届き得ぬ風

 自分が、全力で戦う時の装備と術式郡。それらを展開した操魔士ソーサラーを前にしてさえ、レニはさしたる反応も見せなかった。


 返したのは、ただ一言。

 薄い笑顔を浮かべたまま。

 泣き喚く子供をさとすように。優しく。


「シェリナ。落ち着いて」


 その穏やかな口調に、苛立いらだちが走る。

(……落ち着け、ですって?)

 その言葉は、火種に振りかけられた油だった。


「あなたは本当に、いつも落ち着いているわよね。どんなことがあっても。わたしがなぶられるのを見てた時も。わたしを買った時も。わたしを……抱いている時も」

 言葉だけでも冷静につづろうとつとめたが、段々と熱を帯びるのを止められず。


「夢中になってるのはわたしばっかり。いつもいつも、何考えてるのか全然分かんないし」

 ついには、最後は叫びに変わった。


「教えてよ。あなたがそれだけ落ち着いていられる理由を。あなたのその余裕が、一体何処どこから来るのかを!」


 高速で呪文をつむぐ。かつて彼を建物の壁に吹き飛ばした衝撃波の術式。いつぞやと比べ、速度も威力も数倍に跳ね上がった不可視のそれを、レニは。


 身体の向きを変えながら、横に軽く飛んだだけで、かわした。


「――‼」

(やっぱり――!)

 あの時、かわそうと思えばかわせたのに。力を隠すため、わざと攻撃を受けた。そう確信する。


 追撃の手を緩めない。横に飛び、位置を変えながら、自分が得意とする衝撃波の術式を、裂天の手套ブラストブルーに乗せて放ち続ける。その一発一発を、レニは丁寧に避け続ける。


 だが、この程度では驚くに値しない。これらはまだ牽制に過ぎない。印の運びから、軌道を読むことは出来る。身のこなしが軽い級友ですら、魔術無しで同じ真似はできるだろう。


 この周辺には誰も居ない。自分達を知る者も、聞き耳を立てる者も、流れ弾に当たって死ぬ者も。一対一で、全力で向き合える。こんなところにまで連れ出した、もう一つの理由がそれだ。

 レニもその意図は分かっている。分かってくれているはずだ。それなのに。


 レニはただ、黙って攻撃を避け続けるだけだった。


(どうして、何も言ってくれないの……⁉ 力を使ってもくれないの……‼)


 このままでは駄目だ。一旦、動きを止め立ち止まる。それに合わせるように、レニも。その息は、少しも乱れてはいない。


 質問はしない。でも、促すために。冷たく静かな水面に、石を投げるように。

 そして自分の決意を再度、刻みつけるように。

 言葉を、つかう。


「あなたが……あなたがもし本当に、あの時の騎士なら……」


 恩を返す。そう決めていた。でもどうやって? 

 彼はきっと、命を賭して仲間を裏切り、自分の命を救ってくれた。

 それに見合う代価だいかは何か。決まっている――もう自分の人生、そのものだ。


「……わたしはもう一度、あなたのものになる。これから先を、あなたの願いを叶えるためだけに生きる」


 もうこれは理屈じゃない。自分がこんなになった理由なんて、考えたって分かるわけがない。

 きっとあの口付けから――口付けを、受け入れた時から――自分は、支配された。

 摂理。運命。呼び方は何でもいい。ただただ、あらががたい引力だけが、そこにある。


 きっとこの人だ、もう間違いない。

 後は、証明するだけ。

 そう、心に刻んだ。

 その、瞬間――


(……っ⁉)


 背筋が、凍る。

 頭蓋の頂点から首筋を通り背骨まで、長い氷の針を差し込まれたような。

 外気も、一気に数度下がった気さえする。

 その元凶を、見やる。


「――」


 レニの顔から、笑みが消えている。笑みだけではない。表情そのものが、消えている。

 見ようによっては、驚いているようにも、悲しんでいるようにも、見える。

 感情の読めない、見たことのない顔。それはまるで、陶器の人形のよう。


 これは、殺意、なのか。

 だが間違いなく、死をはらんだ、顔。

 数多あまたの絶望を、享受きょうじゅする。そんな、顔――


 ごくり、と。口内に溜まっていたものを飲み干す。

(――これが)


 これが、騎士の顔なのか。

 ようやく、全力を出してくれるのか。


 消えた笑顔を補填ほてんするかのように、こちらに笑みが宿る。

 未知の手合いと相見える時のたかぶり、好奇心。

 数多あまたの真理を解き明かしてきた、根源の羅針盤。

 操魔士ソーサラーが、操魔士ソーサラーたる所以。


 レニの手が、ゆっくりと動く。淀みなく。

 あらかじめ決められた流れに沿うように。

 修練の末の所作しょさ。それが、分かるほどの。


 コートの内側から何かを取り出す。金属製の、何か。

 ナイフの類かと目を凝らすが、形状が違う。

(あれは――!)


断魔の首輪ソーサルキラー》――奴隷として売られた時に魔術を封じられた、あの首輪。操魔士ソーサラーの天敵。警戒に値する魔具。――だが。


 レニの魔素マナに変化は無い。元の常人のまま。身体強化をしていない生身の人間。そのままで、戦闘態勢に入った操魔士ソーサラーに取り付けられる見込みは薄い。


 その挙動に注視する。魔素マナ反応にも。もしかすると既に、あの時の防壁を活用し、自分に知覚できない何かが、もう動いているのかも知れない。


 ――と。

「⁉」


 突然レニが、首輪を大きく放り投げた。

 ちょうど真横、斜め上60度ほど――言ってしまえば、あさっての方向。

 勢いは強く、速く、高い。そのままどこかの枝葉に絡めとられるだろう、行き先。


 思わず首輪を目で追うが、一瞬で思い直す。

 視線を誘導する、動揺を誘うだけの罠。これは、その可能性が高い。


 レニ本体に注意を戻す。すると。

 何か、両腕を素早く振るような動きを見せた。


 一番近いのが、ナイフの素振りのような。

 しかしその手には何も持っていない。

 いないように見える。


 こちらに何かを飛ばす挙動にも見えた。

 しかし何も飛んできてはいない。

 いないように見える。


 ――だが。


(――‼)


 悪寒が襲い、思わずその場でうずくまった。

 次の瞬間。


 ざぐり、と。自分が立つ位置の、数歩先。

 何かが地面に、音を立てて突き刺さる。

 ――断魔の首輪ソーサルキラー


「……なっ……⁉」


 一瞬前に自分の首があった位置を通過し、背後から斜め下に駆け抜けた。そんな、軌道。

 こちらが前方に張った障壁の、死角となる背面後頭部を狙って。


(魔術による念動力――⁉ いや……)

 いまだ魔素マナの反応は無い。魔術を使っている気配は無い。仲間が居る様子も、無い。


 目を凝らすと、首輪に何か細いものが巻き付き、細かい光沢を描いている。それを辿たどると、空中に大きな複数の曲線を描きながら、最後はレニの左手のそでの中に到達した。


 レニが大きく左手を振り上げると、それに釣られて首輪が大きく空へ、自動的に舞い上がる。伴い、何かモーターのような機械音がレニから響く。


 気付いた今でははっきり見える。レニと首輪を結ぶ、何本かの、糸。

 これは――


(鋼糸術――)


 思い出す。書庫にあった書籍群。機械戦闘術に関する書物に、読んだ形跡が多かった。


 常人が操魔士ソーサラーに対抗する手段として、機械を用いた様々な戦闘方法が研究された。鋼糸術は、その中の一つだ。

 特殊な素材と製法で編み込まれた強靭きょうじんな糸で対象を吊り、切り裂く。その射出と巻取を、機械でアシストする。

 魔具と併用して今のような攻撃も可能は可能だ。――が。


 機械戦闘術は総じて、高品質な製造技術と継続したメンテナンスに加え、何より術者の高い技量が要求される。魔素マナを要さず、魔力知覚で感知できないというメリットはあるものの、いずれも魔術に比べ威力・精度・汎用性が低く、操魔の発展と共に徐々に廃れていった、今では手品の類だ。それを実戦で、今のような精度で行使するレニは、驚愕に値する。


 見るとレニの両手首の奥、ゆるりとしたコートのそでの中から、何か薄い金属製の小手がのぞいていた。仕組みは分からないが、あれが糸を制御する機械なのだろう。もしかしたら、あのコートや服自体にも、何か仕掛けがあるのかも知れない。


 勘が働かなければ、自分は無力化していた。それでも、相手の力を引き出すため強気に告げる。

「こんな手品で、わたしに勝てると思ってる?」

 最も成功率が高いはずの、不意打ちの初撃をかわせたなら、自分の優位は揺るがない。実際、それは事実のはずだ。相手が、生身のままなら。


「君の話は置いておいて、君に負けるわけにはいかないな。そこだけは同意するよ」

 ようやく口を開いたレニは、強い言葉を返した。冷えた声色こわいろで、淡々と。

「口説いた相手に負けるなんて、格好悪いからね」


 その凍った口調にあまりにも不釣り合いな、俗っぽい軽薄な言葉。

 だが。脳内で反論する。


(それを言うなら、生身の人間に操魔士ソーサラーが負けるわけにはいかない――格好悪いどころの騒ぎじゃない!)


 レニが再度、手を振りかぶる。

 魔性の銀細工が、宙を舞う。


 ***


 糸を駆使し、幾度となくこちらに首輪の装着を試みるレニに、衝撃波で応戦する。

 何度避けても、何度弾き返しても、何度本体の体勢を崩しても、大きな弧を描きながら、驚くべき速度と角度で、器用に首を狙い続けてくる。

 ……どこまでも鬱陶うっとうしい。


 ――なら。

(もう、壊してしまえばいい‼)


 別の呪文を開始する。鋼鉄をも切り裂く、真空の刃の術式。

 相手の挙動は充分に観察した。軌道は読める。

 その中でも、特に読みやすいリズムに合わせて。


 加えて。不意に思い当たった事実に、慎重さを期して未来の行動を一つ後付けする。その上で。


(ここ、だ!)


 詠唱を終え、印を突き出す。

 頭に入っている真空刃の攻撃速度から、着弾までの時間を逆算し、発射する。


 そこから一秒経たず。

 軌道の交差点。

 耳障りな高い金属音が鳴り響き。光の糸がたわむ。

 ――刹那せつなの刃が、首輪に命中した。


 糸から外れ、瞬間、宙を彷徨さまよう金属。

 分断はできなかったが、本体がえぐれ、完全にひしゃげている。

 回路をどこまで破壊出来たか不明だが、機能は停止したはずだ。そもそも輪の形を保てていない。


(よし――)


 最大の脅威を排除できたことで。

 集中力を一瞬、弛緩しかんさせる。

 そのように見せる。

 わざと。


 ――そこに。

 振り向きざま、真空の刃を手にまとった手刀で、撃ち落とす。


 もう一つの、断魔の首輪ソーサルキラーを。


(――だと、思った‼)


 考えればあの夜、自分と共に首輪を手に入れてからわずか数ヶ月間の訓練で、あんな精度を実現出来るわけがない。遥か以前から、元々持っていたと考えるのが妥当だ。

 だとするなら。二つ以上の首輪で攻撃してくることも充分想定できる。


 そして。隙を作るのも、隙を突くのもここまで巧みなレニなら。

 一つを破壊出来た瞬間の、弛緩しかんを狙ってくると思っていた。


「……」

 無言で、糸を回収するレニ。その表情には、失望の色は無い。何の色も、無い。

 真空の刃が直撃したものも何本かあろうに、糸は全て健在のようだった。相当な硬度。


 そして、首輪は二つだけのようだった。

 もっとあったなら、恐らくは立て続けに投げて来ただろうから。


 視線を絡めあったまま、動きを止める二人。


 ――さあ。次はどう出る。

 生身で立ち回るのも、限界のはずだ。

 いい加減、正体を見せたらどうなのか。


 様子を伺っていると。

 レニは振り返り、こちらに背を向けた。

 そのまま淡々と歩き出す。


(――?)

 挑発しているのか。何なのか。

 もう帰ろうということなのか。


 ある地点で、立ち止まる。

 振り返ったまま、片手を高くかかげ、糸を真上の枝に巻き付ける。

 ――そして。


 レニが、機械音と共に天空に舞った。

 途中、縦方向に反転する。

 逆さの顔で、呼びかけられる。淡々と。


「おいで、シェリナ。一緒に遊ぼう」


 ――遊び。

 彼にとっては、こんなもの、遊びの一つ。


 注がれた、新たな油。

 それを燃やし尽くす、業火を胸に。

 中和し、反転した重力に乗せて。


 思い切り、地面を蹴った。


 ***


 吹き飛ぶ木々の枝葉、砕かれる岩、えぐり取られる土。

 根本から破壊され、倒木した樹木も何本かある。


 ……何も知らない人間が通りがかったら、自然破壊が趣味の狂人が暴れていると思うだろう。


 両腕の糸を駆使し、木々の間を縦横無尽じゅうおうむじんに駆け巡り、こちらの攻撃を一つ漏らさずかわし続けるレニ。

 もはや、放つ衝撃波の頻度にも威力にも速度にも、一切の加減はしていなかった。

 それなのに。


(かすりもしない、なんてこと、ある――⁉)


 いや、正しくは服はかすめており、ところどころ裂けている。だが、肉体には一切当たっていない。


 冬の空気が気にならないほど、全身が熱を産み、汗が吹き出していた。

 もう何十分経過しただろう。それほどの長時間、二人で飛び回っている。


 ――気付けば。

 そのレニの回避行動に、目を奪われていた。

 胸中に湧く焦りが、羨望せんぼうに変わっていた。


 下手な歌劇よりも、圧倒的に見るものを惹き付ける、しなやかで美しい、その挙動。舞い。

 生身の身体で。機械の力を借りているとはいえ、こんなにも効率的に、華麗に、人は動けるものなのだろうか。


「……」


 自分を抱いた身体の、魅惑的な姿。

 新たな一面――


 だが。見惚みとれている場合ではない。

 相手に、魔術を使う気配は一切無い。

 もう、相手の力を引き出さなければならない。

 正体を、暴かなければならない。

 だったら。


(これなら――どう⁉)


 呪文に移る。

 直線軌道に目を慣らせた直後の。

 速度をばらつかせた弾幕に隠した、曲線軌道の本命を死角から当てる、衝撃波の一斉射撃。

 学術院カレッジの模擬戦闘で最も勝率の高い、自分の得意とする型。


(一人たりとも――教授陣でさえ、初見しょけんでこれは見切れなかった!)


 ここまでの攻撃で、相手の目は慣れているはずだ。事前準備は終えている。


 詠唱を完了する。両手の魔術印の挙動で、それらの発射座標と軌道を定義する。

 必勝の策をめぐらせた渾身の弾丸を、一斉発射する。


(これで、見極める‼)


 集中力を増す。精神の処理能力が加速し、相対的に知覚時間が減速する。

 襲う弾幕。レニはそれらを、これまで通り紙一重でかわしながら。

 本命の一撃の、不規則なカーブを描く複雑な曲線軌道を。


 レニは正確に目で追っていた。完全に見切っていた。


「……」

 生身のままで。

 こちらの挙動と思考の癖を読んだ上での。

 操魔の知識に裏打ちされた、観察眼。


 彼は、紛れもなく操魔士ソーサラーだった。これまで出会った、誰よりも。

(……凄い)

 思わず思考の中で、感嘆かんたんの声を上げる。――だが。


 着弾の直前。

 レニは視線をこちらに移し。

 氷の表情を溶かし、微かに笑みを浮かべ。

 一切の防御や回避をせず。


 ――その一撃を、受け入れた。


「……え?」


 レニが吹き飛ぶ。思わず声が漏れる。


 いつぞやとは比べ物にならないほど高く、遠く。

 かつて自分が身を投げようとした崖。墓標。

 レニが描く放物線は、その縁の先へと続いた。


「‼」

 咄嗟とっさに崖の縁まで移動し下を眺めると、激しくうねる水面へ落下してゆくレニを視認できた。


 反射的に思考する。

 今なら助けられる。

 自分も落ち、落下中に飛行術式を発動し、彼を拾うだけだ。――けど。


 彼が本当に高位の操魔士ソーサラーなら、このまま大人しく落ちるわけがない。

 命と天秤に掛ける程の秘密なんて、この世にあるわけがない。

 だいたい、彼は今の攻撃をわざと受けたのだ。


 きっとこれは、挑戦状だ。

 この極限状態で、果たしてこの駆け出し操魔士ソーサラーの小娘が、偉大なる騎士たる自分の力を見切れるかどうか、試してる。そうに違いない。


 見極めねばならない。

 彼は、通常では測れない力を持つのだから。

 これくらいの窮地きゅうち、こちらをあざむきながら助かる手立てを隠しているはずだ。

 よく見ろ、よく見ろ――。


 しかし。


 その落下音も、飛沫しぶきも、轟音の激流がき消して。

 レニは呆気あっけなく、川へ吸い込まれていった。そう見えた。


「……レニ……?」


 そのまま数秒が経過するが、見た限り何ら変化は無い。荒れ狂う水面が、ただそこにあるだけだ。

 先程まで感じていたレニのわずかな魔素マナ反応すら、消えて無くなった。


 ***


 ふと。

 普段なら当たり前に出来ていた思考回路が戻ってくる。物事の道理。世界の法則。なるべくしてなること。そういったものの、考え方が。


 仮に彼が自分の命を繋ぐ手段を持っていたとして。どうやって、それを行使する? 


 水に包まれ、呪文も唱えずに? 

 溺水し、呼吸を止めながら? 

 果てに酸素が滞り、意識を失いながら? 

 魂が抜け落ち、激流に身を砕かれ、土に還りながら? 


(……そんなこと)


 できる、はずが、ない――


「レニ‼」


 崖から身を投げる前。

 咄嗟とっさに脱げたのは、ジャケットだけだった。

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