私には、知的障害のある同級生がいました。彼は普段は特別支援学級にいるのですが、体育や図工、音楽など一緒に出来る授業は一緒に受けていたし、みんなが彼のことを好きでした。仲良しだった。
それでも、やはり知的障害なので中学までで、その先の人生はどうなるんだろうって不安に思ったことを思い出します。
発達障害の子も親戚にいて、本当に知能は普通なんですが、そういう支援のある高校に進学した気がします。
支援がないと厳しいという判断だったんでしょうが、彼が社会に出た時に同じ支援をしてくれるのか、どういう将来になるのかわからないことだらけ。
改めて考えるきっかけを、ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
障がいのある子、非行傾向の子、病気がある子、とにかくあらゆる子を受け入れている高校にボランティアで行った時期がありますが、とても優しくて心地よい場所でした。
そんな場所が増えていけば、みんなが生きやすくなるんだろうなぁと思います。
こちらも読んで頂き、お星さままで頂き、ありがとうございました。
特別支援教育について、いろいろなお話読ませていただきました。
障害のある方も、その保護者も、そして、その方たちと関わる世の中も混とんとしていたり、手探りだったりする世界だと思います。
それでも、メディアを通じて、そういう方たちとの垣根は少しづつ低くなってきているような気がします。
以前なら、街の辺ぴな場所にある学校に、隠れるよう通っていた養護学校の児童・生徒さんも、校外学習や交流学習を通して積極的に街の中に出て行く時代になりました。
通学も、保護者の送り迎えから、路線バスや鉄道を使った自力登校する方も増えています。
事業主に対し、障害者の雇用を義務付ける法律も10年くらい経ったと思います。
ですから、ほんの少しずつ、です。
特別支援学校の高等部は、いわゆる手帳(療育手帳や身体障害者手帳、精神障害者福祉手帳など)がない生徒も入学しています。
もちろん、彼らの多くは障害者雇用枠で就職を目指すので、入学後に手帳の取得も目指します。
ただ、知的に障害が無い、いわゆる発達障害のお子さんの進路は、大いに迷われるところだと思います。知的に障害がないことで普通高校、そして大学に進学していくけど、社会人で挫折される方も多く居られると聞きます。
人間関係や社会常識、働き方を学べる特別支援学校の高等部は、そういう方たちにとって有意義な場所であろうと思いますが、いかんせん、学歴的には中卒になりますのでね。
公園で出会った女の子を怖い、と思った心境はよく理解できます。
それは、もちろん、その剥き出しの心をもつ女の子のことを知らないから怖いと思うのでしょう。
社会や世の中も、同じだと思います。
知らないから怖い。知るためには今まで体験したことがない分野をある程度勉強したり、触れ合ったりしなければならない…それは、億劫なことに思える、気持ちは私もよくわかります。
なんだか、たくさん書いてしましました。
作者からの返信
丁寧なコメント、ありがとうございます。
軽度のお子さんは特別支援学校の高等部に行けない、という記述は語弊がありましたね。訂正します。ありがとうございます。
知的障がいが無い、軽度の発達障がいのお子さんをイメージしてました。とか、特別支援学校には該当しないだろうな、というボーダーラインのこども達。彼らの支援に取り組んでいる私立の高校も、中にはあるようですが。
いろんな方がおられるでしょうし、それぞれのスタンスもある。その中で、私はどうするのかなぁって、考えている。
そうですね。少しずつ、ですね。
メディアの力も感じます。息子は、なぜかNHKのハートネットTVを食い入るように見てます(笑)
障害も程度や種類によって様々ですが。例えばダウン症の軽度の方だと、周囲から割と可愛がられていたりしますよね。でも、重度でコミュニケーションを取るのが困難な子もいる。津久井やまゆり園に入所していた方たちのように。
私たちの今の生活は利便性を優先していて、津久井やまゆり園のような施設をできるだけ人目に触れない場所に追いやっているけれど、その結果があの事件だったのかもしれない。でも、では近くにあったらどうなのか。電車内で怖がったように、道ですれ違うだけでも嫌な顔をするひとだっていると思う。
共生、って思っている以上に容易ではない、特にこんなコロナ下では。色々と考えさせられるお話をありがとうございました。
作者からの返信
丁寧なコメント、ありがとうございます。
どうお返事したらいいか考えてましたがまとまらず、遅くなりました💦
保育園が迷惑施設になる時代。コロナ禍、私たちの排他主義は加速していっているかもしれません。
津久井やまゆり園の事件も、本当に痛ましく、遺族の方々は今も苦しまれてるだろうと思います……。忘れてはいけない事件だ、と。
差別や偏見の研究もありますが、私は聞きかじりで詳しくないのですが。
ムスリムの方への偏見をテーマにした研究で、被験者にムスリムの方々の日常生活の映像をいくつか提示しただけで、ムスリムの方への感じ方が変わったのだそうです。「理解できない、自分とは違う、何か怖い」みたいなイメージが、「そんなにかけ離れた存在でもないのかも」みたいに変わったのかもしれません。
自分の中の線引きに気づく。その第一歩が、知ることのように感じます。
私も、重度の障がいをお持ちでやりとりが難しい方に出会ったら、戸惑うだろうし、怖いと感じたりするだろうと思います。
でも、日頃関わっている方々からすれば、彼彼女なりの感情表現、やりとりの仕方があるのだろうと思います。
重度心身障がい児施設の話を聞いたことがありますが、スタッフの方々は丁寧に彼彼女の反応や行動を観察し、発せられない感情や体験を想像しながら、関わり方を模索するのだそうです。そんな世界もある。
他の人のことまでは、どうこう言えない。強制もできない。
でも自分については、考え続けたい。
私の中にある線引き、戸惑い、違和感。その正体は何なのか。
私の息子は乳児期、障がいや病気の可能性を指摘されました。そういうこともあって、私は余計にこういうことを考えてしまうのだと思います。みんな一緒に生きていけたらいいのに、と。
結局まとまらず、長々とすみません(^_^;) お気になさらず。