第2話:性欲という名の電車

 深夜の路上でレイパーたちに天誅を加えてから、4日後の月曜日。

 清谷陣太は憂鬱な気持ちで通勤電車に揺られていた。


 不幸中の幸い、珍しく座席に座ることできたが、そんなことではなかなか憂鬱な気持ちは晴れてくれない。


(う゛ぁ~、働きたくね~。どうして誰も俺の銀行口座に100億円振り込んでくれないんだ。毎日、頑張って働いているのに……、100億。100億円でいいのに。100億円あったら、働かなくても毎日焼肉食えるのに)


 毎日喰ったら、3日で嫌になると思う。焼肉。


 ただでさえ面倒なのに、さらには月曜日である。

 加速する憂鬱さ、そして現実逃避。


(この際、もう50億でいい)


 何がこの際なのか。


 ただ、憂鬱な通勤時間にも全く楽しみがないわけではない。

 くだらない妄想の隙間に眠気を感じ、目を閉じて意識を手放す。

 これがめっちゃ気持ちいいのである。


 時間にしてはほんの数分の睡眠とも言えないほどのはかない眠り。

 それが過ぎ去った時、陣太は自身が勃起ぼっきしていることに気がついた。


 別にいやらしいことを考えていたわけではない。原理としては朝立ちと同じである。

 寝て、起きたら下半身が起立していた。それだけのこと。


 しかし、男とは基本的に度しがたい生き物である。

 いやらしいことを考えてなくても起立することはある。


 だが、そんな起立でも、場合によってはだんだんいやらしい気持ちになることがあるのだ。


 まさに人体の不思議。

 鶏が先か、卵が先か。

 性欲が先か、勃起が先かである。


 ともかくこのときの陣太がその状態だった。

 太ももの上にのせた鞄のおかげで周りには気がつかれていないが、今やイチモツは完全体。


 アスリートが精神の集中でゾーンへと突入するごとく、陣太は海綿体への血液の集中で性感帯デリケートゾーンへと突入したくなっていたのである。


 ここで盛り上がった性欲のまま、周囲の女性(幸か不幸か。この路線に女性専用車両はない。)の臀部などへと手を伸ばせば、あえなく御用となることまちがいなし。


 この小説も打ち切り御免となるところだが、幸いにして陣太の性癖はまだしも健全だった。

 合意の上での痴漢プレーは守備範囲内だが、ガチの痴漢はNGなのだ。


 つまり、OLやら女子高生やらが至近距離にひしめきあう電車内は性欲の対象は多いくせに、発散することはできないという、痛しかゆしな環境であった。


 そんな中、勃起によって研ぎ澄まされた陣太の性感セックスセンスがかすかな悲鳴をキャッチした。


(これは、斜め前方3m。扉の陰か。)

 電車と乗客たちの発する物音により、その声はすぐ隣の乗客にすら聞こえてはいないだろう。


 しかし、性に特化した陣太の耳は聞き逃さない。

 のみならず、詳細な分析すら可能であった。


 陣太の座っている位置からは直接目視はできないが、そんなことは些細ささいな問題だ。

(声の調子から女性の方は10代半ばから後半。おそらくは女子高生。触っている方は手のひらと布地の摩擦音からして、40代の男か。)


 そこまで把握してから陣太は立ち上がった。


 あたかもそろそろ降車駅ですから、と言う風を装っている。

 勃起した己が性器を通勤鞄で巧みに隠しつつ、迷惑顔を向けられながら混雑した電車の中を移動する。


 無論、女子高生を助けるためだが、この男、純粋にそれだけを考えていたわけではない。


(万が一、合意のプレイだったりしたら、俺も参加させてもらえないかな。)

 いい大人が、何を考えているのだろうか。言っておくが至極真面目である。

 脳に精子がまわってしまったのだ。こうなってはもう、長くはない。


 脳に精子がまわってしまった陣太が痴漢への道のりをようやく半分ほどクリアしたとき、車内に声が響いた。


「ちょっと、貴方。何をしているんですか。」

 声の主はパンツスーツ姿の女性だ。年の頃は20代半ば。


 やり手のOLと言った格好、気の強そうな顔立ちで警察官と言われても信じてしまいそうだった。

 右手にスーツ姿の男の手首をがっしりとつかんでいる。


 捕まっているのはおそらく、というか間違いなく痴漢であろう。

 馬鹿なことを考えていたからだろうか。女子高生を助け損ねた陣太は乗客をかき分けることをやめ、状況の推移を見守ることにした。


 いまや車内の視線を一身に集める痴漢だが、それにめげることなく声をあげる。

「な、なにをするんだ。私は何もしていない。変な言いがかりはやめてくれ。名誉毀損きそんだぞ!!」


 苦し紛れの抗議にも、女性は冷静さを失わない。

 鞄からスマートホンを取り出すと、その画面を男に見せる。


「無駄です。写真に撮らせてもらいました。顔は映っていませんが、手と一緒に特徴のあるスーツの袖がバッチリ映っていますよ。」

 真っ赤になっていた痴漢の顔色が一転して真っ青になる。


 どうやら勝負はついたらしいという、どこか楽観的な空気が車内に満ちる。

 その時だった。うつむき、震えていた痴漢が顔をあげた。


 瞬間、陣太の背筋に悪寒が走った。


 原因は男の表情だ。敗北を受け入れた者の目ではない。

 無害な中年男性の擬態をかなぐり捨てて、敵に襲いかかる寸前の毒蛇のごとき目付きに豹変していたのだ。


 半ば反射的に陣太は動いていた。


「パススルーアズローションプレイ!!」

 ヌルヌルとした捉えどころのない動きで乗客の間をすり抜けて痴漢との距離を詰める。


 同時に痴漢も動いていた。


「デストラクティブモルスターハンド!!」

 狭い車内で左手が鞭のようにしなる。

 女性に向けて繰り出されるのは、肉裂き骨を砕く威力を秘めた手刀。


「させるか!!ソーデュラブルスティック!!」

 車内に金属がぶつかり合うような硬質な衝突音が響く。

 痴漢の凶悪な一撃を受け止め、女性を守ったのはもちろん陣太だ。


「ふう、フル勃起していなかったら即死だったな。」

 半端なガードではわら半紙のように切り裂くであろう痴漢の一撃。

 陣太は自身の身体で最高の硬度を誇る部位で受け止めることで完全に無効化していた。


 身体の中で最高硬度を誇る部位、もちろん勃起した性器である。


 一歩、受け間違えれば己がムスコと泣き別れ、新宿二丁目からの再出発を余儀なくされる諸刃の剣だが、陣太は見事にヤリ遂げた。


「な、なんだお前は!?」

 狼狽ろうばいしたように痴漢が叫ぶ。


 女子高生の尻を触っていたら、OL風の女に腕をつかまれ、さらに気づけば男の勃起したチ○コを触らされていたのだ。混乱するのも無理はない。


 しかし、あふれる性欲によって性闘士セイントと化した陣太は相手の隙を見逃さなかった。


「痴漢に名乗る名前などない!喰らえ、オンリードゥクンニリングス!!」

「ぎゃああああああああ!!」


 いわゆる「小さく前へならえ」のような姿勢で繰り出される双手貫手。

 だが、そこに込められた破壊力は本物だった。


 痴漢の両肩に突き刺さった貫手の衝撃は体内を駆け巡り、両腕の骨を粉々に粉砕する。

 痛みに苦悶しよろめく痴漢。


 ちょうどタイミングを見計らったかのように電車は駅へと侵入し減速を開始する。


「とどめだ!断罪・ナッツクラッシャー・二式!!」


 解説しよう。ナッツクラッシャーとは相手の股間を容赦なく破壊する清谷陣太の必殺技である。


 中でも二式は立った状態の相手を想定したねじりこむようなヒザ蹴りなのだ。(ニー式なだけに)


 周囲の男性陣の股間をヒュンとさせる破砕音とともに痴漢は吹き飛び、ちょうど開いた出入り口から駅のホームにぶっ倒れた。

 大の字になり、口からは血液混じりの泡を吹いている。


「触りたいなら、惚れさせるか。金を出すかだ。」

 決めゼリフなのかなんなのか分からないことをつぶやきながら、陣太も下車。


 さすがに勃起したチ○コを振り回しながら大暴れしたのだ。この後も同じ電車に乗り続ける勇気はなかった。


(明日から、通勤方法かえよう)

 そんなことを考えながら、サッサとこの場を離れる。

 事情聴取とかの面倒ごとは勘弁だった。


 電車内、あるいはホームの人たちも明らかに普通でない陣太の様子に気圧されて呼び止める者もいない。


 朝の喧噪けんそうの中。気を失った痴漢男だけが駅のホームに取り残された。

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