夜の魔法

『ごめんなさい』


 そう書いたノートを広げて、ラズリーはうつむく。目の下が赤いのは泣いたせいでもあるが、恥ずかしさのせいでもあるのだろう。


 申し訳なさそうにしている少女の前に立ち、バームは軽く溜息をついた。


「まあ、落ち着いたのならそれでいい。オレもその…… 言葉には気を付けるからよ」


 そう言って、男は頭の後ろを掻いた。口下手なバームはそれ以上、何かを言えない。


 少女と男の間には、またしても沈黙が降りた。車の窓を雨がパラパラと叩く音がする。


 バームが喋らないため、ラズリーはノートにペンを走らせた。


『車、とめちゃってよかったの?』


「車? ん、ああ。どのみちもうすぐ夜だしな」


 バームの返答にラズリーは窓の外を見た。さっきよりも闇が濃くなっているような気がした。


『マジュウ?』


 ノートに書いた文字を見せると、バームは頷く。


「そうだ。夜行性の魔獣に襲われたらたまらねぇからな。だから今夜はここで一泊する」


 そう言うとバームはテキパキと動き始めた。部屋のような車内の隅へと行き、床に置いてあった四角い木箱を抱え上げた。それを持ったまま、後方のドアから外へ出る。


 荷室のドアは上へと開き、外から湿った空気が流れ込んできた。バームは小雨を気にせず、闇の中へと出ていった。


 一人残されたラズリーは、車内が急に冷たくなったように感じた。ソファーから離れて、近くの窓へと駆け寄る。窓の外に男の姿が見えた。


 魔導車は山道の路肩に停められていた。ちょうど《魔光灯まこうとう》の下に停めてあったので、車の周辺は明るい。逆に真っ直ぐ続く道の先や、周りの森の中は暗かった。何か、よからぬものが潜んでいそうで、ラズリーは肌をひんやりと撫でられたような気がした。


 少女が見つめる先で、男は車と森の間に白い木箱を設置した。


 男はしゃがんで、その箱の上に手のひらを置く。しばらくそうしていると、彼の手と四角い箱がほんのりと光り始めた。


 バームはそれを確認すると数歩、後ろに下がる。


 四角い箱は、膨らんで回転して奇妙に伸びて、それから収縮をして、バームの前でちょうど小屋のような大きさになって動きを止めた。

ラズリーは窓に額を張り付ける。見たことがない《魔法まほう》に目を奪われていた。


「あー冷てぇっ! タオル…… タオルはどこだ?」


 頭と肩を濡らしたバームが車の中に戻ってきた。ラズリーはソファーの上に置いていたノートとタオルを引っ掴み、バームの元へと駆け寄る。


 バームにタオルを差し出しながら、外の小屋は何か? と小さな顎を動かして、問いかけた。


「ん? ああ、あれか? あれは《携帯型バスルーム(ユニットタイプ)》…… だったかな? レジャー用品で有名な、トラベリアル社の商品さ」


 バームはタオルで頭を拭きながら、ラズリーに説明する。


「まあ…… ようは高度な空間魔法と細々した魔法を組み合わせて、箱の中に風呂とトイレを詰め込んだシロモノって言えば分かるか?」


 ラズリーは男の説明を頭の中で整理して、ノートに何かを書く。


『あの小屋は、トイレとおふろってこと?』


「そう! それが魔法で持ち運べる箱サイズになったもの、ってことだ」


 バームが頷きながら窓の外を見る。彼はどこか、遠い目をしていた。


「ま、高い買い物だったけど…… この生活には必要なものだしなぁ……」


 彼は独り言のように呟いた。バームの視線は車の中に戻ってくる。


「あー、お前も風呂に入る…… よな? 体、冷えてるだろうし、汚れてるし」


 尋ねられたラズリーは、びくりと体をすくませた。


 たしかに温かいお湯には抗いがたい誘惑があった。髪の毛や着ている服は、まだ完全に乾ききっておらず、それが肌に触れると冷たい。


 しかし、目の前にいる男は父親ではないのだ。


 小屋と車は離れており、裸を見られることはないとはいえ、少女は小さな羞恥心を抱いた。胸の前で一度、ノートをぎゅっと抱きしめ、それからさらさらと文字を書く。


「お、なんだ……? 『のぞきのマホウとか、しかけてないよね?』」


 目の前で少女がもじもじしながら、顔を赤らめている。バームは少女とノートを見て、しばらく固まった。


「は、はあぁ!? なんでオレが…… いやっ、おっ、お前みたいなガキの体に興味なんかあるか!」


 バームは思いがけない疑いの言葉に、つい怒鳴ってしまう。


 大声に驚いて、ラズリーは身を縮こまらせた。


 目が水気を帯びて、今にも泣き出してしまいそうになる。


「あ、いや悪い…… けど、オレは大人だ。お前くらいの歳の子の裸を見て、喜ぶような変態じゃあない!」


 ラズリーの顔を見て、バームはきっぱりと言う。そんな言葉を聞いたラズリーは首を小さくげた。ノートに丸っこい文字を書き、それをバームに見せる。


『じゃあ、あなたはどうしてやさしくしてくれるの?』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る