幕間・賢者の仮説

 ――ここまで読み進めてお分かりいただけたかと思うが、私が異界より得た知識に基づいた数多あまたの実験の結果、魔術を発生させる仕組みについては、確実に再現可能な条件を記すことが出来た。だが、魔術・魔素マナ魔次元アストラル体(=精神体)――いわゆる一連の《魔》の領域において、それらの要素が人間の感情に与える影響までは、全てを解き明かしたとは言えない。


 このようなエピソードがある。ある王侯貴族が、関係の良好だった隣国の美しい姫君との婚約を突然破棄し、会ったばかりの町娘との駆け落ちを決め、しがらみの無い遠方の地で婚姻するに至った。異常なことに、その町娘とはその日まで一切面識が無く、馬車から転んだ拍子にたまたま接触しただけで、婚姻までの一連をたったの三日で完了させている。調べによると、その貴族と町娘は高い魔力知覚を持っており、また有する魔素マナのタイプと密度が酷似していることが分かった。


 前章にて説明した通り、同質同値――すなわちタイプと密度の等しい魔素マナエネルギーが衝突する際、収束・同一化を求めつつ強いエネルギーを放つ、この現象を《臨界共鳴クリティカルハウル》と呼ぶ。これはあくまで仮説であるが、この臨界共鳴クリティカルハウルは単純な魔素マナの座標やエネルギー量だけでなく、魔力知覚の高さに応じてその奥の精神体にも影響を与え、感情のレベルでも起こっているのではないかと推察される。ここでは仮にその現象を、《感情のエモーショナル臨界共鳴クリティカルハウル》と呼称する。


 再現性に乏しいが、近しいタイプ・近しい密度の魔素マナを持つ者同士での同様の例は、性別を問わずいくつか観測されている。一般的には「一目れ」と呼ばれるものを極大化した状態とでも言おうか、接触した瞬間に当人ではあらががたい引力が発生し、互いを求めること以外の優先度が極限まで下がり、時に破滅的な選択をも平然と選んでしまう、見ようによっては精神疾患しっかんの一種とも言える。


 各種依存症の症状や魅了系魔術テンプテーションの効能と酷似しているが、それらとの大きな違いがある。目的遂行のための、異常なまでのパフォーマンスを発揮でき、かつ当人同士はどこまでも幸福感に満ち満ちている点だ。依存症はその果てに心身を害し、魅了系魔術テンプテーションは思考力を奪われ術者の益が第一の奴隷と化す。破滅が確定しているそれらとは違い、観測された《感情のエモーショナル臨界共鳴クリティカルハウル》状態の者同士は、パフォーマンスや幸福感を維持したまま、理想の人生を描き目指し続ける、言わば「火事場の馬鹿力」が永続する超人と呼んで差し支えない者ばかりだった。


 発生条件の一つに、近しい魔素マナタイプと密度があることは分かっているが、それらは基本、生涯変わることは無い。精神体の魔素マナ容量を変化させ、密度をコントロールすることが出来れば、より深い検証実験を行うことも可能だが、残念ながら現時点でそのような手段は発見されていない。

 加えて、両者の魔力知覚の高さも必要のようだ。これは年齢による衰えもあり、ピークとされる10代前半~20代後半までが好ましい。

 ――だがそこまでの条件を揃えても、同現象を再現出来たケースは、非常に稀であった。(というよりも、人為的な検証実験では一つとして再現出来ず、過去に観測されたものは既に偶発的に発生済みのものばかりであった)。他にも何か、発生条件があるものと思われる。引き続き調査を進める次第だ。


 もしこの仕組みを解き明かし、再現性・安定性を保持したまま人類全体に適用することが出来れば、人類という種を一つ上の領域にシフトすることさえ叶うやもしれない。この《感情のエモーショナル臨界共鳴クリティカルハウル》はそれほどの可能性を秘めていると、私は確信している。


(ミルカグラス異聞録・17巻3章「仮説・感情のエモーショナル臨界共鳴クリティカルハウル」より抜粋)


※注釈:本章はその再現性の低さや内容の不明瞭さから、一般的にはオカルトの部類とされており、多くの操魔ソーサル学術院カレッジの教材からは除外されている(大きなインパクトを与えた書籍群であることは確かだが、同様の扱いを受けている章は多い)。発行から五百年あまりが経過した大陸歴547年時点で、本内容の研究にあたっている者は、ほぼ皆無である。

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