第18話 場違いな施設


 詩冬と卯月は桃園郷駅に到着した。

 駅から出て、山の空気を吸い込んだ。


 こんな何もない野原の真ん中に、よく特急の止まる駅を作ったものだ。

 駅の建物だけは立派だが、駅の周辺はがらんとしていた。


「天候に恵まれて、よかったです」

「うん、ホント。すごく天気いいなあ」

「詩冬さん、行きましょう。わたしたちが向かうのは、あそこです」


 卯月が指差したのは丘だった。近すぎず遠すぎず、急勾配でもなかった。ハイキングの折り返し地点として、ちょうどいい場所かもしれない。



 いま詩冬の隣を歩いているのは卯月だ。

 美しい山々が一帯を囲んでいる。

 ときどき可愛らしい野花を発見した。

 川のせせらぎや小鳥のさえずりが耳に心地よかった。


 谷川に架かった吊り橋をいっしょに渡る。

 吊り橋の中央でTシャツの裾を握り締めてきたのは、卯月の細くて白い手。

 優しい言葉をかけてやる。


「大丈夫だよ」


 途中で吊り橋が大きく揺れた。

 卯月の体を支える。


「ありがとうございます、詩冬さん」

「怖くなかった?」

「はい。詩冬さんがいっしょでしたから」


 目が合うと彼女は微笑みを返してくれた。

 ハイキングは最高に楽しかった。

 これが現実だとは信じられない思いだった。


 卯月を横目で一瞥しながら考える――。

 どういうつもりでオレをハイキングに誘ったんだろう?

 オレ、勘違いしてもいいのかな。


 いよいよ丘の麓までやってきた。

 卯月がいつもの白っぽい眼鏡をかける。


「詩冬さん、この上が最終目的地です。さあ、のぼりましょう」


 坂をのぼり、丘の頂上に到着。

 下方に広がる風景を二人並んで俯瞰する。


「ふううう。いい眺めだぁ~」

「はい。本当に」


 駅とは反対側の斜面に白くて大きな建物があった。

 詩冬はそれを指差した。


「どうしてこんな丘にポツンと建っているんだろうね。何かの施設かな」

「わたしの叔父が所有している施設です。病院みたいなものです」


 人里離れた場所に病院みたいなものを建てるって、どういうことなのだろう。

 普通の患者ならばこんな山奥まで来るはずがない。

 もしかして昔の話にでてくるような、特別な伝染病の隔離病院なのか。

 でも所有ってことは民間のものだよな?


「大施設を所有なんて立派な叔父さんだね」


 それについて卯月は謙遜しつつも、叔父のことを話してくれた。

 両親とは死別しているため、叔父が保護者であり、唯一の身内とのことだ。


「詩冬さん。こんなに歩きましたのは久しぶりです。少々疲れてまいりました。そこの施設に少しだけお寄りしても構いませんか?」


 確かに駅からここまでだいぶ歩いてきた。

 中学生の女の子が疲れるのも当然か。


「もちろん。オレはぜんぜん構わないよ」

「ありがとうございます」


 頂上から丘を反対側にくだって五分後、二人は施設の前までやってきた。

 正門には『玖波究院』という看板が掛かっている。広々とした敷地の割には、看板が小さ過ぎるようにも思えた。名前にしても病院らしくはない。


「さあ、入りましょう」


 言われるがまま門を通り抜ける。

 しかし建物の正面玄関ではなく裏口へと導かれた。


 親戚の経営する施設だからといって、勝手に入っていいものだろうか。

 しかし卯月はなんの躊躇もなく、建物内に入っていった。


 詩冬が卯月の背中を追う。

 階段をのぼり、二階にやってきた。 


「こちらです」


 案内された部屋は『応接室』だった。ドア上の表札にそんな記載がある。

 卯月はドアを開け、照明をつけた。


「詩冬さん、お入りください」


 もうすっかり卯月のペースになっていた。

 詩冬としてはハイキングという感覚が薄れてきた。


「どうかされましたか? さあ、どうぞ」


 卯月が無邪気な笑顔を見せる。


「うん。それじゃ失礼しますっと」


 応接室に入った。


「そこへ腰をかけてください。いま冷たい物をご用意してきます」

「いや、おかまいなく」


 詩冬がソファーに腰をおろすと、卯月は応接室から出ていった。

 冷たい物など飲みたい気分ではなかった。


 なんなんだ、この展開は。もしかして……。

 卯月さんは初めからオレをここへ連れてくるつもりだったのではないか?

 もしそうだとしたら、オレをどうするつもりだろう。


 それは詩冬に芽生えた小さな疑心だったが、ポジティブな妄想へと突き進んでいった。



 なるほど、わかったぞ!



 卯月さんの叔父さんはこんな大規模な施設を所有しているくらいだから、大富豪の一族に違いない。つまり彼女自身もご令嬢ってわけだ。

 上流社会のご令嬢ともなれば、男子とつき合うようなとき、きちんとご両親に紹介しなければならないんだ。

 けれど卯月さんはご両親がいないと言っていた。そういうことだ。ご両親代わりの叔父さんに、オレを紹介するつもりなんだ。そうに決まっている!



 詩冬が一人でうなずいているときだった――。

 廊下に面した磨りガラスの窓が、ガタガタ音を立てながら揺れた。

 ヒトの声も聞こえた。


「こんなところで何やってるの、詩冬?」


 磨りガラスから顔が現れた。

 さらには上半まで出てきた。ピンク色のパジャマを着ている。


「わっ、わっ、わっ。なんでお前が!」

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