第28話 時間つぶし


 卯月たちに見つからないよう慎重に、建物の出口へと急ぐ。

 頭上には柚香が飛んでいる。詩冬の顔を覗き込んできた。


「ねえ、詩冬。まさか、あした本当にそこへ行くつもりじゃないんでしょ?」


 彼女の言う『そこ』とは海道との待ち合わせ場所のことだ。

 

「いいや、行くつもりだ。重要な話みたいだからな」

「バッカじゃないの。危険すぎるでしょ? あの海道って人、何を考えてるのか、わかったもんじゃないのに」


 しかし詩冬は一言で済ませる。


「かもな」

「何よ、それ」


 柚香は呆れ顔で溜息を吐いた。

 言葉を続ける。


「だったら仕方ない。あたしもついてってあげる。感謝しなさいね」

「へいへい。待ち合わせがカフェ・ラナだもんな。タカる気だろ」

「心配してやってるのよ」

「いて、いて。わかったから顔をつねらないでくれ~」



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 どうにか無事に門の外まで出ることができた。

 とりあえず、ひと安心だ。


 さて、これから駅へと戻らなければならない。

 そのためにはふたたび丘をのぼり返す必要がある。


 頂上に向かって歩きだす。

 柚香も低空飛行で詩冬に並んだ。

 ここでさっきの話をふたたび蒸し返す。


「あしたのことだけど、どうしてわざわざ会いに行くわけ?」


 詩冬は歩を緩めた。

 ゆっくりと口を開く。


「あの男の言ったことが気になってさ」

「それってどのこと?」

「卯月が実は被験体で、命の保障もないってことだ」

「ふうん。あの子のことがまだ気になるんだぁ」

「そんなんじゃねえ!」


 柚香はふわりと地面に着地した。


「やっぱりどうしても行くのね」

「何度もそう言ってるじゃん。だって命の保障もされてないって聞けば、もっと話を聞きたくなるだろ?」


 それについて柚香は答えず、口をへの字の曲げている。まだ納得していないようすだが当然だ。卯月は詩冬を騙してこの施設へ連れ込み、研究の被験体にしようとした。さらには真晶石のナイフで柚香を傷つけ、霊液を試験管三本分も採取した。卯月に同情する方がおかしいというものだ。


「詩冬ってあの子のこととなると、ずいぶん優しいのね」

「別にアイツだけに特別優しくしてるわけじゃねえよ」

「どうかしら」


 詩冬に背中を向ける。


「あたし、あの子のことは好かないけど、まっ、可哀想っていえば可哀想かもね」


 空高く舞いあがった。

 ピンク色の筋がカーブを描き、はるか遠くへと飛んでいく。

 やがて小さく消えていった。



 この施設までのハイキングの往路では、幸せなひとときを噛み締めていた。卯月といっしょだったからだ。しかし復路では一変。柚香もいなくなってしまった。ここからたった一人でハイキングコースを引き返さなければならない。

 野の緑や澄み渡る青空、遠い山々の翠微の美しさが、いっそう詩冬に孤独感を抱かせるのだった。



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 翌日――。

 夏休み二日目だ。


 詩冬は夏休みになったからといって、会社勤めしている姉の前で、自分だけがダラダラと遅い時間に起きるわけにはいかなかった。だからいつものように早起きした。しかし朝食を済ませてしまったあとは、他にやることが見つからなかった。


 仕方なく適当にスマホをいじり、適当に音楽を聴き、適当に菓子を摘み、適当に友人から借りていた雑誌を眺める。友人宅へ遊びにいってみようとも思ったが、この日は正午に海道との約束があったので、いまは時間的に中途半端だった。


 部屋の壁がカタカタと鳴った。

 なんの音なのか、察しはついた。


 壁から伸びてくる白い手。少女の霊が壁から抜けでてきた。

 案の定、柚香だった。いいタイミングで暇潰し相手が来てくれたものだ。


「よう、柚香じゃん。そうだ、ジュースでも飲まないか。いま冷蔵庫から取てくるからさ」


 柚香が眉根を寄せる。


「きょうはずいぶんと優しいじゃない。なんか気持ち悪いんだけど……。ああ、そうだ。どうせならカフェ・ラナで珈琲なんてどう。お昼から海道さんとの約束あるんでしょ? きっと海道さん、奢ってくれるから」


 ちゃっかりしているところは、いかにも柚香らしい。


「だけど待ち合わせ場所に行くの、ちょっと早過ぎやしないか。」

「何のためのカフェよ。そこで時間を潰して何が悪いわけ?」

「まっ、それもそうだな。まだ待ち合わせ時間には早いけど行ってみよっか」



 詩冬が身支度を済ませる。

 玄関では柚香が先回りして待っていた。


 二人でカフェ・ラナへ向かう。


 可愛らしいカエルの描かれた看板が見えてきた。カフェ・ラナの看板だ。

 建物の外階段をあがる。自動ドアを抜けて、店内に入っていった。

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