手紙

 大学生の頃、高校時代の友人と文通をしていました。きっかけが何だったのかは、記憶の彼方なのですが。卒業後遠方に進学した彼女とは会う機会が無かったのに、不思議と手紙は途絶えませんでした。

 小さな、けれど芯の強さを感じる文字。同封された写真。垣間見えた彼女の生きる世界。

 手紙だから、伝えられることもある。十代といえばお手紙交換(黒歴史という無かれ!)なイメージなのですが、今どきの十代の方々は、もう手紙の交換なんてしないのかしらねぇ……。


 千津ちゃんは中2にしては内省できすぎてますが、まぁダイジェスト版なので💦 実際はもっと混乱するだろうし、時間もかかるだろうし、一筋縄ではいかないだろうなと思うのですが。必ずしも相談に行かなくていいわけですが、しんどい時こそ味方になってくれる存在と繋がってくれたらいいなと願います。親戚でも、地域の人でも学校の先生でも、誰でもいいから。それこそペットの方が、気持ちを分かってくれたりするのかも。



 大学生の頃、ボランティアで不登校のこども達に関わる機会がありました。いろんな子がいましたけど、なんだか味わい深い人が多いなぁと感じたのを覚えています。爬虫類が好きな子がいて、その子と一緒に見るとカナヘビが可愛く思えたり。


 その子ならではの世界。


 教室では生きづらかっただろうな、と思うこともあるけど、その世界はきらきらと眩しい。

 「あなたがあなたにならないで、誰があなたになってくれる」という相田みつをさんの言葉がありました。自分になる、ということは、本当は戦いの連続なのかもしれません。自分が本当は何を感じているのか。何を望み、どのように生きていきたいのか。不登校のこども達の中には、自分として生き抜くための戦いに直面している子もいるのかもしれません。


 このお話を書くにあたり、参考にさせて頂いた本があります。


 「不登校児から見た世界 共に歩む人々のために」 増井武士著


 増井先生は精神科医ですが、その丁寧な臨床の姿勢が表れていて、先生の真摯な言葉は心の奥深くまで沁みていくように感じます。私たち自身の生き方を問われている本、のような気がします。

 一部を、以下に抜粋します。



 人は生まれてきた限り、最終的には自分の魂は自分でしか生きられないと私は考えています。その子の魂を生きることの援助こそ親であり、私達の仕事でもあります。しかし時として、その邪魔という悪魔は常識という「美しい服」ないし「通りのよい理屈という鎧」を着て、なおかつその自分を悪魔だと知らない恐ろしさがあるのです。私は世間とか常識という美しい服をけなすつもりはありません。けれど時には通りのよい常識という美しい服に潜む自分の悪魔性を少し知っておく必要はあるでしょう。



 「あなたのために」「普通はね」といった類の言葉をつい口にしてしまうのですが、そこに潜む暴力性に気付かされるといいますか。

 私も、普通から外れることに怯え、普通になりたいと願ってきた人間ですが。普通を押し付ける酷さを思うし、そこから外れて自分を見つめる勇気を思います。

 千津ちゃんも真も泉も、それぞれの戦いの最中です。どうか、見守ってやって下さいませ。


 余談ですが、以前は近況に書いていた6話目までの零ればなしをどこかのタイミングでこちらにアップしようかなと考えています。完全に時期を逸してますが(^_^;) フォローして下さってる方には立て続けに通知が届いて煩わしいと思うのですが、お気になさらず……。スルーして下さい💦


 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。


 


 

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