第46話 破れた写真


 喜び合う詩冬と柚香。


 一方、犀鶴の妻ユズカは無表情のまま、その二人を傍観しているだけだった。普通ならば目の前のことに、卒倒するほど驚愕するはずだ。それなのに平然と落ち着いていることが、詩冬たちには不思議でならなかった。


 いろいろ錯乱しているのだろう、と詩冬は理解した。


 ――そりゃそうだ。突然どこからか訪問者が現れて、二人の柚香が同一のものだなんて言われたって、すべてをすぐに呑み込めるわけがないじゃないか。


 これからやることはもう決まっていた。

 詩冬が柚香に確認する。


「柚香、やれるか?」

「う……うん」


 眠っているもう一人の自分を見つめる柚香。

 彼女の顔は緊張していった。


 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 詩冬の手から離れた。


 布団の中の自分自身に右手を伸ばす。

 その右手は掛け布団を透り抜けた。

 これでいよいよ――?



「きゃっ」



 霊体の柚香はそんな声を発し、さっと右手を引いた。


 驚いた詩冬が膝で立ちあがる。

 いったい彼女に何があったのだろうか。


「柚香、大丈夫か」


 心配して声をかけた。

 柚香が悄々しょうしょうと顔を伏せる。


「あたし、拒否された。もう一人のあたしから」

「拒否されたって?」


 詩冬が理解に苦しんでいると、柚香は弱々しく唇を動かした。


「来ないでって言われた」


 柚香の記憶がやっと戻るはずだった。詩冬も柚香も大喜びしていたのだが、非情な現実を突きつけられる結果となった。


 ガックリする詩冬。それでも柚香本人の落胆の比ではなかろう。

 彼女の俯いた姿を見て、どう慰めてやろうかと考えた。

 頭をガリガリと掻き、その手で自分の膝を叩く。


「きょうの柚香は本調子じゃなかっただけだ。きっと疲れてるんだ。一度にいろんな話を聞かされちゃったもんな。また今度やればいいさ」


「……」返事はない。


「深く考える必要なんかないぜ。きょうは駄目だったかもしれないけど、次はオレが絶対なんとかしてみせるからさ」


 もちろん軽い気持ちでそう言ったのではない。なんとしてでも柚香に記憶をとり戻させる――これは以前から心に誓っていたことであり、柚香と約束していたことなのだ。


 柚香の声が聞こえた。


「……がとう、詩冬」


 声があまりに小さかったため、最初の部分は聞き取れなかった。


「ん? なんか言ったか」


 左手を耳に添え、聞き返した。

 柚香は無言で首を横に振っている。

 ということは、たいした話ではなかったのだろう。


 しばらくして柚香が頭を持ちあげる。

 何やら険相な顔だった。


「おい。どうした、柚香」

「だんだん腹が立ってきたの」

「腹が?」

「そうよ……」


 細い指先をもう一人の自分に向けた。


「……あっちのあたしが拒否するって言うんなら、こっちのあたしだって、あんなのといっしょになんてなりたくない! ホント、詩冬よりイラつく子ね」


「何も自分に憤慨しなくったって……。てか、オレってイラつくのか?」

「安心して。詩冬の場合、いい意味でイラつくだけだから。特に問題ナシよ」

「いい意味でイラつくってなんだよ!」


 詩冬はそう言いつつも、柚香の真っ赤な目を見て理解していた。

 この言動はわざと元気に振舞っているだけなのだと。



 柚香の母ユズカは二人を見守り続けている。

 詩冬はそんなユズカと目が合った。


「ユズカさん。今回は初っぱなってこともあって、ぜんぜん上手くいきませんでした。でも眠っているユズカさんの目を、近いうちに必ず覚まさせてみせますんで。それまで待っててください」


 ユズカは無言でうなずいた。


 彼女は玄関の外で詩冬と会ったときから、ほとんど言葉を発していなかった。その顔もまるで絵に描いたようにずっと無表情だ。



 柱時計は六時五十分を指していた。

 詩冬はそろそろ帰ろうと思った。その前にもう一度だけ、ユズカに話しかけてみることにした。


「あなたの娘さんのユズカさんって、どんな子だったんですか?」

「ゆずかは、犀鶴とわたしの子」


 それじゃ答えになってない。


 柚香の母ユズカはすっと立ちあがり、押入れの戸を開けた。

 ガサガサと音を立てて何かを取りした。

 手にしたものを詩冬に見せる。


 それは八枚の写真だった――。

 詩冬と柚香が声をそろえる。



「「これって!?」」



 詩冬は写真を受けとった。

 柚香といっしょに一枚一枚めくる。


 一枚目にあったのは赤ん坊の写真。


 赤ん坊を抱く母親らしき人物も写っているが、顔が柚香にとてもそっくりだ。

 つまりそこに写っているのは、ユズカと柚香の親子なのだろう。


 もう少し赤ん坊の柚香を眺めていたくもあるが、他の写真にも興味がある。

 赤ん坊の写真をめくると、幼児期のものが出てきた。

 たちまち柚香が破顔する。


「きゃっ、かわいい」

「自分で言うな」


 ゆっくりと次々めくっていく。小学生くらいの柚香の写真や、現在とあまり変わらない年頃の写真もあった。柚香の表情がとてもいい。ここまですべての写真に母ユズカも写っている。


 最後の二枚はどちらも破れた写真だった。

 裏面がセロハンテープで補修されている。


 そのうちの一枚については、柚香にいっさいの笑みがなく、イヤイヤ撮らされたような写真だった。その写真がいまの年齢に一番近いようだ。


 破れている最後の写真は、それまでのものとは違っていた。他の七枚はユズカと柚香という母子の写真だったのに、この一枚だけは娘の柚香が写ってない。


 そこに写っているのは二人。若いユズカと『男』と思しき人物だった。

 ただ残念なことにその写真の破損がひどいため、『男』と思しき人物が犀鶴かどうかまでは判別できなかった。


「この二枚、破けちゃってますね。どうしたんですか?」


 詩冬が尋ねると、ユズカはその写真を一瞥した。


「わたしの大事な写真」


 またもや答えになっていない答えが返ってきた。相変わらず声も無機質だ。

 柚香の視線はその二枚から詩冬に流れた。


「もう帰りましょ」

「そうだな。きょうは帰ろう」


 詩冬は柚香の手を取ったまま立ちあがった。

 そして柚香の母ユズカに告げる。


「オレたち、きょうはこの辺で失礼します。それで……こっちのユズカさんといっしょにまた来たいと思います」

「また来て」


 声は小さいながらも、ユズカは確かにそう言った。

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