ノートで会話!
男と少女の間には、不本意な沈黙が続く。
「……あー、そこの机の引き出しに、ノートとペンが入ってるはずだ」
ラズリーがどうすればいいか迷っていると、バームが声だけを向けてきた。
(机の引き出し……?)
言葉に従って辺りを見回すと、すぐ近くに机があった。手が届くほどの距離にあった。おそらく少女が座っているこのソファーとセットで使っているのだろう。
ラズリーは引き出しを開けた。
紙の束や封筒、それから得体の知れない銀色の球体などが、引き出しの奥から手前に動く。その乱雑さに眉をひそめながら、少女はペンと数冊あるノートの中から適当な一冊を取り出した。
「見つけたか? あー、そのノートは…… まあいいか……」
バックミラーの中のバームは、ラズリーの手元のノートを見て、一瞬迷うようなそぶりを見せる。
しかし、すぐに思い直したように、ノートを開くように指示をしてきた。
「ようし! そいつを使って話をしよう!」
急に弾んだ男の声に、少女は違和感を覚えて首をかしげた。
少女の中では、ボソボソと喋る不愛想な男、としてバームの印象が登録されていたのだ。
しかし、そんな評価にバームは気付かない。ラズリー自身も、そんな評価を下したことに自覚を持っていなかった。
「じゃ、最初からだな…… お前さん、名前は?」
『ラズリー』と少女は、真っ白なページに名前を書いた。バックミラーを覗くバームに見えるように、大きく書く。
それから思い出して、ラストネームも書き足した。『シャルプ』という姓は、ずいぶんと端の方に小さく書き足すことになってしまった。
「ラズリー・シャルプ、か…… んー、あー、いい名前だな」
バームがミラーをちらりと見ながら、ありきたりな感想を口にする。そのとりあえずな言い方にラズリーは少しだけムッとしてしまう。
「仕方ないだろ…… 人の名前なんて、人を判別するラベルにしかすぎないんだからよ」
少女の責めるような視線に気付いたバームは口ごもるように言い訳をした。少女はその小難しい言い方に、きょとんとしてしまう。
何も生み出さない空白の時間が再度、2人の間に流れる。
バームから次の問いがないことに気付いたラズリーは、ノートにペンを走らせた。今のうちに自分が分からないことだけでも聞いておこうと思ったのだ。
『ここはどこなの?』
そう書いたノートをバックミラーへと映す。ノートを叩いて音を出し、バームの注意を引いた。
「お、ここは、どこなの? か……」
バームは顎をさする。
「どこかって言うなら、そうさなぁ…… ここはお前の村と、ここから南にある町の中間ってとこか?」
少女は期待通りの答えが得られなかったので、難しい顔をして、再びノートに何かを書いた。
『どうしてわたしは、ここにいるの?』
「どうして、って…… そりゃあ、お前…… 覚えてないのか?」
「覚えてない……」と言おうとして、ラズリーは声が出ないことを思い出す。ノートに書こうか一瞬迷って、ラズリーは首を振るだけにした。
「そうか。覚えてない…… か」
どうやら簡単なやりとりであれば、ジェスチャーだけでも伝わるらしい。些細なことではあったが、ラズリーは嬉しくなった。
「お前が乗せてくれって、頼んできたんじゃねぇかよ」
その答えにラズリーは驚く。そんなことを言った記憶など、少女にはまるでなかったのだ。
その狼狽えるような様子を見て、バームは言葉を付け足した。
「どっから話せばいいかなぁ…… えっと、オレがお前の村の近くを通りかかった時な…… その、惨状が、気になってよ…… んで、村を見ながらゆっくり車を走らせてたらな、雨の中を女の子が一人で歩いてるもんだからよ……」
だから、声をかけたの? と、ラズリーは疑うような眼差しで問いかける。
男は頷いた。
「お前が手を振ってきたからな。 ……ほんとに覚えてねぇのか?」
ラズリーはしばらく記憶を辿ってみたが、諦めて頭を振った。
「……ダメ、みたいだな?」
バームが呟いて、少女の気持ちを代弁した。
「そういやお前、車に乗りこんだ直後に気を失ったしなぁ……」
そうだったのか、とラズリーは思案顔になる。
「まあ、生まれ故郷があんな風になっちまったら…… 意識を失うのも、言葉を失うのも、分からなくはねぇ、のか?」
男は一人、納得したように呟いた。
彼の言葉を聞いたラズリーは、あの雨を、そしてあの《魔獣》たちの影を思い出して、うつむく。
急にラズリーの目から、ぽろぽろと涙が落ち始めた。
「わわ…… すまん! 嫌なこと思い出させちまったか?!」
鏡の中でラズリーが泣いていることに気付いて、バームは慌てる。
けれど小さな女の子には、その言葉も聞こえていないようで、最初はぽろぽろと、しまいには顔をくしゃくしゃにして泣き出してしまった。
「おいっ! おいおいっ! 泣くなよ…… 悪かったって、もう二度と言わないから、な?」
それでラズリーが泣き止むはずもない。
少女は天井を仰ぎ、声もなく泣きじゃくる。
「なんだよぉ…… どうすれば泣き止んでくれるんだよ? そうだアメでも食べるか、な?」
バームは、ついに運転席から身を乗り出して振り返る。その手にはアメの包みを持っていた。
だが、ラズリーはそれを見ることもない。
灰色髪の小太りの男は泣いている少女に対して、ただオロオロとすることしかできなかった。
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