第54話 一丁前に


 黒い車の前に犀鶴が立っている。

 詩冬たちも上空から黒い車の近くに着地した。


 運転席から華之江が出てきた。助手席からも誰かが出てくる。

 玖波院長だ。黒い車を止めた犀鶴の前に立つ。


「犀鶴がどうしてここに?」と怪訝そうな顔をする玖波院長。

「決まっておろう。愛する我が妻子を助けるためじゃ」


 ところで玖波院長と華之江の二人は、変わり果てた犀鶴の外見については、特に驚愕したようすもない。だとするといまの風貌こそが本来の犀鶴だったのか。


 ちょうどそのときのことだ。

 反対車線から白い車が現れた。


 華之江の黒い車の前に停車する。白い車のドアが開いた。

 中から出てきたのは海道と卯月だった。


「犀鶴さん、ひどいですよ。途中で先に行っちゃうなんて」


 海道はそう言いながらも、白い歯をこぼすのだった。


「ふん。おぬしらがいっしょじゃと遅くなってしまうわい」


 二人の会話に玖波院長が横から割って入る。


「おい、犀鶴。邪魔するな。そこを退け」


 だが犀鶴はその場から動く気配を見せない。


 すると玖波院長は華之江にちらりと目配せした。

 華之江がその意味を理解したらしい。犀鶴に掴みかかろうとするのだった。


 そこで犀鶴が華之江に一言。


「たわけっ」


 犀鶴の体が閃光を放つ。

 このとき不思議なことが起きていた。


 華之江の動きがピタリと止まったのだ。

 

 ガッシリした両腕は、前方に伸びたままだ。目元と口元に力を入れているのがよくわかる。その部分だけは微かな動きを見せている。といっても小さなシワができる程度だ。声すら出せないらしい。


 ふん、と犀鶴が鼻で笑う。


「金縛りじゃ。見事に決まっておろう? これほど完璧に決められる霊など、ワシ以外におらんわい。これも修行の成果じゃ。畏れ多くもこのワシは、高邁闊達たる高僧にして名僧と呼ばれた犀鶴じゃからな」


 体の動きを封じられているのは、華之江だけではなかったようだ。

 玖波院長も首を華之江に向けた状態で、微動だにしなくなっていた。


 海道は白みがかった眼鏡を取りだした。

 金縛りに遭った二人を、興味深そうに観察し始める。


 一方、霊体の柚香が犀鶴に近づいていく。

 父娘の二人は互いに顔を合わせた。


「ユズカ……我が娘……」


 柚香の眉が吊りあがる。


「あたしユズカじゃなくてユウカよ」

「と、とにかく……いままで面倒をかけてきたのう。すまん」

「あたしは別に。謝んなくっちゃいけないのは、あの人にでしょ」


 娘の柚香が視線を逸らす。

 逸らした先には妻ユズカが立っていた。

 ちょうど黒い車からおりてきたところだ。


 海道が爽やかな笑顔を犀鶴に向ける。


「犀鶴さん。約十七年ぶりの再会ですからね。思う存分イチャイチャしちゃって構いませんよ」

「じゃかぁーしいわい!」


 犀鶴の額から一筋の汗が流れた。

 緊張した面持ちで、妻ユズカのもとへ歩いていく。

 少し震えているようだ。


「ユズカよ、すまんかった」


 妻ユズカは犀鶴を静かに見つめている。

 犀鶴は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「ずいぶんと心配させたのう。ワシがおらぬことで苦労させてしまったこと、心から詫びを申したい。ワシとの子を産み、一人で面倒みてたのじゃな。そして娘はあのとおり大きく成長した。よくぞここまで立派に育ててくれた。いまでは一丁前に恋もしてるようじゃな」


 柚香は目を剥きながら父を怒鳴りつけた。


「してないっ!」


 犀鶴が肩をクイッとすぼめる。


「冗談じゃ」


 あらためて妻ユズカを見つめた。

 その顔はとても真剣だ。

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