11話 公平
今回も、何ということもない、ささやかなエピソード。
小学生の頃。
学校の水泳大会で、じゃんけんに負け、背泳ぎに出る羽目に。
当時の私の体育は、5段階評価で「2」。勿論、背泳ぎなんてやったことも無い。
私は青ざめました。それから授業の度に練習してみたんだけど、背中から浮く、というのが分からない。出来ない。
背泳ぎなんて、授業で皆が皆、習う泳ぎじゃないのに。
スイミングやってる子、普通にガンガン泳げる子はいるんだけど、そういう子が背泳ぎ引き受けてくれるわけじゃないんだよねぇ。
大会の練習時間、追い詰められて、必死でやってみたらなんとか背中から浮いて。本番、斜めになりながら泳いで、どうにかゴールしたんですが。
今となっては笑い話ですけど。
困難に立ち向かい、努力して成し遂げる喜びを知る、とか。
みんな嫌なことでも頑張ってるんだから、特別扱いはしない、とか。
なんかいろいろ、言いたいことは分かるんですが。
うまく言えないけど、今でも「でもそれ、本当に正しいの?」と思う出来事が、たまにある。
いつか研修で聞いた話。うろ覚えだけど。
平等と公平について。
平等っていうのは、みんな同じようにってこと。
公平っていうのは、その人に応じてってこと。
例えば。
こども達が塀越しに野球の試合を観ようとしています。でも、塀が高くて見えません。
一人に一つずつブロックを配りました。
背の高い子は、ブロックに乗れば野球が見えました。でも、背の低い子は見えないまま。
背の低い子には、ブロックを2つ、または3つ配ることにしました。
これでみんな、野球が見えるようになりました。
これが、平等と公平の違いなんだそうな。
この話を聞いて、違和感がなんなのか、なんとなく分かった気がしました。
平等と公平って、履き違えられてることがけっこうあるのかなって、まぁその講師の先生が言ってたんですが。
平等は、みんな同じ!が前提。
公平は、みんな違うよね?が前提。
一見正しいようで、でも本当かな?ってこと。
ほんとはもっと走ってもいいんだけど…と思いながら、50M走に手を挙げた泉。
走るの苦手だから50M走で勘弁してほしい、と思ったまやちゃん。
普段から基礎練で走ってるし、500M走くらい余裕だよって尚子。
50M走しか無い、と思った千津ちゃん。
「公平に」じゃんけんで決めて、そして……っていう。
まぁ、平等と公平の例として適切だったかはわかんないけど。
ちなみに、学校の運動会って、軍事訓練からきてるらしいです。
開国後、外国と戦争できる国民を育てるために、学校に体罰が取り入れられ、軍事訓練を模した運動会が行われるようになった。一糸乱れぬ行進とか、騎馬戦とか。
素敵な思い出の1ページという面もあるんだけど。
でも、そんな、何がなんでもどれかの種目に出ろって、せないかんのかね?と思ったり。中には、どうしてもみんなと一緒に出られない子もいると思う。でも、応援だって、立派な参加の形じゃない?とか。
日常の些細なこと。
でも、ひっかかってしまう。
ひっかからなくなったら、終わりのような気がする。
私は思い込みが激しくて、視野狭窄になりがちなので。
本当かな?って、いつも問いかけていたい。
私が、誰かに自分が思う「正しい」を、押し付けてしまう時もあるだろうから。
なんだかまとまりませんでしたが。
今日もここまでお付き合い頂き、感謝です。ありがとうございました。
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