ガードレールに腰かけてる(4/9)

ワインをカクテルに替えて、二軒のバーを巡(まわ)ってから朋恵は友人と別れた。

できることなら、家に帰らないで、ずっとおしゃべりをしたかったが、翌日の仕事がそれを許さなかった。

事故に遇ったばかりなのにタクシーを選ぶ自分に苦笑いして、朋恵は空車を拾っう。携帯電話には仕事メールの受信があったものの、俊哉からの連絡はない。今夜「は」家にいるのか?今夜「も」いないのか?いれば、部屋にこもっていてもリビングの電気が点いている。今夜はどうだろう……まるで、くじの当たり外れを見るような思いだ。最近は、帰宅して自分で電気を点ける方が安心するようになった。夫の不在がもう当たり前になってしまった。

青信号の連続で、深夜の景色がスムーズに流れていく。

北参道の交差点を過ぎてファストフードの看板が見えた――と、そのとき、「あっ」と声が漏れた。

視線を置いた窓ガラスの中に「彼」がいた。時速四十キロのスピードがスローモーションの映像みたいにガードレールに腰かけている姿をとらえた。

「すみません!ここで降ります」

運転手が車を慌てて左に寄せて止め、パンツルックの朋恵は、忘れ物を取りに帰るみたいに小走りで近づいた。

「この前はコーヒーをありがとう」

酔い心地のまま呼びかけると、岡田は座り姿勢の上体を反らせて目を丸くした。

「ちょうど、車で通りかかったの……」

言葉とともに、朋恵の鼓動が速まっていく。

「……首は大丈夫ですか?」

月曜日とは色違いのユニフォーム姿でポップコーンの袋を持った岡田は、腰かけた姿勢を車道側から歩道側に変えて、朋恵に向き合った。

お酒のせいか、たまたまか、朋恵の首に違和感はなく、返事の代わりに「災難だったわ。わたし、頭にきてタクシーのレシートを捨てちゃった」と偽りなく告白した。

早口なしゃべり方と赤らんだ頬から、岡田は朋恵の飲酒を知り、職場が近くにあることまで推測する。

「あなた、岡田さんっていうのね。名札、見ちゃったわ。仕事中?」

「はい。いまは、見てのとおりの休憩中です」

岡田はポップコーンを勢いよく口に投げ入れた。その細く長い指は女性のようで、朋恵は五十センチほどの間隔を空けて同じ向きに並んだ。

「ひとりで店を掃除してるの?たいへんね」

「いや、楽勝ですよ。適当に休憩も取れますから。ここに座って、車の流れを見てると嫌なことも忘れられます。いいバイトです」

ふたりの足下の路上では、投棄され錆びついた自動車のバッテリーが電極部分のキャップを風に揺らしている。

朋恵が店を見上げると、月曜日と同じ状態で、蛍光灯がわずかな光を歩道に落としていた。周辺に人影はないものの、時折、トラックの走行音が右から左へ流れ、ここが都会の一角であることを思い出させる。

「朝は何時まで仕事?」

「六時までです。店を開けるスタッフと入れ替えで帰って家で爆睡」

岡田は敬語でゆっくり答え、ポップコーンの袋の口を朋恵に向けた。

「わたしが起きる時間ね。旦那を起こして朝ごはんを作る……」

口から出た嘘をごまかすように、朋恵は数粒のポップコーンを掌に乗せた。

「旦那さん?」

「……そう……夜中に事故に遇ったり、こうしてお酒を飲んだりしてても結婚してるわ。もうすぐ四十」

「なんだぁ、オレ、期待しちゃったぁ。すげぇ若く見えるし!」

急にテンションを上げて砕け口調になった相手に、朋恵は少し臆してから声を出して笑った。「オレ」という言葉が似合わないと思う一方、即興でジョークを放つコミュニケーション力に好感を持つ。

「じゃ、デートに誘っちゃおうかなぁ……」

伸びをして、朋恵は、排気ガスを帯びた空気を強く吸い込んだ。アルコールが体から抜けていくのが気持ちいい。

「お笑いタレントと結婚している、田中なんとかっていう女優に似てますよね?」

「……田中美佐子のこと?あの人、わたしより全然年上よ。それに、申し訳ないけど、あんなにきれいじゃないわ」

「そうかなぁ……ま、年齢のことはスミマセン」

岡田はポップコーンの袋を手際よく輪ゴムで止めて、ガードレールから弾かれるようにポンっと降りた。


(5/9へ続く)

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