ワンだふるでいず ~ぼくとご主人様と喫茶店~
まだうす暗い部屋の中に、
カーテンの隙間からうっすらと日の光が差し込んできた。
真冬の朝はとても寒い。毛布のぬくもりがとても心地よく感じる。
ぼくは目をこすり、半目を開けてあたりをみまわすが人の気配はない。
だけど、いつものコーヒーのいい匂い。
ぼくのパートナーはすでに起きているようだ。
やれやれ、本当に頑張り屋さんなんだから。少し様子を見に行ってやるか。
ぼくは寝床から起きて、1階へと降りていった。
1階に降りてキッチンを覗いてみると、
背が少し低めの若い女性がお店のケーキの仕込みをしていた。
この方がぼくのご主人様でお店の店主、心菜さんだ。
『あら、モカ起きてたのね。おはよう~』
ご主人は少し眠そうな声であいさつをして、手を止めてぼくを抱きかかえた。
やっぱりご主人の腕の中はとっても気持ちがいい。
これがないと朝がはじまらないのだ。
『さぁ、今日もお客さんたくさんくるといいね。一緒にがんばろう!』
ご主人は軽くこぶしを握ってぼくに言った。朝から元気な人だなぁ。
ご飯を用意してもらい、心菜さんは手を洗って店の支度へともどった。
さあ、ぼくもご飯を食べて、お店に出る準備をしなくちゃね。
~~~~~~~~~~~~~~~
ぼく達のお店は『珈琲茶館モカ』といって、
郊外の駅から少し離れた閑静な住宅街の真ん中にある。
席数はカウンターとテーブルを合わせて20席ちょっとのこじんまりとした感じ。
木材を基調とした、おとぎ話に出てきそうな隠れ家的な雰囲気である。
そこで心菜さんとぼくは喫茶店を開いているのだ。
心菜さんはお店のドアの前に手書きで書いたメニューの看板を出して、
あとについてきたぼくに話かけた。
『よーし、じゃあ始めるよモカ、今日もよろしくね!』
今日も気合十分。ぼくもがんばるよ。
『ワン!』
一言返事をして、ぼくはドアに吊り下げてある看板を口で回して営業中に変えた。
こうして今日も珈琲茶館モカの一日が始まったのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~
『あら!モカちゃんこんにちは~。今日も元気そうね~』
近所に住んでいるおばちゃんがぼくにあいさつをして、撫でてくれた。
このお店のお客さんはほとんどが常連さんで、だいたいぼくの顔見知りだ。
お店の中はいつも半分くらいが埋まっているというイメージかな。
このお店は心菜さんがご主人をする前からあったらしい。
だけど、前のご主人の心菜さんのお父さんは病気でいなくなっちゃって、
心菜さんが突然継ぐことになったんだって。
だから、お客さんはそんな心菜さんのためにたくさん来てくれるんだ。
おばちゃんはいつも友達を連れてやってきてくれる。
『心菜ちゃん、ブレンドコーヒーのケーキセット4つお願いね!』
『はーい!かしこまりました!』
心菜さんはカウンター元気よく返事をして、注文の準備にとりかかる。
その時、ぼくはおばちゃん達の横に座って、じっと上を見て座っていた。
『いつもお利口ね~。いい子いい子。』
おばちゃんたちはぼくを撫でてくれたり、笑顔で話しかけてくれる。
こうやって待ち時間に楽しんで貰うのも、ぼくのお仕事なのさ。
~~~~~~~~~~~~~~~
お昼時も過ぎてもうすぐ夕方に差し掛かるころ、
お客さんがいなくなり少し休んでいた時にドアの方に怪しい気配を感じた。
常連さんではない。ぼくは急いでドアの前に向かい、威嚇する体制をとった。
カランコロンとお店のドアを開く音がする。ぼくは入ってきた男に向かって吠えた。
『うわぁ!びっくりしたぁ…』
入ってきたのはスーツを着た男だ。なんとなく疲れている様子に見える。
『こら、モカ!お客さんに吠えちゃダメでしょう!』
裏にいた心菜さんがやってきた。怒られてしまった…。
『びっくりさせちゃってすみません。それでは、こちらの席はいかがでしょうか?』
心菜さんは男に苦笑いしながら謝って、席へと案内した。
『いえいえ、大丈夫ですよ。このお店はワンちゃんがいるんですね。』
男は少し不思議そうな感じで、ぼくを見ながら話した。
『うちの看板犬なんです。良ければ可愛がってあげてください。』
心菜さんは笑顔で男に返事をして、注文を受け取りカウンターへ下がっていった。
ぼくは床に伏せた状態で、ずっと男を観察していた。
このお店は住宅街にあって、周りに会社はほとんどない。
スーツの人が夕方の早い時間に来るのはあまりないのでビックリしてしまった。
反省しなくちゃ…。ぼくは少し頭を冷やして男の足元に向かった。
男の方を見つめる。君はどうしてここに来てくれたんだい?
すると、男は足元のぼくに気づいて、話しかけてくれた。
『おお、なんだい?そんなに俺が珍しいのかい?』
犬に慣れてないのか、ちょっと警戒されている気がする。
しかも、さっきたくさん吠えちゃったしなぁ…。
しばらくして、心菜さんがコーヒーを持ってやってきた。
『お待たせしました。ブレンドコーヒーです。ふふ、モカお客様のことが興味深々みたいですね。』
まだ足元から動いていないぼくを見て、心菜さんが笑顔で男に話しかけた。
『人懐っこい子ですね。看板犬というのも納得です。』
男はやっと少し笑った感じで、俯きながら言葉を発した。
すると、心菜さんが男に一つ提案をした。
『何か悩みがおありでしたら、モカに話してみたらどうですか?一応、聞いてくれますよ。』
一応とはなんだい。ぼくは少しムッとしたが、こらえて待つことにした。
『そうですね。良ければ話してみます。』
男は軽く返事をした。
心菜さんは笑顔で会釈をして、再びカウンターへ下がっていった。
男はコーヒーを一口飲んで、ぼくの方を再び見つめてきた。
『さて、何から話したらいいか…。ちょっと仕事で失敗しちゃってね。』
静かに男はぼくに色々語ってくれた。
詳しいことはよくわからなかったけど、どうやらミスして上司に怒られて、
会社を飛びだしてきたらしい。
気持ちはわかるよ。ぼくもさっき心菜さんに怒られたし。
5分くらい話してもらって、男の話は終わった。
『ごめんよ付き合わせて。ちょっと楽になったよ。ありがとう。』
さっきよりすっきりした表情の男は、ぼくの頭をなでてくれた。
さっき吠えちゃったお詫びだよ。気にしないで。
『モカくん、賢い子ですね。また来ます。』
男は会計の時に心菜さんに話して、仕事に戻っていった。
お店に来た時の怪しい感じは、店を出るときはあまりしなかった気がする。
心菜さんがレジの処理をした後、
ぼくの前でしゃがんで笑顔で話しかけてきた。
『モカ、お手柄じゃん。常連さんゲットだよ~』
やった。ほめてくれた。
心菜さんがほめてくれれば、ぼくはそれでいいや。
~~~~~~~~~~
夜も更けて最後のお客さんが帰り閉店の時間。
よく晴れていて暖かかった日中に反して、また底冷えする寒さに戻っている。
心菜さんは表に出ているメニュー看板をお店の中にしまった。
『ふぅ。今日もお疲れ様、モカ。大繁盛だったね。』
夜もたくさんのお客さんがディナーに来てくれた。
ぼくは色々なお客さんから触ってもらって、ちょっと疲れちゃった。
心菜さんは冬の澄み切った空に浮かぶ星をみながら呟いた。
『明日もいっぱいお客さん来てくれるといいなぁ。お父さん見ていてください。』
少し悲しそうな表情だった。ぼくは足元によって、早く入ろうと促した。
『そうだね、モカ。じゃいつものよろしく~。』
店内に戻り、ぼくはドアの吊り下がっている看板を準備中にした。
こうして今日も珈琲茶館モカの一日は無事終わるのだった
了
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