたバームは、素直に従わないラズリーに険しい目を向けた。


「あのなぁ! オレは今、お前を守ってやれる余裕がない! 頼むから車に……」

「一人だけ生き残るよりマシだよっ!!」

岩壁デーシィっ!」


 ラズリーが叫ぶように訴えるのと、バームが呪文を放ったのは同時だった。轟音が響いて、衝撃に地面が揺れる。


 バームが地面から分厚い壁を創り出し、魔獣の突進を防いでいた。


「話ぐらい…… ゆっくりさせろよっ!」


 バームが土壁から突き出た牙に悪態をつく。大地の壁を補強するためにバームは短杖タクトを地面に向け、土を盛り上げていた。


「くそっ、人生最大のピンチだ。やっぱりこんな魔獣に、手なんか出すんじゃなかった!」


 冷や汗をかくバームは笑っていた。もはや笑うしかないのかもしれない。


「ごめんバーム、わたしね……」

「いやいい。聞こえた」


 不安そうに喋り出すラズリーをバームは止めた。それから髭の生えた口角を柔らかく持ち上げる。


「ラズリー、お前は森の中に隠れてろ。オレもすぐに行くから」


 指示を終えて、バームは何かに気づいたように動きを止めた。


「いや、あれがあったな…… やっぱり一緒に行くぞ。ちょっと待ってろ」


 土壁の陰で、バームは手元の銃をいじる。魔導銃に短杖を向け、彼が小さく「《閃光フラッシュ》」と唱えると、緑の紋様もんようが魔導銃の溝を走るように浮かび上がった。


「これでも食らっとけ!」


 ありきたりなセリフを吐きながら、男は土壁の上を狙って引き金を引く。ポンッと空気の抜けるような音がして、丸い弾が弓なりに飛んでいった。


 それから壁の向こうで強烈な光が炸裂する。キバシノノイが怯んで、鳴き声を上げた。


「そら逃げるぞ!」

「うわっ!」


 少女の手を掴み、バームは森へと駆け出す。キバシノノイがひらいた獣道を突き進み、森のしげみに身を潜める。

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