第32話 余計なこと


 詩冬は海道と別れ、卯月を連れて店を出た。

 もちろん柚香もついてきている。


 階段をおりたところで卯月が立ち止まった。

 浮かない顔の卯月に、詩冬が声をかける。


「どうしたんだ?」

「玖波究院を離れることに、わたしはまだ同意したわけではない」


 それを聞いた柚香は、セミロングの髪を逆立て、鋭い目つきで怒りを露わにするのだった。


「この子、なんなのよ! せっかく、あたしたちが面倒みてやろうとしてるのに」


 霊の声は卯月の耳に届かない。詩冬はなだめるようにポンと柚香の肩を軽く叩いた。笑顔を崩すことなく、卯月に視線を合わせる。


「霊的陽性人間の観察したいんだろ? だったらウチに来いよ。観察だけだったらオレはまったく気にしないぜ。好きなだけ観察すりゃーいい。ウチは姉貴がいるんだけど、オレがうまく説明するから大丈夫。ウチの姉貴って結構ものわかりいいんだ。外国人のホームステイの協力っていうことでもいいしさ」


「観察? 観察だけでは済まないかもしれないわよ」


「それでもいいかな。お前は悪い奴じゃない。海道さんがそんなこと言ってたし、オレもそんな気がする。とにかくお前を助けるって決めたんだ。だからお前をウチに連れて帰る」


 卯月はうつろな目で地面を眺めている。


「わたしを連れて帰るって、それ誘拐ね。警察でも呼ぼうかしら」


「警察かぁ。海道さんたちの間じゃ、役に立たないって評判の警察だな。呼ぶならそれでもいいや。覚悟はできてる。一つの命を助けるためだったらさ」


「……」


 卯月が不機嫌そうに横を向く。


「卯月、どうしたんだ?」

「ヴァーーーカ」



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 電車をおりた。卯月も素直についてきている。

 詩冬の家は最寄り駅から、歩いて二十分少々のところだ。


 歩きながら姉への説明を考えた。卯月には大口を叩いてみせたものの、どう話を持っていくべきなのか、具体的なことはまだ何も固まっていなかった。


 国家秘密的な研究をしている組織があって、そこから人間サンプルとされている女の子を助けだしてきた――なんてことまで話すつもりはない。

 やはり外国人のホームステイの協力とかで誤魔化すしかなさそうだ。


 ――だけどホームステイってのも、無理やりすぎるかもしれないな。だいたいそういうのって、普通は海外赴任中の母から話があってからのことになるだろうし。それじゃどうする?


 詩冬の家はもう目の前に見えていた。


 柚香は「さあ、到着ね」と言って高く浮きあがった。二階にある窓ガラスを透り抜け、勝手に詩冬の部屋へと入っていく。


「おいっ、柚香」


 いまさら詩冬が叫んだところで、もう遅い。無意味なことだった。

 ――あいつめ、いつも堂々と入っていきやがる! 少しは遠慮くらいしろ。


 卯月を連れて玄関に入る。

 姉はまだ仕事から帰っていないようだ。


「さあ、あがってくれ」


 卯月を二階へと案内する。

 部屋の前で足を止めた。


「ここがオレの部屋だ」


 戸を開ける詩冬。

 部屋の中に見えたのは、宙を浮く柚香の姿だった。


「きゃっ! 開ける前にノックくらいできないの?」

「その言葉、そのままお前に返したいな」

「まあ、とにかく。汚いところだけど、どうぞ中に入ってきて」


 汚いって……。


 まるで自分の部屋気取りだ。

 いったい誰の部屋だと思っているのやら。


「何か言った? さあ、ジュースもあるから召しあがってね。ああ、詩冬。冷蔵庫にジュースあったから、三人分出しておいたわよ」

「おい、それってオレが買っておいた……まあ、いいけど」


 詩冬としてもそこまで小さな人物ではないつもりだ。


「それから詩冬」

「今度は何だよ」


 柚香が耳元でぼそっと言う。


「この前、お友達から無理やり渡されたものがあったでしょ? 今回のもそうだったのかしら。雑誌がデスクの上に出てたから、ちゃんと詩冬の鞄に入れといた。その子に見られたら恥ずかしかったでしょ?」


「えーーーっ」詩冬は心臓が止まるかと思った。


 柚香がジュースをすする。

 不思議そうに瞬きし、小首をかしげる。


「ごめん。あたし、余計だったかな」

「い、いいえ。感謝します……」


 くっそ。柚香には勝てねぇ。

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