ガードレールに腰かけてる(6/9)

「それ、日本の花じゃないんですよ。地中海の辺(へん)で咲いてるって聞きました」

背中側の声に、朋恵は体を反転させて「なんだか見ててほっとするわ」と言った。



それから、朋恵は頻繁に岡田の仕事場を訪ねた。床洗浄機のバキューム音を聞いた夜はなぜか深い眠りに就くことができ、一緒にガードレールに腰かけたりして、岡田との会話を楽しんだ。異性ではなく、同性の知り合いみたいな感覚で、病院の待合室でたまたま会うくらいの距離を保ちながら。


九月最終日の夜、期末決算に追われ、明け方近い時間にオフィスを出た。日付はとっくに新しい月に変わり、街路樹の葉を揺らす風にコートの襟を立てた。

夏の終わりに、俊哉は家に戻ってきたものの、一度も顔を合わせることなく姿をまた消した。もう、最後の会話がいつだったかも忘れてしまった。

欠陥商品のトラブル以降、会社の業績も悪化の一途をたどり、朋恵のプライドは砂上の楼閣になって崩れかけている。

通りのタクシーに手を挙げて後部座席に体を沈めると、一日の終わりに不安を感じた。鼓動が速まり、睡眠不足なのに眠気が遠のいていく。

岡田のいる夜と分かっていても、今日は寄り道しないで帰るつもりだ。相次ぐ打ち合わせと会議、数字との格闘に心身がすっかり疲弊している。

ファストフードの看板が近づく。

フロントガラスに視線を落とすと、岡田と誰かがガードレールに腰かけているのが見えた。

「ここで降ります!」

朋恵のいきなりの申し出に運転手が車を急停止させ、気持ちを動作に表す感じでサイドブレーキを乱暴に引いた。

歩み寄る朋恵に気づいた岡田がガードレールに座ったままぺこりと頭を下げ、その傍(かたわ)らで、同い年くらいの若者がコカ・コーラのペットボトルを傾けている。

「こいつはエモト……オレのパートナーで……今日は……新宿で飲んだ帰りに来たんですよ」

どことなく、言い方がぎこちない。

「パートナー?……お友達?」

「えっ?あっ、まぁその……いろいろ手伝ってもらって、おかげで今日の掃除は終わりました」

しどろもどろな口調で岡田は目線を外して下唇を噛んだ。

これまで見たことのない微妙な面持ちから、朋恵は「パートナー」の意味を知ったが、岡田に誘われるまま店内に入り、窓際のテーブル席に腰かけた。

そこには封の開いたポップコーンの袋とペットボトルがあり、蛍光灯の光が残り少なくなった液体を緩く照らしている。

「ゴウダさん、やせましたね……」

岡田が真剣な眼差しでポツリと発した。朋恵には岡田の方こそやつれて見えたが、詮索せずに別の話題を探した。

「あー、飲み過ぎて気持ち悪いわ。オレ、お前の車ん中で寝てるよ」

落ち着かない様子だった江本が出ていき、朋恵と岡田はいつものようにふたりきりになった。

物音はなく、束の間の静寂が長らくの静寂を呼び、夜明けの匂いを帯びるはずの外気から遮断されている。

「オレ、実は今日で最後なんです。辞めるんです、このバイト」

唐突に岡田が切り出した。

「学校も辞めようと思って……ゼミの連中や先生がオレの陰口言ってるみたいだし……就職目的だけで大学出るのも何だかなぁって思って」

飲み干したペットボトルを右手で弄びながら、憐れみに満ちた苦笑いで続けた。

「夜中にガードレールに腰かけてたら、そんな結論にたどりついたんです。家族にも分かってもらえないしなぁ……」

そこまで言って、岡田は表情を硬くした。「パートナー」の存在を朋恵が気づいたという確信を持って、芯のある眼差しを窓の外に向けている。

「そうなのね……誰かに理解されないもどかしさは分かるわ……最近、わたしもいろいろめんどくさくなっちゃった」

岡田の告白につられて、自分でも予期しない言葉が朋恵の口からこぼれでた。


(7/9へ続く)

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