祖母の日記

 ――これで祖母の見舞いに来るのは何度目だろう。

 ベッドに横たわるか細い身体を見下ろしながら、ぼんやりとそう思った。


 祖母は私が小学生の頃に入院した。

 その頃は多少会話をすることができたらしいが、時間が経つほどに訪れた家族が誰なのか分からなくなっていた。


 入院する前からかかっていた精神疾患の影響で、一緒に住んでいた頃の祖母は時折おかしくなる時があった。

 子どもの頃は心を病むことの意味が分からず、不穏な様子を見せる祖母が不気味だったと記憶している。


 一緒にやってきた家族に目を向けると真っ直ぐに祖母を見つめている父、無表情に窓の外を眺める母が立っていた。

 私が祖母を怖がっていると気づいていたのか分からないが、見舞いに誘われるのは年に数回ほどだった。

 

 二人は定期的に見舞いに来ているようで、ここの職員とは顔見知りのような雰囲気だった。

 お孫さん、お見舞い偉いねと言われたが、ほとんど顔を出していないので申し訳ない気持ちになった。


 お年寄りが一つの部屋に集められているせいか、言葉で例えにくい顔をしかめたくなるような臭いが漂っていた。

 他のベッドに目を向けると一様にカーテンがしまっているが、全体的にとても静かで人の気配が感じられなかった。


 時折、廊下を通り過ぎる人がいなければ、まるで隔離されているかのように孤独を感じさせる空間だ。積極的に長い時間いたいところではない。

 かといって、父の肉親である祖母の見舞いを、早く終えて帰りたいと言うのは気が引けた。

 

「そろそろ、帰るか……」

 私がそんな心持ちでいると、何かを思い出すような調子で父がつぶやいた。


「ええっ、そうしましょう……」

 母は同意を示すように口を開いた。


 私たち家族三人は口々に祖母へ声をかけた。

 自分が口にしたかたちだけの、お大事に、また来るねという言葉がひどく軽々しく感じられた。

 

 そして、これが最後のお見舞いになった。   


 

 家族で見舞いに行って何日か経った後、祖母の体調は時間の経過とともに悪化していった。

 私は仕事の都合で顔を出せなかったが、最後の数日間は両親が付きっきりだったと聞いた。


 やがて祖母が息を引きとったと連絡がきてから、勤め先の会社に休暇をもらって実家に戻った。

 仕事はそれなりに上手くいっていたので、心のどこかで行かずにすまないだろうかと考えた自分がいたように思う。


 私が実家につくとお通夜の準備が進んでいて、父方の親戚が何人か来ていた。

 普段彼らと顔をあわすことがないせいか、形式じみた挨拶を済ませるだけで会話は少なかった。


 いつのことだったか忘れてしまったが、祖母が精神を病んでいることで親戚の大半が距離を置こうとしていると父から聞いたことがあった。

 それを確かめるすべはなくても、彼らがあまり見舞いに来ていなかったことだけは知っていた。


 だからといって、彼らを責めるつもりはなかった。

 私自身が見舞いに行かない薄情な孫と思われたくなくて、義務感だけでたまに顔を出していたにすぎなかったから。


 父が喪主を務めることになっているようで、忙しそうに家を出入りしていた。

 私が手伝えることはほとんどなく、気がつけばお通夜と告別式が終わっていた。


 お葬式に区切りがついてから、時間がとれそうな親戚と私の家族で遺品整理をすることになった。

 入院する時に祖母の住んでいたアパートは引き払われ、実家の一室には病院に持ちこめない物がまとめられていた。そこから残すもの、捨てるものと分ける作業。

 

 荷物の大半は服や着物の類で、どんどんゴミ袋に詰められていった。

 私は何となく祖母のものを触りたくない気持ち、亡くなった人のものを捨てるのが怖ろしい気持ちもあって控えめに手伝うことしかできなかった。


 一通り片付けが終わりかけた頃、私は埃のかぶったダンボール箱を見つけた。

 恐る恐る開けてみるとハサミやボールペンと一緒にノートが入っていた。


 それは色褪せた表紙の大学ノートで、表面には何も書かれていなかった。

 すぐに捨てようと思いかけたところで、どんなことが書かれているのか興味がわいた。


 秘密を盗み見てしまうような後ろめたさを感じながら、パラパラとページをめくった。

 少し目を通したところで、それが祖母の日記なのだと理解した。


 そこには日付とともにその日の出来事が丁寧な字で書かれていた。

 じっくり読み進めようとしたところで休憩を終えた親戚や家族が戻ってきた。


「A子、その箱は何か入っていたか?」

 

「……文房具とか、そんなに中身は入ってなかったよ」

 こちらが適当に返事をすると、父は自分の作業に戻っていった。

 私が足元に置いたノートに関心はないみたいだった。


 祖母に対して複雑な感情を持っていても、どんな気持ちでいたのかを知りたくなっていた。それがこの日記を読むことで分かるかもしれない。


 遺品整理が済んでから、私はその日のうちに一人暮らしをしているアパートに帰った。

 わざわざ持ち帰るのは気がひけたが、実家で読んでいると両親に咎められそうな気がした。


 ――本人の承諾を得ていないから、勝手に見ていることに代わりはないか。


 私はいくらかの罪悪感を抱きながらも、好奇心が勝っていたのかもしれない。

 いずれにせよ、気軽な動機は日記を読んでいるうちに後悔へと変わっていった。

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