第36話 柚香の部屋


 柚香とともに家へ到着。


「「ただいまー」」二人の声がハモった。

「あら、おかえり」


 居間から聞こえてきたのは、詩冬の姉の声だ。


「姉貴ぃー、帰ってたのか?」


 居間に行ってみると、詩冬の姉と卯月の姿があった。

 二人でお茶をすすっている。


「飲み会は思ったより盛りあがらなかったんで、一次会だけで帰ってきちゃった」


 てか……。

 卯月が平然とお茶をすすっているのだが。


「姉貴。えっと、そこの」


 詩冬は卯月を指差した。

 姉の口元が緩む。


「卯月ちゃんから話聞いたわよ」


 詩冬はキツネにでもつままれたような気分だった――。

 どういうことだ? どうやって仲良くなったんだ? それに『話聞いたわよ』って、あの卯月がぺらぺらとお喋りだと? とにかく眼前の光景が信じられない。


 帰ってきた詩冬には目もくれない卯月。澄ました顔でお茶をすすり続けている。

 詩冬の姉が目を大きく見開いた。その目に力を入れているようだ。


「んんんっ……」


 詩冬は姉のようすに、ぽかんと口を開けた。

 姉が詩冬の周囲をきょろきょろしている。


「気合だぁー」

「なあ、姉貴。何やってんだ。病院行くか?」


 まだ酔っ払っているのだろうか。


「見つけた!」


 姉はそう言って柚香を指差した。一般人には見えないはずだが、指で正確にその位置を当てている。


「えっ、まさか見えんのか?」


「なんとなーく、うっすらとね。実はいままでにも目撃したことあったんだ。声だけならば、しょっちゅう聞こえてたんだけどね。で、さっき卯月ちゃんに教えてもらったの。柚香ちゃんっていう幽霊さんが、詩冬ととても仲良くしてるって」


 柚香は慌てて床に着地した。


「はじめまして……というより、いままですみませんでした。勝手に家に入り込んだりして」


 ぴんと背筋を伸ばし、深く頭をさげる。


「ぜんぜん構わないわ。柚香ちゃんは詩冬のお友達だし、良い幽霊さんだもんね」


 詩冬の姉が微笑む。声はしっかり聞こえているようだ。


「でもごめんなさい、柚香ちゃん。あまりハッキリとは見えてないの。ああ、そうそう。あたしの名前は深雪。よろしくね」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」


 四人でテーブルを囲んだ。


 突然、柚香が詩冬の手首を掴む。


「これを早く渡さないと」


 買ってきた日用品を卯月に差しだすのだった。


「下着も買っておいたから、お風呂に入ったらそれに着替えてね」


 卯月は礼も言わずに受け取った。

 それでも柚香はニッコリと笑い、意味ありげに詩冬を横目で一瞥した。


「その下着だけどね……」


 視線を卯月に戻す。


「……詩冬が選んだのよ。『オレ、水色じゃなきゃ嫌だ』とか言って」

「おい! 言ってねえだろっ」


 詩冬は大慌てで否定した。


「だってその色、詩冬が選んだんじゃない」

「何言ってる。オレが選んだわけじゃ……」

「嘘つく気?」


「……」くっそ。


「へぇー。あたし今度から水色のを買うのやめよっと。詩冬に盗まれちゃうから」

「誰が姉貴の下着なんて盗むかよ!」



 今夜から女三人に男一人。詩冬にとって居心地の悪い家となってしまうような予感がした。

 深雪は柱時計に目をやった。


「あら、もうこんな時間。卯月ちゃんはお風呂のあと、あたしの部屋にいらっしゃい。あたしの部屋で寝泊りすればいいわ。詩冬の部屋は危険だから」


 卯月がうなずく。


「おいおい」とは言ってみたものの、卯月が姉の部屋へ行くのは当然だ。


「あのう……。あたしは?」


 柚香が深雪に視線を送っている。


「柚香ちゃんはいつもどおりで問題ないわね?」

「いつもどおり?」


 柚香が首をかしげる。

 深雪は満面の笑みを湛えていた。


「うん。だって詩冬が外出してるとき、詩冬の部屋の中にいることが多いでしょ」


「えっ」柚香の表情が固まる。


「おい、柚香! オレがいないとき、勝手にオレの部屋を……」

「あ、あたしは別に何も」


 首を横に大きく振っている。


「それに真夜中もそうよね。あたしが目を覚ますと、たびたび詩冬の部屋からくすくすと笑い声が聞こえてくるし」


 詩冬は柚香を睨んだ。


「夜、オレの部屋で何やってんだ?」


 柚香が首をすくめる。


「だって暇なんだもん。あたしは夜眠ることはないから、ずっと起きてなくっちゃならないのよ? すっごい退屈だから」


「だからどうしたって言うんだよ」と詩冬。


「それで、たまーに詩冬の部屋行って、眠ってる詩冬の耳引っぱったり、鼻つまんだりして遊んだこともあった……かも?」


「最近、寝起きが悪いと思ったら、お前のせいだったんな」


 柚香がとぼけて、そっぽ向く。

 深雪はそんな柚香に笑顔を向けた。


「詩冬が自分の部屋にいる時間より、柚香ちゃんが詩冬の部屋にいる時間の方が、ずっと長いかもしれないわね。だからいままでどおりで問題ないでしょ?」


「わ……わかりました」

「じゃ、決まりね」


 満足そうな深雪の顔。


「ちょっと勝手に決めんなよ。オレの意見はどうなんだ?」


 深雪と柚香が声を合わせる。


「「却下」」

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