本編の方もしみじみしながら読みました。
私の学生時代には、先生が決めた席っていうのは小学生の頃だけで、中学生の時はオールくじ引きでした。
無論、先生の意図で決めた席、っていうのは、何かが起こらないように、ぽつんとしている子が孤立しないように、っていうのがあるでしょうね。
でも、これは、私の実体験なんですが、くじ引きで仲が悪い者同士で隣り合ったら、すごく仲が良くなった、という機会を奪うことにもなり兼ねません(ちなみに、今でも、同級会幹事として連絡を取り合う仲です 笑)。
真と泉のように、互いに知り合うことによって仲が良くなることってあります。
いじめもそう。人の気に入らない部分を見ていじめますが、関係性の近いところで良いところを見つけると回復することってあります。
心無い言葉を言い放つ男子も、そういう機会に恵まれればな…って思いながら読みました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。いつも以上に緊張しながら公開したので、ありがたいです。
機会を奪うことにもなりかねない。本当ですね。人と人の間には、可能性が溢れているのでしょう。
個人的には、嫌いな相手って自分にとって何かある人なんだと思います。好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心。彼や彼女のそんな想いを、掬い上げることができればよいのですが。
傍観者の物語、
これ、書くのがいちばん難しそうだけど、大半のひとにとってはこれがいちばん身近な話だろうと思うのです。
いじめを受けたひと、いじめをしたとされるひと。
それよりも圧倒的大多数が傍観者であり、そう自分を認定してるはず。
この層に届く言葉を紡げたら、と思いました。
苦闘する甲斐がありますね、きっと。
作者からの返信
なんでこんな物語を書き始めちゃったのかしら、と思いますが…。スローなのでまだまだかかりますが、最後まで辿り着けたらいいなと思います。ありがとうございます(*^^*)