幾重もの縛鎖
乱れた呼吸が戻らない。
横たわる身体が、
身体中のあちこちが、じんじんと痛む。
外側も、内側も。
敏感な箇所ほど、より深く。
舞台となった、木造りの
そこかしこに散乱する、使われた器具も。
横たわる自分の身体の、髪の毛先から足の爪先までも。
何もかもが、誰のものとも、何とも知れない体液に
髪
靴とソックスもだ。
ついさっきまでの自分の姿を思い返す。
意思に反して踊り舞う身体。
聞いたことのない、自分の声。
立ち上がる気力は既に失われた。
それどころか、思考もままならない。
一つのことがらを、ただただ
(夢に違いない――こんなこと、夢に、決まってる――)
実際、高熱に浮かされている時に似た夢心地に、脳が支配されていた。
だからこれは夢であろうと、信じることができた。
この時までは。
「……コミュニケーション・タイム全18セット、これにて終了! ご参加いただいた皆様、ありがとうございます‼ 実に濃密な六時間でした‼」
司会の声が、ぼんやりと聞こえる。ぱらぱらと拍手が起こるが、観客の熱はだいぶ大人しくなっている。
「では最後にオークション・タイム! 落札されたお客様は
「6000!」
「6500だ!」
羅列される数字。何を意味するものか理解しているつもりだったが、どうでもいい。これは、夢の中の出来事なのだから。
「7500!」
「7700!」
自分の価値。恐らくはそうなのだろう。こんなにまでなった自分に、支払う
「1万5000!」
「1万6000!」
「3万!」
「3万2000!」
「3万2000が出た! さあさあ、もういらっしゃいませんかぁ⁉ 皆様、どうでしょう! 3万2000を超える方は!」
司会が身振り手振りを用いて観客を盛り上げている様が、視界の
額を釣り上げることで彼にも実入りがある、そんな必死さが伝わってくる。世の中にはこんな仕事もあるのだなと、ぼんやりと眺める。
「以上でしょうか……それでは――」
「10万」
一気に、三倍を超える額を提示する者が現れた。
「10万! なんと10万カナルが出ました! さあさあ、他にはいらっしゃいませんか⁉」
歓喜の声が上がる。大勢の
「はい! ではそこの金髪の
最高額を提示し、こちらへ向かってくるその人物は。
見たことのある、金髪の少年だった。
目が合う。
その顔は悲しそうな笑みを浮かべていた。
そのように、見えた。
***
「ぷあっ! うぐっ、あっ……‼ やっ、やめ……っ‼」
全身を打つ冷たい感触に、夢心地から一気に覚める。覚めた先は――やはり、悪夢だった。
身柄引き渡しの前の洗浄と説明され、滑らかなタイル仕上げの小部屋に押し込まれる。そこで浴びたのは、シャワーというよりもはや消防用の放水銃のような高水圧。温度も低い。身体中にこびりついた液が粗雑に洗い流されてゆく。
ルドガンの護衛が、二人がかりでシャワーヘッドをこちらに向けている。いくら逃れようと軌道を
「う、うぅうぅう……! やめて……やめてぇ……っ‼」
おおよそ、人間を洗うような扱いでは無かった。
家畜に対してすら、もう少々丁寧だろう。
しばらくして、水圧が止まった。
髪や肌からの水の
「がっ‼ ……いぎっ、いっ……たいっ‼」
いつの間にか背後に迫った護衛達が両腕を
その状態で再度、水の攻撃が始まる。これまで守ってきた身体の内側に、水圧が襲う。
「ごぼっ‼ あがっ、いたっ、ごぶぶぶっ‼」
顔に、胸に、腹に、脚に。
いたい、つめたい、くるしい。
先程の地獄とは異なる苦痛が、身体から拒絶反応を引き起こす。涙が止まらない。
放水が収まり、両手が開放される。
「さ、さむ、い……」
その事実を伝えようと、つぶやく。すると初めてここで、この護衛達の声を聞いた。
「シェリナ=キャスバル。聞き覚えがあると思ったが、ウェラグナ第一
「操魔の力を駆る者として、一度手合わせ願いたいと思ったが……叶わず残念だ」
二人の男が、衣服の下をほんの少しだけ降ろす。目的のためには、
「まあそれはそれとして。今は清掃係の
「それだけ多分野で成績優秀なら、今の経験だけで男を
「もし汚したらもう一度洗わねばならん。だから、こぼすなよ。そのためにはどうすればいいか――分かるな?」
「う……ぅう……」
震える指と、震える唇。
それらを、ゆっくりと近づける。
***
口をゆすげと命じられ、言われた通りにする。そこまで済ませてようやく、厚手のタオルが与えられた。
「最後に、敗者への
護衛が両者、片手を頭にかざしてくる。同時に同じ呪文を唱え、何かが脳に流し込まれ、
「この夜、この場所での出来事を、少しでも思い返せば発動する。我々が見た六時間あまりの映像が、数秒に圧縮され、瞬時に視覚へ叩き込まれる」
「自分を
特定の思考をトリガーに発動する魔術。存在は知っていたし
(……この……ひとたちは……にんげん、じゃない……)
「なん……で……」
涙が止めどなく
「……なんで……こんな……ことを……」
「我々には、それが出来る。だからする。それだけだ」
「人は皆、虫で遊ぶ子供だ。力の届く存在を
最後に、病院の入院服のような申し訳程度の衣を、雑に被せられる。
「さあ立て。お前の人生を捧げる主人とのご対面だ」
***
鎖を引かれ通された、落ち着いた内装の応接間。そのソファにはルドガンと黒ずくめのスーツ姿の男が横並びに、その向かいにレニが座っていた。机の上には現金が並べられており、ルドガンがそれを一枚一枚丁寧に確認していた。
「10万カナル、確かに」
満面の笑みで返すルドガン。
「それにしてもお若い。あの娘とお歳も近いのではないかな? 良かったですなあ、優しそうなご主人に恵まれて」
こちらを向いて、いけしゃあしゃあと話し掛けてくる。言い返す気力は無かった。恐らくは、その権利も。
「さて、こちらは
横の黒ずくめが書類とペンを差し出す。レニはそれを
「いや、登録はしない」
「おや、
「僕は、しないと言ったよ」
「……左様ですか。まあ、私は構いませぬが」
ルドガンが少しだけ面白くなさそうな顔をする。黒ずくめが、出した書類を無言で片付ける。サングラスに
「では。お品物をどうぞ」
護衛からレニに、首輪から伸びた鎖が差し出される。手に取ったレニが立ち上がり、こちらへ近付いてくる。耳元で
「やあ。また会ったね」
そこで全身の力が抜け、意識が途切れた。
***
目覚めると、誰かに抱きかかえられているようだった。
足運びのような、断続的で緩やかな揺れを感じる。
ほどなくして、硬く冷たい感触が背中に伝わる。
地面に置かれたようだ。
がちゃり、と鍵を開けるような音が響く。
薄目を開けると、扉から鍵を抜き取ったレニと視線が合う。
「目が覚めた? 立てる?」
何も、言葉を返す余裕はない。
ただ、差し出された手を取り、立ち上がる。
「入って。ここが、僕の家」
ドアを潜ると、アンティークな内装の広間が広がっていた。想像の数倍の広さと高さ。
手を引かれ、廊下の一つを進み、あるドアを開き中へ促される。
脱衣所のようだった。
「とりあえずお風呂入ろっか。そこに客人用の寝間着が置いてあるから、それ着てて」
それだけ告げると、レニはどこかへ行ってしまった。
服を脱ぐ。先程まで身体の自由を奪っていた
十人くらいまでなら同時に入れそうな、広い屋敷に相応の広い浴室。こんな立場でも無ければ
客人用の寝間着とやらを着る。ベージュの、厚手のシンプルなローブだ。脱衣所の全身鏡で、己の姿を確認する。
一応、身体は
なったのだろうか。
これからまたきっと、汚くなる。
汚くするため、
きっとそうだ。
***
脱衣所から通路に出ようとしたところで、白いローブ姿のレニがそこに立っていた。髪と肌から水気を感じる。こことは別の風呂場があるようだ。
「それも似合うね。今日だけで、色んな格好を見れた」
レニは、昼間会った時と全く同じ様子だ。関係性が、こんなにも変わったというのに。
「……」
なんと
「髪、下ろすとだいぶ印象変わるね。どっちも素敵だ」
首筋のすぐ横から、髪の流れに指を差し込まれる。毛の細さを確認するように、軽く
***
レニに連れられ、二階へ上がる。長い
これから何をされるんだろう。少なく見積もっても、先ほど受けたことよりも激しい何かをされるに違いない。10万カナル。それほどの額だ。
自分はそれに、耐えられるだろうか。先ほどの仕打ちすら、耐えたとは全く言い
そもそも自分は、明日まで生きていられるのだろうか。殺人衝動を満たすために奴隷を買い付ける者も居ると聞く。このまま
(殺される――殺される……?)
これまでとは別の恐怖に支配される。肌が震える。涙が浮かぶ。
立ち止まり、肩に手が置かれる。びくりと反応する。
「今日はもう寝ようか。ここの部屋を使って。僕は突き当りの部屋に居るから。何かあったら呼んで」
「……え……」
何も、しないのか。確かにもう、夜は遅いけれど。
「一緒に寝たい?」
「……」
何と
「……おやすみ」
沈黙を否定と取ったのか、レニはそれだけ言って寝室に入ってしまった。
最後まで、
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