第43話嘘を愛して何が悪い

私は嘘つきである。嘘を含んでる話をすることが多い。まるっきりの嘘もたまにはつく。嘘というは悪くないと思う。トークにおいて、話題が材料としテンションやスピードが料理方法だと考えられる。その材料が更に悲しい話で伝わって欲しい、怖い話だけど笑い話に大事にたいって時に嘘って調味料と盛り付けが行われているのだ。私が嘘をつく時の条件を決めている。①その場が楽しく終わるなら、②バレても私に実害の出ない規模と話題の話、③押しが強い人からの要求や手一杯な時、④「良い時計してなはりますなぁ~(何時だと思ってんだ?)」みたいなのは使わない。「そろそろ暗いね。帰りたいかな?」とちゃんという。、⑤「なんであなたにそこまで言わなきゃいけないの?」的な人が情報提供0%だとして、仮に私が10%だけ本当の話をした場合、正直な人間としては私の方が勝っていると考えているから。


「答えたくない」は100%の正直な答えですが、情報提供が0%なので100×0=0ってのが私の考えです。私はプライベートとこの場をキッチリ分けたがる人の気持ちは分からなくもないけど、嫌いです。面白くないです。こんな事にも答えられないのかコイツとかなります。こんな奴にコミュニケーションの大事さとか、嘘をつくなとかハッキリ言って言われたくないです。素直になれよとかも言われたくないです。嘘を混ぜて話せよと思いますね。そのまま誤解させてもなんも問題もない話なんて出来るでしょ?


嘘と言うと、こんな言葉がありますね。「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」2ch掲示板創設者のひろゆきさんが、西鉄ジャック事件(ネオ麦茶事件)の時に言った言葉です。これは確かにそうだと思います。検索1つで知りたい事の良い情報、悪い情報が一気に出てしまうネットの社会で、何を信じるのか?何が嘘で本当なのかを見極める力ってのは必要なもんだと思います。人は基本、間違いたくないです。正しくありたいです。好き好んで悪くなりたいもの好きってのは少ないと思われます。騙されたくないです。馬鹿にされたくないです。


ですが情報が増えすぎたせいで、それが過剰になって来たような気がします。怖い話だとか笑える話、スカッとした出来事やドロドロした人間模様などネットでは様々な体験談が多くありますがそれに対して全て警戒しているのか、それとも信じた時に実は嘘だった時に馬鹿と思われたくない、嘘だと見破っている俺はお前等とは違うとでも言いたいのか、ネット社会に精通している、上手く対応できてますってやりたいのか「はい、嘘乙」「証拠だせ、出せないなら嘘」ってのが直ぐに飛び出るようになりました。


私は、なんて面白くない人なのだろう。何の為にその場に出向いているのか分からないです。仮に嘘でも良いじゃないですか。「いやー面白い作り話だった。まんまと騙されたよ。」それで良いじゃないですか。体験談の真偽であなたの生活で実害が出る訳でもない。馬鹿だと思われた所で、末裔までネットで語られる事もないし、関心もないですよ。それなのに構えてね。逆に馬鹿ですよ。見極められてないんですよ。騙されてもいいやってノリの方がネットは向いていると思います。


あんまり疑ってるとフィクションなんて楽しめなくて無感動になりそうですし、現実もネットも嘘なんて半々だと思うので、ネットばかりに嘘が多いなんてことはないと思うので気楽に書き込みをみましょうよ。

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