第17話 目指すは桃園郷


 駅ビル内の喫茶店で時間を潰した。

 特急の発車時間が近づくと、いよいよ二人は車両に乗るのだった。


 すぐ隣に卯月が座っている。窓の外の景色を眺めるフリして、ちらちらと卯月の横顔を眺めた。

 ああ。卯月さん、可愛い!


 この至福の瞬間が信じられなかった。

 まるで夢でも見ているようだった。


 このハイキングデートは絶対に成功させたい。

 これを機にもっと親しくなるんだ。


 詩冬に気合が入った。体じゅうから不思議なパワーが溢れてくる。

 ただし妄想パワーだった。


 ……ハイキングだからなあ。

 もし卯月さんが手作りのお弁当とか持ってきていて、「どうぞ、詩冬さん。このお弁当、わたしが作ってきたのですが、お口に合いますでしょうか」なんて照れながら渡されたらどうしよう。オレ、もう、たまんねえ……



「あのう、詩冬さん。どうかされましたか?」



 ……美味しいんだろうなあ。

 いやいや、それよりも。卯月さんが塩と砂糖を間違えて味付けしてきちゃって、それに気づいた卯月さんが、目に涙をいっぱい溜め込んで。それでもオレが卯月さんのお弁当を残さず食べて、「美味しい」って言ったら卯月さんが……



「はい、わたしが?」

「うわぁー」


 詩冬はニヤけていた顔を、慌てて元に戻した。


「どうかされましたか?」


 卯月が首をかしげている。


 詩冬は頭を抱えた。

 やっちまった。オレ、いつから妄想を声に出してたんだろう?


「な、なんでもない」




   ◆  ◆  ◆




 一方、その頃――。


 柚香は詩冬の家の前をウロウロしていた。

 そこへ突然、目の前に犀鶴が現れた。


「おい、探したぞ。さすがに霊だけあって見つけるのも大変じゃった」

「ひゃっ! なっ、何よ」


 柚香は犀鶴に訝しそうな視線を送りつつ、半身はんみに構えた戦闘ポーズをとった。

 犀鶴の目がきらりと光る。


「ユズカ」

「あたしはユウカよ!」

「名前のことなど、いまはどうでもよい。これから桃園郷へ行くぞ」

「勝手に一人で行けばいいじゃない」

「おぬしもいっしょじゃ」

「は? 頭おかしいんじゃないの。どうしてあんたなんかに同行しなくちゃならないのよ!」


 柚香が憤怒の形相で睨みつける。それでも彼女の怒りは犀鶴に伝わっていないようだ。彼が動じるようすなど微塵もなかった。


「生前の記憶が思いだせるかも知れぬのじゃ。ユズカよ」

「あたしユウカよ。生前の記憶なら、詩冬と手掛かりを探すから結構」


 犀鶴がちらっと空を見あげる。


「詩冬……? ふむ、あの若者か」


 何かを思いだしたように、ポンと手を叩いた。


「ああ、そうじゃった。あやつもガイジンの娘さんといっしょに、これから桃園郷へ行くとか自慢しておったな。ふむふむ、そうか……。現地でデート中の二人に遭遇してしまっては野暮ってものじゃ。行くのは次の機会にしようかのう」


 柚香が犀鶴に聞き直す。


「デート? 桃園郷? でも詩冬はケーキの無料……」

「どうかしたのか」


 犀鶴は首をひねった。


 ここでハッとする柚香。

 先ほどまで犀鶴に向けていた怒りはどこへやら。

 とぼけたように指先で頬を掻くのだった。


「ああ、そうね。生前の記憶が思いだせるかもしれないのなら、行ってみるかな」

「次の機会で構わんぞ」

「その……早く思いだしたくなって」

「では、行くのじゃな?」


 犀鶴が確認すると、柚香は大きく首肯した。


「よろしい。ユズカならばワシを抱え、桃園郷までひとっ飛びじゃろ」

「は?」


 柚香には意味がわからなかった。

 犀鶴が遠い空を指差す。


「さあ、ワシを連れて飛べ。おぬしを案内しよう」


 柚香は眉根を寄せた。


「いやよ。あんたに触れるの、なんだか汚い……」


 犀鶴がゴホンと咳払いする。


「でも行くのじゃろっ?」

「電車でね」

「銭は?」


 もちろん柚香がカネを所持しているはずもなかった。


「さあ、ユズカ。飛べ。向かう先は、あっちじゃ」


 柚香は不承不承、犀鶴を抱えて飛び立った。


「あれれ、意外と軽いのね」

「なあに、修行の成果じゃ。畏れ多くもこのワシは、貴顕紳士たる高僧にして名僧と呼ばれておる犀鶴じゃ」

「あー、はいはい」


 犀鶴を抱えた柚香が、桃園郷へと向かっていく。

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