第29話 胸の中の不可解
「いらっしゃーい」
ちょび髭マッチョ店員に笑顔で迎えられた。
「あら、詩冬さん! ずいぶん早いのね。さあ、こっち。海道くんならもう来てますよ」
詩冬はその声と口調に背筋がぞくっとした。
だいたいどうしてオレの名を知ってるんだよ。
それに海道……くん?
柚香と互いに顔を見合わせる。
海道とマッチョ店員は知り合いだったというのか。それはともかくマッチョ店員は、詩冬がここへ来た事情を知っているようだ。
案内されるがまま、窓際のブロックに入った。
そこに海道の姿があった。
海道の他にも、もう一人いる。
玖波卯月だ――。
「海道くん、詩冬さんがいらしたよ」とマッチョ店員。
「おお、詩冬くん。本当に来てくれたんだね。良かったぁ」
とりあえず詩冬は海道と卯月に会釈した。
海道は笑顔で迎えてくれたが、卯月は何の反応も見せなかった。彼女はただ退屈そうに窓の外を眺めている。
きょうは海道も卯月も『白みがかったレンズの眼鏡』をかけていなかった。
すなわち、いまの二人には柚香の姿が見えていないことになる。
「詩冬くん。まずは改めて紹介しよう、こちらはこの店の店長で、ボクたちの仲間だ。あの施設でいっしょに働いていた研究員……というか『元』研究員の華之江さんだ」
海道の手がマッチョ店員に向いている。
華之江というマッチョな店長は、穏やかそうな笑顔を見せた。
「詩冬さん、よろしくね」
「よ、よろしく……って、ちょっと待ってください。それじゃ店長さんはもともと卯月サンとは繋がっていたってこと?」
マッチョ店長の華之江は、いたずらっぽく舌を出した。
「ごめんなさ~い、そういうことだったの。以前、あなたに無料券を渡したのは、実は卯月ちゃんからの指示よ。卯月ちゃんが霊的陽性のあなたに近づくためのね。でもあんなにうまくいくとはっ。さすがは卯月ちゃん!」
詩冬は華之江店長を睨みつけた。
華之江は気まずそうに、慌てて注文を確認する。
「えっと、ブ、ブレンドでしたっけ?」
詩冬はじーっと目を細めた。
「まだ何も言ってませんけど」
「あたし、炭焼アイス!」
という柚香の声は、当然詩冬にしか届いてない。
詩冬の頬を柚香の指先がつんつんと突く。
――仕方ねえな。
「そんじゃ横に座ってる柚香の分と合わせて、炭焼アイス珈琲を二つ」
「おやおや。ユズカちゃんも来てたとは」
海道は慌てるように鞄を開あけ、ごそごそと何かを探し始めた。
「真晶石の眼鏡、持ってきてたはずだけど……。どこにやっちゃったかなあ」
すると華之江が得意げに口角を吊りあげる。
「海道くん、いいこと教えてあげようか。真晶石の眼鏡なんかなくてもね、ちゃんと霊を見られる方法があるのよ」
海道は鞄に入った手の動きを止めた。目を丸くする。
「そんな方法あるんですか?」
華之江は勿体ぶるように、人差し指を口に当てた。
「意地悪しないで早く教えてくださいよ」
「うんっ、わかった。では詩冬さん、ユズカちゃんに触れてみて」
「オレが?」
詩冬はきょとんとするが、言われたとおり柚香の肩に手を置いてみた。
しかし何の変化も起こらなかったようだ。
華之江は不思議そうに首をひねった。
「うーん……。詩冬さん、服の上からじゃなくて肌と肌で触れてみて。力強くね」
すかさず柚香が釘をさす。
「変なところ触らないでよね」
――アホか。
詩冬は柚香を黙らせるべく、指先で柚香の口をつねった。ぎゅっと力強く。
柚香が詩冬の手を払う。
「痛いっ、バカ詩冬!」
海道がパチパチと大きく瞬きしている。
さっきまで関心なさそうだった卯月も、ひどく驚愕したような顔だ。
詩冬は不思議そうに首をかしげた。
「あれっ、みんな。どうしたんですか?」
海道が答える。
「さっき『痛い』って聞こえたんだ。しかもほんの一瞬だったけど、ユズカちゃんの姿も見えた。悪いけどもう一度だけ、ユズカちゃんに触れてみてくれないか」
「こうですか?」今度は柚香の手首をしっかりと握った。
「おお!」
海道が大声をあげた。
卯月も柚香に注目している。
柚香が詩冬を睨む。
「詩冬、力入れ過ぎ!」
柚香の声が皆に聞こえたらしい。
海道と卯月はテーブルに両手をつき、その身を乗りだした。
「すごいや。真晶石の眼鏡では声を聞くことなんて絶対に無理だけど、この方法ならば声までもハッキリと聞こえてくるのか」
「そうよ。わかった? 詩冬さんのような霊的陽性の人間が霊に強く触れると、霊体は姿を現すの。声も同じくね」
注目を浴びた柚香は、少し赤らめた顔を横へとそらす。
「な、何よ。そんなにジロジロ見ないで」
詩冬の胸の中に疑問が広がった――。
柚香のヤツ、いつもそんなパジャマ姿で街をウロウロしてるくせに、いまさら何を恥ずかしがっているんだ?
華之江は鼻歌を歌いながらカウンターへと戻っていった。
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