第38話 夜空の星


 夕食が終わると、卯月、深雪の順に入浴し、部屋に戻っていった。

 最後に風呂を終えた詩冬も、自分の部屋へと戻っていく。


 部屋に柚香の姿はなかった。

 いつものようにワガモノ顔で、のさばっていると思ったのに。


 もう一度、部屋の中をぐるりと確認。見当たらないのでそのままベッドに入る。

 しかしなかなか寝つけなかった。


 ――ん?


 瞼を開けた。柚香の声が聞こえたような気がしたのだ。

 暗がりの中で目を凝らしながら柚香を探す。


 だが誰もいない。起きあがって窓を開けてみる。


 身を乗りだして外を見回すが、柚香の姿はどこにもなかった。

 ただ星だけが夜空を美しく飾っている。



「あれっ、詩冬じゃない? 眠れないの?」



 柚香の声だ。上から聞こえた。

 さらに身を乗りだし、窓から見あげてみる。


 屋根上からちょこんと顔を出している柚香が見えた。


「ここ気持ちいいから、詩冬も来てみたら?」

「そんなところまで行けるか」


 すると柚香が二階の窓までおりてきて、詩冬の両手を外へと引っぱる。


「わっ」


 詩冬は驚いて声を出した。

 無理やり部屋から引きずりだされ、上方へと運ばれていく。


 屋根上に着地。


 瓦の上に腰をおろし、遠い夜景を見渡した。隣に柚香が座る。

 しばらくの間、二人並んで快晴の星空を仰いだ。



「あたしね……」


 柚香が静かに口を開いた。


「……なのかもしれないの」


 きらめく無数の星々を眺めている。


「もうじき?」


 詩冬が訊き返すと、柚香は小さくうなずいた。


「最近、体の調子がおかしいの。手足の感覚も以前と比べれば、ぼんやりと鈍いようだし、なんだかこのまま消えてなくなるような気がして」


「じゃあ、きょう柚香が部屋で言ってたことって……?」

「うん。本当は誰にも話さないつもりだった」


 詩冬は言葉を失った。

 柚香も沈黙している。


 いつの間にか二人は夜空を見あげることもしなくなっていた。その夜空に雲がかかり始める。遠くで犬が鳴いた。


「あたしの存在、いつ終わりを迎えるのかな。なんだか怖い」


 詩冬はかけてやる言葉を探すが、やはり何も思い浮かばない。


「あたしの心はまだ生きてる……。ううん、あたしはいま生きてる。もっと生きたい」


 柚香の顔は寂しそうだった。


「……柚香」


「あたし、少なくとも詩冬の前では人間と同じよね? こうして話ができるし、触れることだってできるし」


 詩冬は大きくうなずいた。


「あたりまえだ。オレにとって柚香は人間とまったく変わらない」

「本当……?」


 柚香の大きな黒瞳は、心細そうに揺らいでいた。


「もちろん本当だとも。柚香にはちゃんと人の感情があるんだ」

「それだけ?」


「それだけじゃない。えーと……」詩冬は必死に次の言葉を探した。「……いまや柚香は、オレや姉貴にとって家族みたいなもんだし。ほら、家族といえば、もうそれは人間ってことと同じだろ」


「それから?」


 まだ足りないらしい。


「柚香がいっしょにいればやっぱり楽しいし、落ち込んでりゃ気になるし……。それって、柚香が人と変わらないからだ」


「それから? 生きている人間と変わらない理由、もうないの?」


 柚香の双眸が詩冬の優しい言葉を欲している。

 詩冬にすがろうとしているのだ。


「そーだなあ……」

「待って。やっぱり言わなくていい。困らせちゃってごめんなさい」


 彼女はそう言って笑った。微かに、儚げに。


 詩冬としては困らされたとしても、柚香のためならばまったく構わなかった。むしろそれを望んだ。しかしそうかといって、気の利いた言葉がすぐ出てくるものではない。だから悔しくてギュッと自分の足をつねった。


 その手をだらりとおろした。意図せず指先が柚香の指に触れた。もちろん偶然だ。


 詩冬は柚香がすぐに手を引っ込めると思った。しかし彼女の手はそのままだ。

 目が合った。彼女の目にはまだ憂いが残っていた。互いに体を向ける。


 消えてしまいそうな柚香。

 守りたい。包み込みたい。


 気づいてみれば、彼女の手を固く握っていた。

 そんな自分の行動を不思議に思った。

 何をやっているのだろう、と自問した。


 だが少なくとも柚香は嫌がっていないようすだ。

 互いの顔が近くにある。詩冬の心臓は激しく鳴りだした。

 思いきって柚香に言う。


「さっきの話」

「え?」


「オレにとって、柚香が生きている人間と変わらないってことの続き」

「うん」


「たとえば……その……人間となんら変わりなく……」

「詩冬?」


「こうやって……キ、キスだってできる……」


 詩冬は自分の大胆さに驚愕した。オレは本当にオレなのか、と。

 ごくりと唾を飲み込む。


 柚香が目を閉じる。

 同じく詩冬も。



 いてぇ



「人間となんら変わりなく、こうやってデコピンも入れられるしね」

「柚香、あんまりだ……」


 柚香は高く宙に浮き、詩冬を見おろした。


「バッカじゃないの?」


 浮きあがったまま、体を反転させる。

 背中を向けたままぼそっと言った。


「でもありがとう。ちょっと元気でたから」


 雲のかかり始めた夜空へ飛んでいく。


 詩冬は痛めた額を押さえながら柚香を見送った――。

 オレはお前に消えてほしくない。柚香を消えさせるものかよ。絶対なんとかしてみせる。てか、オレ、どうやって屋根からおりればいいんだ?

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