第15話 甘いケーキの無料券


 午後の授業が終わった。クラスの友人たちから遊びに誘われたが、詩冬はそれを断った。これからやるべきことがあったのだ。


 カフェ・ラナのマッチョ店員から預かっていたショートケーキ無料券を、玖波卯月という少女に早く渡さなければならない。


 四つ折りのメモを広げ、スマホを取りだした。

 メモには卯月の『折りたたみ式携帯電話』の連絡先が記載されている。


 ったく面倒くせぇ……

 などとは、これっぽっちも思わなかった。

 むしろ心をときめかせながら、電話番号を入力するのだった。


 電話の呼出し音が聞こえてくる。

 そして彼女が電話に出た。


「はい」

「あ、あの、詩冬です。玖波卯月さんの電話番号で間違いないでしょうか」

「詩冬さん! 玖波です。本当に電話してくれたのですね。わたし嬉しいです」


 嬉しいです――そんなことを言われると、舞いあがりそうだ。でもこの感情を悟られてしまうのは恥ずかしい。なんとか平静を装おうと努める。


「電話、いま大丈夫? まだ学校にいるとか」

「いいえ。ただいま下校中ですので問題ありません」


 それならばと安堵し、ショートケーキ無料券のことを話した。

 卯月は大喜びだった。可能ならばすぐにでも受け取りたいとのことだ。

 無料券の使えるカフェ・ラナが、二人の待合わせ場所となった。


 詩冬は帰宅せずにそのままカフェ・ラナへと向かった。

 足取りは軽く、ルンルン気分だ。



 ……  ……  ……  ……

 ……  ……  ……  ……



 カフェ・ラナに入った。


 到着したことをメールで卯月に連絡。

 仕切り壁パーテーションの上から顔を出す人物がいた。卯月だ。

 もう来ていたのか。ずいぶんと早いものだ。


 卯月が無邪気な笑顔を見せる。この日の彼女は裸眼だった。先日のような白みがかった眼鏡をかけていなかった。詩冬は彼女の素顔に、つい見入ってしまった。


「詩冬さん。さあ、こちらへ」


 言われるがまま、卯月のテーブルにつく。

 すぐに雑談が始まった。


「きのうは暑かったのに、今朝は肌寒いくらいだったよね。こんなに変わりやすいのって、やっぱり異常気象ってことなのかな」

「本当ですね。風邪もひきやすくなります。詩冬さんは、最近、ご病気とかされていませんか」

「病気? ナントカは風邪ひかないとか、よく言うじゃん。病気とは無縁な方なんだ。ハハハハ」

「まあ、詩冬さんったら」


 卯月も笑ってくれた。


「でも健康が何よりです。体は大事ですからね。体といえば、詩冬さんは背が高くて羨ましいです。百八十センチくらいあるのではないでしょうか」


 はあ? まさか。

 百八十センチなんて、ぜんぜん届かないのに。


「いやいや、ほぼ平均だよ」


 てか、見てわからないものだろうか。


「では、如何いかほどなのでしょう」

「ひゃ……百七十一センチだけど」


 ほんの少しばかり鯖を読み、百七十センチ台ということにしておいた。


「まあ! 一・七・一といえば電話の災害用伝言ダイヤルと同じ数字ですね」

「へえ、そう? 知らなかったな」

「詩冬さんは三桁の電話番号の中では何が一番好きですか」


 えっ、三桁の電話番号?

 好きな番号なんてないけど、どうしようか。


「百十番かな……」

「わたしは一・一・七の時報が好きです。それを聞いていると心が落ち着きます」


 もしかして変わり者なのだろうか。


 とにかく会話はヘンテコリンな方向へと行ってしまった。三桁の電話番号について熱く語る卯月。聞き手としてはリアクションに困るばかりだ。海上保安庁の電話番号が百十八番だと教えてもらったが、たぶん一生、かけるような状況にはならないだろう。


 先日はもっと会話が弾んでいたような……。いやいや、あのときを振り返ってみれば、高校生活や家族の話といった自己紹介に近いことを、一方的に訊かれて答えただけだった。卯月が男子との会話に慣れてないことがよくわかった。


 詩冬はいつまで経っても、会話の中でなかなか自分のペースが掴めない。もっと楽しい話題を振ろうとするのだが、その隙を与えてもらえなかった。

 そんなとき……。


「わたし、占いができますの」


 話題の振り方が少々唐突に思えたが、少しホッとした。

 占いには興味ないが、話は膨らみそうだ。

 ここぞとばかりに、その話に喰らいつく。


「へぇー、占い? 卯月さんって占いができるのかぁ。それ、面白そうだな」


 卯月が鞄から白みがかったレンズの眼鏡を取りだす。

 それを指先で摘まみながら、しなを作るような視線を送ってきた。


「右手を見せてくださいませんか」


 卯月の占いとは手相のようだ。

 詩冬が右手を差しだす。


「これでいい?」


 てのひらを上に向けると、卯月にすくいあげられた。

 いま右手の甲に卯月の柔らかな手が触れている。

 ただそれだけのことで、胸がいっぱいになった。


 卯月は眼鏡をルーペ代わりに持ち、詩冬のてのひらを観察し始めた。


「何か……わかったかな」

「詩冬さん?」


 てのひらから視線を外し、詩冬を見あげる。

 蠱惑的な瞳に詩冬はハッとし、思わず唾をごくりと飲み込んだ。


「は、はいっ」と返事する。


 ところが卯月のようすがおかしい。悪い結果でも出たのだろうか。

 少し困ったような顔になった。ただそれがまた可愛い。


 詩冬にとって、占いは占いでしかない。しかも素人の占いなのだ。

 その結果、何を言われようとも気にするつもりはない。


「詩冬さんには怪しい者が近づいてくるでしょう。あるいは、すでに厄介な者に付きまとわれていて、お困りになられているとか……。思い当たることはありますか」


 厄介な者に? おや、当たってるぞ。

 柚香だとか、犀鶴だとか。


「すごいな。思い当たることなら確かにある」

「きゃっ、わたし当たりました! ああ、でも……」


 表情を曇らせる卯月。


「どうしたの?」

「その……厄介な者って、もしかしてわたしのことでは……」


「違う違う。そんなことは絶対にない! オレ、卯月さんと知り合えたことをとても幸運に思ってるんだ」


「その言葉、信じてもいいのでしょうか」

「もちろんだとも」


 卯月の視線はしっかり詩冬に固定されたままだ――。

 そんなに見つめられると、オレどうにかなってしまいそうだ。


「でしたら、詩冬さん。あのう……」

「なっ、何かな?」

「いいえ、やっぱりいいです。なんでもありません」


 なんでもないという割には、何かを言いたそうな顔だ。

 詩冬はそれを汲みとってやることにした。

 少し気取ったふうな口調と、精一杯の爽やかな笑みで。


「なんでも言ってくれよ。オレにできることがあったら、喜んでするからさ」


 卯月が小さくうなずく。


「もうじき夏休みですね。もしよろしければ、その……夏休みに入りましたら、わたしと二人でハイキングに行きませんか? あっ、やっぱりなんでもありません。ご迷惑ですよね。変なこと言ってすみません」


 予期せぬデートの誘いに、詩冬は驚愕を通り越して悶絶寸前となった。しかしすぐに返事ができなかった。とても嬉しいはずなのに、あまりに衝撃的だったため、言葉が出なかったのだ。


「ご無理を言ってしまいました」


 卯月が立ちあがって低頭する。

 詩冬も椅子から立ちあがった。


「いっ、行きます! 行きましょう」


 やっと言葉が出てきた。


「ホントですか? 嬉しいです。ありがとうございます」


 卯月は胸元で手底を合わせ、屈託のない笑顔を見せた。


「礼を言いたいのはこっちだよ。ハイキングかぁ……。楽しいだろうな」


 空から降ってきたような幸運に、詩冬は夢見心地だった。

 もしこれが夢だったら永遠に覚めないで欲しいと願った。


「詩冬さん、夏休みはいつからですか?」

「来週の水曜からだけど」

「まあ、偶然。わたしの学校といっしょです!」


 二人のハイキングは夏休みの初日で決定。

 場所は卯月の故郷の近くとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る