手繰り寄せる真実
あの
朝食を済まし、片付けを終えたタイミングで、切り出した。
「レニに、渡したいものがある」
「あれ、僕の誕生日はまだだけど。何かな」
袋から取り出す、100カナル紙幣の束。合計十個。雰囲気的に積み重ねたかったが、使用感のある札が多かったせいか束の形がいびつで、バランスを崩しそうだったので横に並べた。今考えると、銀行で
「10万カナルあるから確かめて。わたしを買った額と同額のはず」
レニが深く
「……最近、朝から晩まで出掛けてたのはこれを稼いでたわけか。話だけは入ってきてたよ、制服姿の女
この時世、自分のような立場が手早く金を稼ぐのは
この地域で本格的に
手にとった束の数枚をぱらぱらと流し見、戻す。それだけで、確認を終えたようだ。
「こんな短期間で、だいぶ無茶したんじゃない?」
「大したことない、あの時に比べれば。今考えれば、この街に来る前にこうしていれば良かった。……馬鹿だった、本当に」
奇しくも同じ額だったことからルドガンとの取引が過ぎり、思わず口に出してしまう。
しかしレニは。一介の文筆家にはとても相応しくない、事情通ぶった――事情通であることが既に共通認識となっているかのような――返答を返す。
「どうかな。闇社会の情報網は想像以上に深い。ルドガンは君がこの街に着いた時点で、君の
「……」
そうかもしれない――それでも後悔は消えない。
だがそんなもので足を止めている場合ではない。自分には、やるべきことがある。話を戻す。
「これで、わたしは自分を買い戻したい。いい?」
呆れるように、レニが
「僕はこれまで何度も、君はもう自由だと言ったつもりだし、何が変わるわけでも無いけど――これで君の気が済むなら、一旦預かっておくよ」
レニがどう言おうと、これは自分なりのけじめだった。
「でも、どうしてこんなことを? ああいや……このこと自体は実に君らしく思うけど、こんなに急いだ理由は?」
自分らしく思う。そんな風に思ってくれていたことが、嬉しかった。
「一刻も早く、元の目的に戻りたいの。でもその前に、あなたからの借りを返しておきたかった」
「……目的?」
軽く
「あなたと一緒に行きたいところがある。できたら来て欲しい。往復で、
こちらの
「え。今すぐ?」
「無理なら明日にでも。できるだけ早くに」
内容も告げずの、あまりにも無茶な願い。だが、叶えてくれる気がしていた。これまで、こちらの願いを
「……いいよ、今すぐ行こう。荷物をまとめるから、玄関で待ってて」
***
大陸鉄道を経由する、レニとの旅路は心地良かった。軽薄な会話も、場所が変われば話の
自分が一人で旅をしてきたのは、誰かを巻き込みたくなかったからだ。きっと自分の目的は、危険を
途中、何度か泊まる宿では、どちらともなく誘い、自然と身体を重ねた。もう、お互いにとってこれは、呼吸と同じようなものになっていた。それでも、慣れによる刺激の低下を防ごうとする施策は、互いに創意工夫を凝らし続けていた。それも含めて、呼吸のようだった。
目的地に着く前夜。いつも通りに振る舞ったつもりだったが、何となくレニの表情が薄まったように見えた。それはきっと、自分のせいだった。明日、答えが出る。出さなければならない。それがたまらなく、怖かったからだ。
***
レニの屋敷を出て12日後。
日が高いうちに、目的地に到着できた。
水没した
父さん。母さん。村の皆。自分だけが生き残り、今ではきっと自分だけが、この村の存在を覚えている。
目を開き、水面を見据えて。語りだす。
「三年前、村が帝国に襲われた時。ここで、わたしを助けてくれた騎士がいたの。薄暗かったし、兜で顔は見えなかったけど多分、わたしと同じくらいの歳の」
水の流れは早い。一過性のものと思いきや、あの津波でどこかの大河と接続され、新たな河を生んでいたようだ。
「なんで助けてくれたかは分からない。最初は襲われそうになって……でも、他の騎士が来る前に、魔術の防壁で気付かれないようにしてくれた。おかげで逃げ延びることが出来た」
振り返り、レニに向き合う。
「わたしが魔術を習ったのは、顔も名前も知らないあの騎士を探すため。この世界でそんなことをするなら、まず力を付けなきゃいけないと思った。孤児院では目に留まるくらいには結果を残して、
レニの反応を見る。少しうっとりとした表情で、羨ましそうに返してくる。
「誰とも知れない、命の恩人を探す旅か。ロマンチックだね」
「レニ」
「ん?」
少しだけ大きく、息を吸い。
「あの時の騎士――あなたじゃないの?」
冗談や軽口に思われないよう、真剣さを込めて告げる。だがレニはまさに、冗談や軽口に対するような半笑いの口調で、返してくる。
「いきなりだね。なんでそう思うの?」
「あなたに似てる気がした。声も……唇も」
それらからあの騎士を連想し、何度となく二人を重ねるような夢さえ見たのは、同じものを覚えていた身体が、呼び起こしたものではないか。今になって、そう思える。
だが、レニは。
「似た声の人なんて、街中だけでもたくさん居るよ。唇だって、同じ生き物なんだから、みんな同じようなものじゃない? そもそも……」
両手を広げ、大仰にアピールする。
「見て分かる通り、僕の
一見すれば。たしかにそうだ。でも。
「他の騎士を欺けるほどの防壁を張れるなら、自分の
返答は既に用意してある。どのように詰めていくかも。
「気になってることがいくつかある。あなたが住んでいたあの屋敷。あれだけの財を持ちながら、警備を全く付けないのはどうして? 富裕層は自分の命を守るため、
もしくは、自分の命に興味が無い可能性。それはこの際、除外した。
「屋敷の書室だってそう。あれだけ大量の蔵書があるのに、大賢者ミルカグラスの異聞録はおろか、魔術に関する書物が一冊も無かった。今の世の中で、逆に不自然よ。まるで、自分は魔術に関係ないってアピールしてるように見える」
もっと言えば、一部の書籍群を慌てて廃棄したような形跡があった。空白の本棚。本達の、残響。
「そして……あなたがわたしを買った夜。あの直後、あの場に居た全員が死んだのも知った。死因は全員窒息死、容疑者は不明のまま。警備兵の見解は裏社会の抗争、それも高位の
レニは驚きはしない。それはそうだろう。彼の正体がどうあれ、彼の情報網ならば既に知っていたはずだ。そのような、反応。
(でも、あまりにも――)
「あまりにも、わたしに都合が良すぎる――わたしのために動いてくれたとしか考えられない。でも、そんなことが出来る高位の
「……」
少々、まくし立てすぎた。一旦、
レニが風で偏った髪を流しながら、口を開く。
「……根拠は、それだけ? 悪いけど何もかも、こじつけが過ぎるように思うかな」
その反応は、少し冷ややかになっている。いい加減にしてくれと言わんばかりの、退屈そうな口調。
でも。もう一つ。
「もう一つだけ、根拠を話す」
それが、わたしから見て、一番大きなもの。踏み出したきっかけとなった、それを。
胸元の飾りを、話の中心であるかのように、手に取る。
「このペンダント、母さんの形見なのは確かだけど。それと同時に、あの人を探す手がかりでもあったの。だからどうしても取り戻したかった」
「手掛かり? そのペンダントが?」
若干の、興味を引けた感触。もし彼に高い魔力知覚があるなら、動作し続けていたこの機能には気付いていただろうが、一応の解説を続ける。
「一見普通のアクセサリに見えるけど、わたしには特別な意味を持つ。これは、事前登録した
ペンダントを
「旧式で、データを外に写すことは出来ないけど。母さんにこれを貰ってから手放すまで、わたしはこれを肌身放さず付けていた。その間にわたしが見た全ての映像が、ここには詰まってる。再生機能を起動することで、わたしはいつでもそれを見ることが出来る――誰かに見せることも出来る」
ペンダントの角度を
「まだ母さん達が生きていた頃。家族や、村の皆と過ごした日々。そして――」
自然と、感極まる。終始冷静に話したかったが、こればかりはどうしようもない。
「あの夜、村が焼かれて水底に沈んだ日。わたしを助けてくれた騎士の姿も」
表情は変わらないものの、レニからは若干の緊張が感じられた。
「旅に出る前――これを無くす前、何度も見返して手掛かりを探した。暗かったし、兜で顔は見えなかったけど、よく見ると一つ特徴があった。唇に届きそうな、
唇の右端から、
「レニ。あなたが毎日化粧で隠してるその傷と、同じ形のね」
「――」
しばし、時が止まった気がした。響くのは、激流が生む轟音。それ以外の全てが。
息を、不自然に深く吸う音。不自然に長く吐く音。それらを経て、ようやくレニが返す。
「――もし仮に、君の言う通りだったとして」
立っているのが疲れたのか、近くに転がっていた腰ほどの高さの岩まで歩き、半分腰掛けてレニが続ける。
「その騎士をどうしようっていうんだ? 君には関係のない人間じゃないか」
どうしよう? もうわたしの性格を、分かっているくせに。
「わたしはあの人に命を救われた。その恩を返さないといけない」
ははっ、と乾いた笑いを浮かべるレニ。予想通りと思ったのか。はたまた違ったのか。
「君は真面目なんだね。借りたとか貸したとか。恩とか。
好きか、ですって? こんなもの、即答する。
「世界がこんなに無秩序で理不尽だから――せめて目に映るところにだけは秩序が欲しいの。わたしがほんの少しでも力を持てたのは、それを為すためだとも思ってる」
強すぎる言葉を、やはり強い口調で言ったつもりだったが、レニは悲しそうな目で見つめ返してくる。無駄な努力を繰り返す赤子に向けるような、視線。
風向きが変わる。反対側の頬に、冷たさが増す。
「……その騎士達は命の恩人の前に、君の家族や友人を皆殺しにした奴らじゃないか。憎くはないの?」
(――)
痛いところを突いてくる。まさに、痛みをえぐり返すような、痛みを。
「憎い。憎いわよ。そんなの当たり前じゃない」
意識的に忘れていたものを呼び起こす。握った拳の中、爪が肌に食い込む。
「帝国領だったはずのこの村が何で突然襲われたか、後になって知った。裏で、敵対する隣国の拠点になっていたせいだって」
痛みがどんどん強くなる。だが気にならない。自分が、皆が、受けた痛みは、こんなものではない。
「でもそんなの間違いよ。わたしはここで毎日過ごしていた。魔力知覚の鋭かったわたしは、こんな小さな村に誰が入ってきて、誰が出ていくか、全部知ってた。そんな隣国兵なんて影も形も無かった。あの話は、村の女の子に邪険にされた酔っぱらいの旅人が、腹いせに隣町で言い触らした、ただのガセネタ」
下らない――本当に下らない!
「それなのに、そんなガセネタが帝国のお偉いさんの耳に入っただけで、殺されたのよ。父さんも母さんも。友達も、村の皆も。こんな理不尽なことってない。許せない。――でも」
声のトーンを意識的に下げる。落ち着かせる。ここで熱を込めても仕方がない。これは本題ではない。
「今のわたしには、出来ることと、出来ないことがある。
この世界。出来ないことの、何と多いことか。
それでも。
「でも、わたしを助けてくれたあの人を探して、恩を返すことなら出来る。出来るはず」
その先を、
「夢想に逃げず、現実に向き合い、己に為せることを――為すべきことを為す。
あえて、同意を求める。これはもう、わたしたちの、共通の言語であるはずなのだから。
レニが、大きく
「残念ながら、帝国の騎士が普通あんな辺境には居ないよ。きっと栄えた街で、特権を生かして
「……」
話が戻り、否定される。問答はもうここまでだと腹を
――だがこれは。
ある意味、計算通りでもあった。
もし自分に、勝機があるとすれば。
彼がここで、
彼は自分を、見捨てたりはしない。
彼は自分の望みを、叶えてくれる。
納得するまで、付き合ってくれる。
そこに自分の、付け入る隙がある。
「そうね。だから、わたしの言ったことが本当なら、よっぽどの事情があるんだと思ってる。ちょっとやそっと問い詰めたくらいでは話してくれない程の、大きな何かが」
一歩、前に出る。
対象との、適切な距離を探る。
「そんな人を相手に、口を割らせるのは無理だろうなって思ってる――だからもう、質問はしない」
腕の可動域を広げるべく、フードマントを脱ぎ去る。
心臓を撃ち抜かれないよう、身体を斜めに構える。
何度となく、繰り返してきた
決められた、型。
「だから――言葉じゃなく、力で語ってもらう」
声帯に全霊を込め、限界ぎりぎりの速度で呪文を
物理攻撃と精神攻撃を同時に防御する双次元障壁。
運動神経と反射神経を向上させる身体強化。
敏捷性を向上させる重力中和。
それらを並列発動する。
同時に、ベルト後ろのポケットから、宝石と幾何学模様が細かくあしらわれた薄地の手袋を取り出し、右手に装着する。《
「あなたがあの時の騎士なら、わたしごときに負けるはずがない。そうでしょ?」
吹き荒ぶ風が、強まる。
レニの癖のある金髪が、
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