忌み子という呪縛
祖母の日記を何ページか読み終えると、住み慣れたはずのアパートが異空間に思えた。私は心細さをかき消すように慌ててテレビの電源を入れた。
お茶の間向けのバラエティー番組が流れて、お笑い芸人が食レポをしている様子が映っていた。
大学の下宿先として住み始めた頃から、寂しさを紛らわすためにテレビを見ていたことを思い出す。
数年前の出来事に微笑ましい気持ちになったが、くたびれた大学ノートを目にすると現実に引き戻されるような感覚をおぼえた。
それはただの紙切れにすぎないとしても、そこに書かれた狂気は私を怯えさせるだけの威力を十分に持っていた。
いつか私が読んでショックを受けることを見こんだ上で、祖母はあの日記を書いたのだろうか。疑念や不信、薄暗い感情が胸の中に湧いてくる。
――イミゴだよ、お前は。なんで生まれてきた?
唐突に誰かの声が脳裏にひびいた。
何年もの間、まともに聞くことがなかったせいで忘れていた。
それは間違いなく祖母の声だった。
……イミゴ……忌み子……。
遠すぎる記憶が日記の内容と重なり、私の心を苛むように刺激していた。
断片的な記憶をたどりながら、祖母が男の子が生まれてほしいと口にしていたのを思い出した。
――いっそのこと忘れたままでいれば、苦い思いをしなくて済んだはず。
どうして、あんなことを覚えているのかは分からない。
そんな私の心境を無視するかのように、日記の内容が繰り返し浮かんできた。
故人の逆鱗に触れるような気がして捨てられそうになかったので、とりあえずクローゼットの奥に押しこむようにしまっておいた。
気分を変えようとシャワーを浴びてみたが、日記のことは頭から離れずに後悔の念を抱くばかりだった。
翌朝目が覚めると最悪な気分だった。
己の存在すべてを否定されるような言葉を浴びせられて、どれだけ謝罪しても許されないという地獄のような夢を見た。
――なぜ、祖母は私のことを疎ましく思っているのか。
物心ついてから会話をした記憶がほとんどないのに分かるはずもなかった。
そんなことを考えていると、私は祖母のことを老人施設に入院中のお年寄りの一人程度の認識しかなかったことに気づかされた。
結局、私も薄情な親戚たちと同じようなものかもしれない。
気分が晴れないままでも、今日は慶弔休暇明けで会社に行かないといけない。
私は重たい気分のまま、身支度をととのえてアパートを出た。
出社して自分の席についてから、何となく気持ちが落ち着いた気がした。
上司や同僚に声をかけると、ご愁傷様だとか形式通りの言葉が返ってきた。
二年目で新人に毛が生えた程度の立場なので、休暇をもらっても大丈夫なのか心配だった。それでも、皆の様子を見る限り問題ない気がした。
何事もなく午前中の仕事が終わり、昼食後に仕事を始めようとしたところで先輩社員に声をかけられた。
「Tさん、ちょっといい? 今日の書類なんだけど……こことここ、数字が間違ってるよ」
彼はデータが印字された書類を指でなぞった。
「――あっ、はい、申し訳ありません。すぐに直します」
私がそう申し出ると、彼はもう直しておいたからと柔らかい口調でいった。
先輩社員が去った後、いたたまれない気持ちになっていた。
頭ではそこまで大きなミスではないと分かっていも、言いようのない罪悪感が離れていかない。
今までそんなことを考えることなどなかったのに、自分は会社にいてはいけない人間なのではという考えが頭の中をループしていた。
気を取り直して事務作業を再開したが、何となくすっきりしないまま一日の仕事が終わった。
私は重たい足取りでアパートまでの道を歩いた。
食欲が湧かなかったので、コンビニで簡単な食事と飲み物を買って帰った。
私は実家のある地元が嫌いではなかった。
ただ、今勤めている会社のような大企業はゼロに近かった。
必死に就活して入った以上、簡単に辞めるわけにはいかない。
明日からはなるべく失敗しないように気を引き締めよう。
私は気分転換に動画を見たり、好きな音楽を聴いたりして、気を紛らわせようとした。
飲酒の習慣はないのでお気に入りのミルクティーが晩酌代わりだった。
ふと思い出して、大学時代から仲のいい友人に父方の祖母が亡くなったとだけSNSで連絡した。
彼女を心配させたくなかったので、返信が来てからもいつも通りの風を装った。
それからは何をするでもなく、布団の上でゴロゴロしていた。
思いの外疲れていたようで、明け方に電気がついたままの部屋で目が覚めた。
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