第47話 四つ違い


 詩冬と柚香が家路につく。


「詩冬……」

「ん、どうした?」


 遠い暮雲が赤みを帯びている。

 柚香はそんな夕空をぼんやりと眺めていた。


「あの人があたしの母なのね」

「そういうことだ。顔は柚香にそっくりだったな」


 柚香はしょんぼりと俯いた。


「ずいぶん変わってた、あの人」

「そんな言い方すんなよ。なんの前触れもなく突然オレたちが……特に柚香が現れたんで、かなりビックリしたんだろう」


 そう言ってみたが、必ずしも詩冬の本心ではなかった。


「ねえ。深雪さんは詩冬といくつ年が離れてるの?」


 柚香が唐突に話頭を転じてきた。

 詩冬はきょとんとするが、彼女の目は真剣だった。


「四つ違いだ」

「ふうん。四つも離れてるのね。深雪さんって優しいし、詩冬にとったら『お母さん』みたいなものでしょ?」


 詩冬が肩をすくめる。


「うーん、それはないかな。飯作ったり後片付けしたり、あと掃除や洗濯とかのたぐいも、オレの方が多くやってるような気がするし」

「言いたかったのはそういうことじゃないの。詩冬は深雪さんから愛情をたくさんもらってる……。あたしは詩冬が羨ましい。ああいうお姉さんがいて」


 身内のことを言われると、少しくすぐったいものがある。


「あんな姉貴がか?」


 柚香は悲しそうに眉間を狭めた。


「あの人ずっと無表情だった。あたし、あの人から母親としての愛情をもらうことできてたのかなあ」

「さっきも言ったけど、オレたちさあ、ユズカさんにはきょう初めて会ったばかりじゃん? そんなふうに考えるのはやめようぜ」


 それから家に着くまで、二人に会話はなかった。



 家に到着。明るい笑顔で深雪が出迎えてくれた。

 きょうのことを話すのは後回しとし、詩冬と柚香は部屋へと向かった。

 部屋の前で柚香の足が止まる。


「あたし……いままでずっと、深雪さんみたいなお母さんを期待してた」


 柚香は目を閉じ、くるっと背を向けた。


「ちょっと散歩してくる」


 そう言って廊下の天井を抜けていった。


 詩冬はうなじを反らし、しばらく柚香の消えた天井を眺めた。

 柚香のことを考える――。



  あいつは『もう一人の自分』に拒絶された。

  どうして柚香は柚香を拒絶したんだ?


  ウチにいる柚香は『心』で、あの家の柚香が『肉体』だよな。

  ならば後者の柚香は『心』なんて要らないっていうのか?

  それじゃ、死んだのと変わりないじゃないか。そう、死んだのと……。


  もしかして死を望んでいた?



「あっ」


 思わず声を出してしまった。海道の言葉を思いだしたからだ。


『待っていたんだよ。そのユズカちゃんが「生きたい」って思ってくれることを』


 確かそんなことを言ってたな。だったら……。




   ◇




 数日が過ぎた。


 詩冬は食器を洗い終え、自分の部屋に戻った。

 部屋の戸を開けてみると、柚香がデスクに両肘をついていた。


「ちょっとねえ、何回言わせるの? 部屋の戸を開けるときは、ノックくらいしなさいって」

「うるせっ、オレの部屋だ」


 毎度のごとく仲睦まじい喧嘩じゃれあいが始まった。

 柚香が頬を膨らませ、袖を捲りあげる。


「おのれ詩冬、覚悟ぉー」


 詩冬も負けじと右手の拳を振り回し、ふざけ半分の威嚇をしてみせた。


「やるかぁ~、悪霊退散!」


 柚香は喜色を浮かべながら宙を舞い、待ち構える詩冬に襲いかかっていった。

 ところが突然落下し、顔面を床につけてしまった。

 柚香の滑稽な着地に、詩冬が笑う。


「ハハハ。ヘッポコだな。何やってんだよ、柚……」


 反応がない。



 ――おい、柚香?


 詩冬はハッとした。柚香のようすが明らかにおかしい。

 慌てて柚香に寄っていった。


「しっかりしろ! どうした?」


 柚香はゆっくりと起きあがった。

 詩冬がさっと手を差しだす。


 柚香はその手を払い、詩冬の鼻を摘まんだ。


「隙ありっ」


 子供っぽい笑顔を見せている。


「甘いな、詩冬クン。こんな手に簡単に引っかかるなんて」

「おい、本当に大丈夫か」

「なあに。ふざけてみただけよ」


 あらためてふわりと宙に浮きあがった。

 部屋を出ていこうとしている。


「ひゃっ」


 またもや空中でバランスを崩した。


 浮かんだままうずくまる。歪めた顔は苦しそうだ。

 これは尋常じゃない。


 詩冬は戸を開け、廊下にとびだした。

 深雪の部屋にいるはずの卯月を大声で呼ぶ。


「卯月っ、卯月っ」


 戸が開いた。


 卯月が無言で顔を出す。

 半開きの目は、かったるそうだ。


「頼むっ、診てくれ! 柚香のようすが変なんだ」

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