3話 希望を抱いて生きていく
「ねぇ、なんでそんなに悩んでるの?」
七海の声がした。
「怖いんだよ」
「何が怖いの?」
いつもの自信のあるハキハキした声じゃない。もっと柔らかな、七海の声。
「誰かがいなくなるのが怖いんだよ、生きていくのも死んでしまうのも、怖い」
「じゃあどうするの? 逃げる? つまんない人生になっちゃうよ?」
「七海がいれば、逃げてもいい」
七海は俯いた。七海の姿がぼやけていく。
まるで視界が涙で遮られているみたいに、だんだんと七海の姿が滲んでいく。
「--無理だよ、だって私はもういないんだから」
***
「はっ」
目が覚めた。いつもの自分の部屋が視界に入る。目元に薄っすらと湿った感覚がある。
「泣いてたのか、俺」
時間を確認する。昼過ぎだった。
今日は休日なのだ。
ずっとこのままベッドで寝てればいい。
動きたくなかった。
「弘樹〜、そろそろ起きなさーい。 降りてきなさーい」
母親の声が聞こえた。こういう時はだんまりを決め込む。
すると階段を登る音が聞こえてきた。
母親は強硬手段に出るらしい。
一瞬、部屋の鍵を掛けようかと思ったけど、それすらする気力がない。
母親が俺の部屋の扉を開けた。
「ちょっと弘樹、誠くんもう来てるわよ。いつまで寝てるわけ?」
怒るというより、呆れているような様子だった。
というより、いまおかしな事を言われた気がする。
「誠が来てるの?」
「そうよ、もう10分以上も待ってもらってるんだから」
「なんで?約束してないけど」
「あんたねぇ、今日がなんの日かも忘れちゃったの?七海ちゃんの一周忌でしょ」
一周忌、その言葉を反芻する。
そうか、もう1年も経つのか。
あんまり、現実味が無いような感覚だった。
「で、どうするの?」
母親の顔を見ると、「どうするの?」ではなく「行きなさい」と言っているように思った。
「わかった、行くよ」
本当に大丈夫だろうか。
まともな話が出来るだろうか?
「そう、ならさっさと支度しなさい。誠くんが待ってるわよ、それに七海ちゃんも」
***
「なんで急に来たんだよ」
コンビニで買った携行食を朝食もとい昼食代わりに食べならが、誠と駅へ向かう。
「俺が来ねーと、お前行かねーだろうから」
誠はチャリを押しながら、ぶっきらぼうに答えた。
七海のお墓はここから二駅越えたところにある。それほど時間はかからない。
駅を出て、山道に入り約10分ほど歩いたところで、墓場に到着した。
「そいやお前なんかもってきたのか?」
「なんかって?」
「そりゃお供え物的な?」
「さっきコンビニで買ったやつならある」
俺は袋を漁ってあるものを取り出した。
誠に見せる。100円もしないようなお菓子だった。
「七海が一番好きだった菓子だよ」
「ふーん、よく知ってんだな」
「知らないよ、知る前に一人でどっかいったからな、あいつ」
七海のお墓のところに来た。
こんなところに七海はいないのに。
お墓の前には七海の両親がいた。
そういう偶然もあるのかもしれない。なにせ、一周忌なんだから。
「まぁ、あなた達、来てくれたの」
七海のお母さんが気づいて挨拶してくれた。
お父さんは離れた場所で親族の方と何か話している様子だった。
「お久しぶりです。急に来てしまってすみません。あと、これ七海さんに」
さっきのお菓子を渡そうとすると、
「せっかくなんだから自分でお供えしてあげて。その方が七海も喜ぶだろうし」
と笑顔で返された。
言われるがままに、お墓の前までやってきた。礼儀作法とか知らないけど、とりあえずお菓子をお供えする。
次は何するんだっけ?
合掌?
俺は手を合わせる。隣で誠もだいたい同じような事をしていた。
何を言えばいいんだろうか?
『こっちは元気でやってるよ、そっちは?』
『なんで急にいなくなったんだよ?』
『俺、七海がいないと弱虫になってしまうんだ』
『本当はもっともっと一緒にいたかったんだ』
次々と言いたいことが浮かんでは消えていく。
七海ならなんて答えてくれるだろうか?
七海なら……。
俺は目を開けた。
何か冷たいものが頬を伝う感触があった。
誠が俺を見つめてくる。
「なんだよ、お前もちゃんと泣けるんじゃねーか」
誠はどこか安心したように笑って見せた。
***
俺たちがひと段落着くと、七海のお母さんが再び声を掛けてくれた。
「本当はね、あなた達には案内状を出そうかって迷ったんだけど、主人が身内だけでやってしまうって言うからね」
「そうだったんですか、すみません」
「いやいや、謝ることはないのよ。来てもらって嬉しいのは本当だし、大事なのは主人の都合じゃなくて、あの子の気持ちでしょうから」
「そ、そうですか」
迷惑になっていなければいいけど。
そんな事を考えていると、七海のお母さんは「そうだ」というふうに鞄を漁ってあるものを取り出した。
「これをあなたに渡そうと思って、ずっと閉まっておいたの。本当はお葬式のときに渡せればよかったのだけど。あの時のあなた、声をかけたら壊れそうだったから」
「壊れそう、ですか」
そういう風に見えていたのか。
七海のお母さんが差し出してきたのは七海の生徒手帳だった。半ばくらいで綺麗に折れ曲がっている。
「事故の後、あの子の制服に入っていたものよ。病院でお医者様が見つけてくださってね」
「これ、俺がもらっていいんですか?」
「あなたは今も七海のことが好きなの?」
「え、」
唐突に発せられたその質問は、少し答えにくかった。
俺は正直に今の気持ちを言うことにした。
「多分、どこかでまだ忘れられない自分がいるんだと思います。もちろん忘れたくないし、忘れていいものでもないんですけど」
自然と言葉は出てきた。
「その気持ちが聞けて嬉しいわ。でもそれじゃあ、あなたが前に進めないわね。だから、これをあなたに」
そっと生徒手帳を受け取る。
俺は礼を言って深くお辞儀をした。
それから20分ぐらいして俺たちは帰ることにした。帰り際に七海のお父さんに何故か礼を言われた。
「あいつはあれでも弱い子だったから。君が隣に居てくれて嬉しかったんだと思う。ありがとう」
「いえ、七海は充分強かったですよ。憧れてたんです、俺も」
俺がそういうと、七海のお父さんは朗らかに笑ってくれた。
誠とは最寄り駅で別れて、俺は一人で帰路に着いた。
寂しかった。
今までこんな思いしたことなかったのに。
七海が亡くなってから、初めて「寂しい」と感じている自分が確かにいた。
みんなは葬式の時にこんな気持ちを抱いていたのかもしれない。
俺はポケットに入れた生徒手帳を触って確かめる。まだ、大丈夫だ。まだ、泣かない。
「ただいま」
「あら、意外と早かったのね。どうだった、七海ちゃんは?」
「さぁ、きっと向こうで強くやってるよ」
「さぁって、あんたねぇ……」
母親は呆れるような表情で詰め寄ってきて、俺の顔を覗き込む。
「なんだよ?」
「あんた、もしかして泣いたの?」
良くも悪くも、母親はこういう時だけ感が鋭い。
「っ、なんでもいいだろ」
「そうね、なんでもいいわね〜。お母さん、夕飯の準備しなきゃ〜」
母親は何故か機嫌良さそうに台所へ向かっていった。
俺はその場から逃げるようにして、自室へと向かった。
***
俺はこれから見る内容を受け入れて、自分のものにして、前に進まないといけない。
もちろん怖い。
俺は今でも臆病だ。
だけど、そうしないと、七海に怒られる気がした。
生徒手帳を開く。折れ曲がっているだけで、幸い読むのに支障はない。
校訓とか校歌とかがまず最初に書かれている。俺の生徒手帳の内容と一つも変わらない。
普段生徒手帳を確認する機会はあまりないからうろ覚えだが、次は確か校則だったと思う。
「本校の学則」と書かれたページに入る。
そこで思わず俺は笑ってしまった。
学則の至るところが塗りつぶされるか、もしくは訂正されていた。
俺の生徒手帳を引っ張りだして、照らし合わせてみる。
普通なら気にも止めないようなところ、特に生活に関する項目でそれは目立っていた。
こんなところに、七海は不満をぶつけていたのか。
そう考えると笑いが止まらなかった。
ページをめくる。
カレンダーが続いて、最後に余白ページが10ページ程あるはずだ。
カレンダーのページは一箇所だけ、印が付いていた。
七海が俺に告白した日だった。
俺はさらにページをめくった。
そして余白ページに到達した、が、もはや余白ページではなかった。
七海の丁寧な字で、どうでもいいこと、日々の思い、好きなものとか嫌いなものとかが、いっぱい記載されていた。
***
『明日死んでもいいように生きる!』
『午後の授業は眠い、廃止すべき』
『自分に嘘はつきたくない…』
『少し気になる男の子が出来た』
『後悔したら負け、戦わないのはもっとダサい』
『生きることは難しい』
『決めた、告白する!戦わないのはダサい』
--好きなもの
チョコボール、美味しい、安い、最強
駅前のクレープ、タピオカドリンクと飲むと最高!
休日、特に晴れの日
寝る前の読書、落ち着く
--嫌いなもの
パクチー、臭い、苦手、でも食べる
ぼー、としてる時間
きっと何かに使える
雨の日の体育
室内競技は得意じゃないのばっかり
--好きな人
自分に正直なひと
というより、嘘をつく人が苦手なのかも
真っ向勝負してくれる人
なかなかいない。困る。だけど絶対見つける!
私の弱いところを正してくれる人
多分私は他人が思ってる以上に弱い、そんな弱さを認めて正してくれる人がいたら最高かも!
--嫌いな人
嫌いな人は作らないようにしてる
だから、苦手な人、かな
嘘をつく人、他人にも、自分にも
でも、つかなきゃいけない嘘も時々あるのが残念
なにかを途中で諦めちゃう人
最後までやり通せばいいのに、って思っちゃう
人生無駄にしてる人
せっかくの人生なんだから、つまらないものにしちゃダメだと思う!
***
限界だった。
もう、視界が滲んでいて、ページをめくる手も震えていて、耐えられそうにない。
だけどあと1ページだけ、残っている。
最後まで見る責任が俺にはある。
だから、この手を止めちゃいけない。
袖で涙を拭った。
ページをめくる。
『だから私は彼を選んだ』
俺はそれからしばらく泣き続けた。
彼女はもういないんだと、全身が叫んでいた。
***
新しい季節が来た。
俺は都会の大学へ進学した。
出発前に誠と一度だけあった。
「なんかお前変わったか?」
「別に、明日死んでもいいように生きてるだけだよ」
「やっぱり変わったよ、お前」
そんな他愛もない会話を、春の柔らかな陽射しが溶かしていく。
俺は今でもたまに七海のことを思い出す。
迷ったら立ち止まる。だけど諦めはしない。
彼女に笑われない生き方を、自分に恥じない生き方をしていきたい。
これから先も多くの壁に当たる。
生きる意味も未だに考えてる。
だけど、それでいいのだ。
せっかく一度きりの人生だ。思いっきり生きていかないと、つまんないから。
-完
虚無人生 十 九十九(つなし つくも) @tunashi99
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