ガードレールに腰かけてる(7/9)
「……わたしも、いろいろ辞めちゃおうかな。どうせ、いつか死ぬんだし。悩んでもしょうがないわね」
飛び出した言葉が自分の耳に戻った恥ずかしさから、朋恵は岡田の視線を避けて壁の写真を見つめた。
地中海近くに咲く花が陽光の中で背を伸ばしている。
「ゴウダさん……これから一緒にドライブインしません?オレ、今日は車で来てて、これからあいつと海に行く予定なんですよ」
「海?」
「はい。朝の海を見に……あっ、ゴウダさん、明日も仕事ですよね?」
「ふたりの約束なんでしょ。わたしはお邪魔だから」
「全然OKですよ。ゴウダさんの名前はトモエだから、エモトとトモエ。なんか、相性いいし。仕事が大丈夫だったら、3人で行きましょうよ」
テンションを上げて岡田が続けた。シリアスな感情を消して、思いつきの計画にほくそえんでいる。
海なんて、もうずっと見ていない。新しい一日を波打ち際で迎えるのも悪くない――朋恵はそう考えて、店の近くに駐車されたセダンの助手席に座った。後ろでは江本がいびきをかいている。
「朝番の社員が来たらオレの仕事は終了です。ここで少しだけ待っててください」
いまここにいることが信じられない。明日の昼には顧客とのミーティングもある。仕事を丸一日休むわけにはいかない。それでも、当たりの多い籤(くじ)に向き合うように、これからの展開を楽しみに思い、朋恵はドアの閉まる音に胸を踊らせた。と同時に、太い針に刺された痛みが首の後ろを走った。うなじに手をあてて追突事故を思い出す。まだそれほどの時間が経っていないのに遥か昔の出来事みたいだ。
速度計と回転計のインジケーターパネルの横で、緑色のデジタル数字が時を刻んでいく。
フェンディのバッグを膝の上で握り締めて、朋恵はみじろぎせずにフロントガラスを見つめた。ワイパーの届かないガラスの端に埃の膜があって、遠くの信号が豆電球の大きさで色をにじませている。
やがて、ブルージーンズにジャンパー姿の岡田が車にやってきた。店から駆けてきたのか、息を切らせながらイグニッションキーを回してエンジンをかける。
「お待たせー!じゃ、しゅっぱーつ」
運転手の高らかな声に後部座席の江本が起き上がり、助手席の朋恵を一瞥すると、再び横になった。
「着いたら起こしてくれよ。オレは寝てくわ」
「了解。今日仕事の人もいるから飛ばすぜー!」
国道から首都高速に入ると、ガラスに映る景色が一変した。スピードで狭くなった視界に、朋恵は体を少しだけ強(こわ)ばらせてシートベルトの固定を確かめた。車の助手席に座るのは久しぶりで、俊哉とのいつかのデートを思い出そうとしたが、きれいな記憶は引き出せなかった。
陽を透かせた東の空を後方にして、車は西へ向かう。ラジオが朝一番の報道番組に変わり、一昨日に起こった凄惨な事件の続報を告げていく。
「暗いニュースばっかりですねぇ……」
ラジオと走行音といびきがシンクロするなか、お互いの顔色が知れる車内で、岡田がハンドルを安定させて言った。
「事件とかゴシップとか……ネガティブなことって、人の関心を引くんですよね」
運転の横顔が高速道路に連なるランプと朝焼けの加減で複雑な陰影を描いている。
「そうね……当事者にとっては嫌なことが連鎖したり、世の中って、けっして公平じゃないわ」
ふうっとため息をついて、朋恵が言葉を返した。
「たしかに、バッド・タイミングとか運の悪さって重なりますよね」
徹夜で働いた後でも眠そうなそぶりをみせず、岡田は前を走る軽トラックやワンボックスカーを巧みに追い抜きながら目的地を目指した。
「本当にバイト辞めちゃうの?」
「ええ。さっき、社員にも同じことを言われましたよ。本当に辞めます」
「寂しいわ。ガードレールに腰かけてる姿をもう見られないのね」
「一期一会ですよ」
「……一期一会って、わたしはあまり好きじゃないわ」
(8/9へ続く)
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