コントロール

 花実高校。「こんな学校、ある訳ないし」と思った方もおられるかもしれませんが。実は、名前こそ変えてますがこんな学校は実在します! ものすごい坂も、本当(*´艸`*)

 私が大学生の頃、ボランティアスタッフとしてお邪魔していたのが「花実高校」でした。とにかくあらゆる生徒がいて、保健室にはリストカットした子、廊下にはたむろするヤンキー系の子、先生にひっきりなしにまとわりつく小学生みたいな子……最初はカオスな印象を受けました。でも、みんな元気で、笑顔で、何より学校が大好き。不思議な所だと思いました。

 私立の単位制の学校ですが、もともとは公立学校の在り方に疑問を感じた先生たちが集まって立ち上げた学校なのだそうです。「一人の子を大切にする」を掲げ、不登校のこども達を受け入れ、クラスに入れないこども達のために校内にサポート教室を作り、登校できないこども達のために公民館を借りて教師が出向く。さらに社会福祉法人と提携して校内に作業所を作り、知的障がいや精神疾患等を抱え進学や一般就労が厳しい卒業生を受け入れているという……。とことん目の前のこどもに向き合う学校だなぁ、と思います。

 名前を書けば受かる、というのも本当です。それは、学校に来ること、受験をすること自体が大変なこども達を受け入れているから。何年も不登校で制服が体に合わなくなり、私服で受験する子。学校に続く長い坂道を、緊張のあまり嘔吐しながら上ってくる子。やっとの思いで願書を出し、当日なんとか受験会場に辿り着いたこども達。その子達に、「よく頑張ったね。名前を書いてね、もう大丈夫だよ」と言ってくれるような学校なのです。

 遠方からの受験生も多いそうで、こんな学校が各自治体に1つあればいいのに……!


 あと、留年して退学して教師になった先生の話も、本当。Sくん、あなたはきっとすごく生徒の支えになってると思うよ!


 さて、今回突然中学卒業後の話になっていて皆さま戸惑われたのではないかと思います。私がうまい処理の仕方を思いつきませんで、こんな形に……すみません。

 とはいえ、中学卒業後、千津がどうなったのかは絶対書きたい話だったので、どうにか書くことができてホッとしました。ちなみに突然挿入した卒業ソングはkiroroの「未来へ」です。歌詞をそのまま書くのはタブーだから書けなかったのですが、名曲です。



 コントロール。


 この言葉には、思い出があります。


 中学生の頃。Kさんという友人がいました。Kさんと私は同じ小学校出身でしたが、Kさんは昔から穏やかな優しい人で、周囲に馴染みにくかった私でも安心して話しかけられる人でした。

 中学2年生になり、Kさんと同じクラスになった私は、彼女の変化に驚きました。

 Kさんは、「発作」を起こすようになっていました。突然、人が変わったように笑い出すのです。声を掛けても反応が無く、けたたましい悲鳴のような笑い声が続く。「発作」が収まれば、彼女は何事も無かったように落ち着きを取り戻します。周囲もまた、何事も無かったように彼女に接するのですが、そこには明らかな亀裂がありました。

 Kさんは、それまで親しくしていた友人達と疎遠になっていました。自然と、私はKさんと一緒に過ごすことが多くなりました。

 そのうち、私自身もKさんの「発作」に遭遇するようになりました。私は見よう見まねで、周囲がしていたように「大丈夫?」とKさんに声をかけ続けました。Kさんの見開いた瞳は虚ろで、そこに私の姿はありませんでした。いつ襲ってくるか分からない「発作」は不可解な異物にしか思えず、私は「発作」を無いものとして扱いました。それが無ければ、Kさんは昔のままの、穏やかで優しい人でした。

 けれどだんだん、私はKさんといるのが苦しくなってきました。

 ある時、Kさんは教室の中で「発作」を起こしました。帰りのHRのことでした。静まり返った教室に、ヒステリックな笑い声が響き渡りました。誰もが凍り付いたように動けず、ただKさんだけが、身をのけぞらせながら笑っていました。

 堪らなくて、気付いたら私は立ち上がっていました。声を掛けてもKさんの反応は無く、フラフラと教室から出ていってしまいました。私は彼女の後を追い、「大丈夫?」と声をかけ続けました。いつ終わるか分からない「発作」。私とKさんだけが、この世界から取り残されてしまったようでした。ただ、無力でした。

 私はどうしていか分からず、Kさんを重荷に感じるようになりました。中学3年生の時も、私たちは同じクラスになりました。何度遭遇しても、「発作」に慣れることはできませんでした。けれど、自分からKさんと距離をとることもできませんでした。小学生の頃、孤立しがちだった私に優しくしてくれたKさん。昔のまま、今も穏やかで優しいKさん。

 卒業式の日。私たちは、担任の先生に寄せ書きを書きました。思い思いのメッセージの中、Kさんは、「自分をコントロールできるようになりたい」と書いていました。

 私はそのメッセージにハッとしました。それまで、私は自分だけが苦しんでいるようなつもりでいました。けれど、一番苦しんでいたのは、Kさん自身です。幼かった私は初めて、そのことに気付きました。

 今と違い、当時は携帯など無く卒業してしまえばバラバラです。別々の高校に進学した私達に、その後接点はありませんでした。でも、私は何度となくKさんのことを思い出しました。

 大学生の時、ボランティアで参加した自閉症のこども達のキャンプでも、私はKさんのことを思い出しました。新規場面が苦手なこども達は、夜になっても落ち着かず、ウロウロと歩き続けていました。そこに寄り添うボランティアスタッフやご家族。叱る人も責める人もいなくて、声を掛けながら、その子が安らげる場所を探している。その姿を見た時、私は自分の過ちに気付きました。

 私は「発作」をKさんから切り離そうとしていました。「発作」さえ無ければいいのにと思っていました。でも、そうじゃなかった。「発作」もまた、Kさんだったのです。それを抱えて、それと共に、どう生きていくのか。無きものにするのではなく、それと向き合わなければいけなかったのだ、と思いました。

 さらに時が経ち、思いがけない形で、私はKさんと再会しました。彼女は、セピア色の写真の中で、変わらぬ優しい微笑みを浮かべていました。

 地元だというのに、会場に同級生はいませんでした。場違いな私に、「Kちゃんのお友達?」と話しかけて下さった親族の方がおられました。私はその方から、高校卒業後の彼女のことを聞きました。専門学校に通い、夢に向かって勉強していたこと。けれど、「病気」のために挫折したこと。それでも、精一杯頑張って日々を暮らしていたこと。

 彼女の「病気」が何だったのか、あの「発作」が何だったのか。それは、今も分からないままです。

 Kさんのお父さんが、最後に私に声をかけて下さいました。

「小学校の頃は、良かったけどね。中学生になったら、いじめられてね……」

 友人と疎遠になっていたKさん。もしかしたらと感じながら、私が気付かないフリをしていたことでした。私は返事ができず、ただ涙が零れるばかりでした。

 小学生の頃は無かった「発作」。中学のいじめ。たぶん、それはどこかで繋がっていたんだろうと思います。

 今も、時折Kさんの夢を見ます。こんな私を、Kさんがどう思うのかは分かりません。でも、私はずっと、Kさんのことを覚えておきたい。分からないままに、考え続けたい。誤魔化したり脚色したりせず、当時のままに。

 「自分をコントロールできるようになりたい」。Kさんの言葉を思い出しながら、今回のお話を書きました。

 あなたが、ずっと頑張ってきたことを知っているから。


 どうか、安らかに。


 長くなりましたが、こちらにも最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る