第37話 詩冬のタイ焼き


 四人暮らしが始まった。


 家の収入といえば、母の仕送りと姉の給料だ。それから家族のようなものが二人ほど増えたことで、詩冬は責任を感じてバイトを始めることになった。卯月の食費は仕方ないとしても、本来なら余計だといえる柚香の食費まで必要なのだ。飯を食べずとも飢えることなんてないのに。


 家の中のようすはガラリと変わった。日中は深雪が会社、卯月がテレビのある居間で過ごし、柚香は家の内外をふらふら、詩冬は夏休み限定の短時間バイト。そんな日々が続いた。



 ある日曜日のこと――。


 会社が休みの深雪と、居間のヌシと化した卯月と、短時間のバイトから帰ったばかりの詩冬の三人が、居間のテーブルを囲んでいた。

 けれども柚香だけはいつもどおり、ふらふらとどこかへ出かけていた。


 カタカタと音を立てながら、居間の戸が振動を始める。

 詩冬はその小さな物音で、柚香の帰宅を確信した。


 居間の戸から顔が出てきた。

 やはり柚香だった。戸を透り抜け、その全身を現す。


「待ってたぜ。柚香は甘いもの好きだったろ?」


 詩冬はテーブルの上のタイ焼きを指差した。

 深雪も柚香に声をかける。


「お帰り、柚香ちゃん」


 ここ最近、柚香の姿がよく見えているらしい。

 やはり詩冬の姉だけのことはある。


 柚香は会釈した。しかしタイ焼きには目もくれず、ゆっくりと体を上昇させる。そのまま天井を抜け、詩冬の部屋へと消えていった。


 意外な柚香の行動に、詩冬の目が点になる――。

 あれ? おかしいな。柚香のヤツ、タイ焼き食わないのか。

 いつも食い意地が張ってるのに。


 詩冬は気づいてみると、深雪と卯月からの視線を浴びていた。

 どうしてこっちに? などと思いつつ天井を見あげる。


「あいつなら別に大丈夫だろ。どうせ変な物でも食ったんじゃないのか? きっと幽霊にも食あたりとかってあるんだ」


「詩冬!」深雪が怒鳴りつける。


「だから柚香のことなら心配いらないって」


 バンっ!


 テーブルを叩いた音だ。目を吊りあげている。

 こんなに怒った顔の姉を見るのは久々だった。


「柚香ちゃんのようす、詩冬が一番ハッキリ見えるんでしょ」


 卯月も深雪に同意するように、詩冬を睨みながら首肯している。


 詩冬は舌打ちし、重い腰をあげる。

 居間の戸を閉める前に一言。


「いいか? オレの分のタイ焼き食ったら承知しねえぞ」


 廊下に出て、階段をのぼった。

 自分の部屋の戸をノックする。


 こん こん


「柚香、入るぞ」


 部屋の戸を開け、中を覗いてみる。

 柚香はデスク前の椅子に座り、両手で頬杖をついていた。

 ふり向いて、詩冬を見あげる。


「あ、詩冬」

「なんかあったのか?」


 ニコッとした表情を返してきた。


「ううん。なんでもない」

「それならいいんだけど」


 陽気そうな柚香の顔がそこにある。


「ねえ、詩冬」

「ん?」


 椅子からふわっと浮き、ベッドの上に座り直した。


「あたし、いつか消えちゃうのかな。幽霊なんだから消えていくのは、あたりまえだよね。この世にいちゃいけない存在だもんね」


 落ち込んだふうな口調でもなく、顔いっぱいに笑みを浮べていた。


「おいおい、何言ってんだ」

「なんてね、冗談。心配した?」

「冗談か」

「うん。冗談」


 いたずらそうな顔でうなずいた。

 詩冬は柚香に背を向ける。


「ったく! つきあってらんねえ」

「詩冬なんかと、つきあってないもーん」

「意味が違うっ」


 部屋から廊下に出ると、バタンと戸を閉めた。

 ドタドタと荒々しく階段をおりる。


 わざと怒ったように居間へと戻ったが、柚香のようすが変だとは気づいていた。さっき柚香の見せた陽気な笑顔が不自然だったことくらい、きちんと見抜いていたのだ。しかしその場では柚香の『ウソ』につきあうことにした。彼女が表情や言葉を誤魔化しているのなら、たとえ何を聞きだそうとしても、正直には絶対に話してくれないことくらい想像できるからだ。



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 夕方となった。


 テーブルの上には深雪の料理が並んでいる。

 この日は深雪が夕食を作る番だった。


 皆でテーブルを囲む。

 そこに詩冬がいる。深雪がいる。卯月がいる。それから柚香もいる。


 詩冬はさりげなく柚香の顔を確認した。だが特に落ち込んだり、悩んだりしているようすもない。いつもどおりの柚香だった。


 四人それぞれが箸を手に持つ。夕食タイムの始まりだ。

 深雪がどんな『魔法』を使ったのか知らないが、卯月は最近『いただきます』を言うようになった。


 他愛ない話をしながら、食事は進んでいった。

 柚香も普通に会話に入り、箸も進んでいる。


 部屋で彼女のようすが少し変に見えたのは、気のせいだったのだろうか?

 そんなふうにさえ思えるのだった。

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