エピローグ・灯火を糧に

「これからどうするの?」

「ウェラグナに戻る。院の卒業手続きを終えてから、帝都を当たってみるつもり」


 荷物はそれほど多くない。先日故郷こきょうに戻る時に使った、大きめのリュック一つで事足りた。

 屋敷の正面玄関前。レニが白い吐息と共に、前向きな言葉をくれる。


「見つかるといいね。その騎士」

「……うん」


 こんなにも良くしてくれた――今なお良くしてくれる人を放って、自分の人生を捧げると決めた相手を探す。何処どこに居るとも、今どうなっているとも、どんな人間とも知れないというのに。


 つまらないこだわりにとらわれた、馬鹿げた選択かも知れない。でも、もう決めてしまったことだから、今更くつがえせない。そのために力を付けた。ここまで歩んできた。自分の生き方を否定することは出来ない。


 レニがどことなく、言いづらそうに、手持ち無沙汰に、挙動不審に。

 いつぞやの自分のような雰囲気を、少しだけかもし出して。


「僕も、一緒に行こうか?」


 意外な申し出だった。

 意表を突かれ、返答までやや長めに時間を使ってしまう。


「……やめておく。一人で……自分の力で、探したいから」

「――そっか」


(――)


 本音を言えば、来てほしかった。一緒に居たかった。叶うことならずっと。


 でも。

 この目的を成し遂げるには、未練を残してはいけない。

 今この場で断ち切らなければきっと、一生レニに甘えたままになる。

 そんな気がした。


「また、いつでも遊びに来てよ。自分の家のつもりで」


 きっと、自分の家のつもりだった。つい、この間までは。


「気軽には来れないかな。その時は別の女の子を連れ込んでそうだし」


 投げた軽口に、レニは笑みで返すだけだった。


 薄青い空はまだ明るさを取り戻せておらず、人の気配はほとんど無かった。

 早すぎる時間に見送りをさせてしまったことを、少し悪く思う。


 ふと、これまで一度も伝えていなかった言葉を、口にする。


「ありがとう」

「ん?」


 至らなさが身に染みる。思い返せば、自分のことばかりに目を向けていた。


「本当に、どの口で恩やら代価だいかなんて言ってたのか恥ずかしいんだけど。今の今まで謝ってばかりで、お礼を言えてなかった。……ありがとう」

「こちらこそ。君と過ごせて良かった」

「……」


 いつもと変わらぬ、温かい笑顔。

 その唇に、最後の口付けを交わしたくなる衝動を、必死で堪え。

 握手で代替すべく、右手を差し出す。


 快くこたえるレニだったが。


 ――彼が同じ気持ちであって欲しい――


 ――それが、堪えられないほどの衝動であって欲しい――


 と。かすかに願いながら。

 見つめ合い、少し長めに握り続ける。


(――)


 手を離したところで期待を飲み込み。

 短く別れの言葉を切り出した。


「またね」

「うん。また」


 ***


 屋敷が見えなくなりそうな距離で一度だけ振り返ると、いつの間にのぼったのか、その最上階の窓から手を振るレニの姿が見えた。


 こちらが気付いた直後、聞こえるはずのない距離で、レニの口が何か言葉をつづる。


 うと読唇術どくしんじゅつから言葉を特定するが、いて言えばそれは、あの黄昏たそがれの下で直接言ってほしかった台詞せりふだった。


 見間違いかも知れない、勘違いかも知れない。


 それでも、思い切り分かりやすい口の動きで「ばーか」とだけ返す。


 レニの破顔はがんを確認し、それに負けない笑みを浮かべ、背を向けた。


 ***


 絶えず流れていた風が瞬間的に強まり、反射でまぶたが閉じる。


 まだ冷たさの残る空気が、肌から体温を奪おうとする。


 しかしこの身も心も、強がりでも何でもなく、その冷気に心地よさを感じていた。


 世界の冷たさは果てしない。けれど自分は幸運にも、それをくつがえすほどの優しさに包まれた。


 みた風は、肌に残った温もりを、熱を、確かめさせてくれる。


 ***


 胸の灯火を糧に、シェリナは歩みを進める。


 冬が終わる日。彼誰時かわたれどきの、空の下。




(『追憶のシェリナ』灯火の少女編・完)

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追憶のシェリナ カギナカルイ @ruikaginaka

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