第14話 校門前


 詩冬はアポを入れておいた私立高校に到着した。


 閉ざされた門を眺めながらスマホを取りだす。

 電話が繋がった。電話に出たのは先ほどの職員だ。


 門の脇で待っているように、と職員から指示があった。

 いまからここへ向かってくるらしい。


 詩冬は電話を切り、門前で待つことにした。


 もしこの学校に柚香が在籍していたことが判明したら、記憶をとり戻すための手掛かりはきっとあるはずだ。

 さらには犀鶴の妻ではなかったなんて話にでもなったら、彼女は大はしゃぎで喜ぶだろう。


 龍の腕輪をギュッと握り締めた。


 青ジャージを着た若い男が校舎の玄関から現れた。さっきの電話の職員か。

 詩冬を見つけて小走りする。重たそうな門をゆっくり開けた。


「キミが落し物の件で、電話をかけてきた人だね?」

「はい。電話をしたのは僕です」

「そうか、そうか」


 青ジャージの若い男は、爽やかな笑顔でうなずいた。くるりと後方を向く。

 右手を高くあげたが、なんのつもりなのだろう?


 三十メートルくらい先のT字路から、二つの影が現れた。



 嘘だろ?



 現れた人物の制服に、詩冬の顔が青ざめていく。

 二人の警官だった。


 警官たちは走り寄り、詩冬を挟むように立った。

 にんまりと白い歯をこぼす


「ちょっと話を聞かせてもらおうかな」

「話って……」


 今度は青ジャージの若い男が、口調だけは穏やかに言う。


「キミ。あちこちの学校に電話をかけまくっているんだって? ウチの付属中学から、不審な男が女の子を捜しているようだって、そんな連絡があってね」

「ちょ、待ってください。僕は怪しい者なんかじゃ……」


 変質者に思われては堪らない。

 詩冬は『柚香』と刻まれた腕輪を、二人の警官と若い男に見せた。


「これが落ちていたんで、届けようと思ったんです。ほら、持ち主はここに書いてある柚香という人。きっとこれ、その人にとって大切なものなんだろうって思いまして」


 若い男が鼻を鳴らして笑う。


「落とし物かい? それなら学校に電話せずに、交番へ届ければよかったんじゃないのかな。いったいキミは何が狙いなんだ」


「別に狙いなんて。単なる腕輪だから、警察に届けるには少し大袈裟かなと……」


 警官がゆっくりとうなずく。


「うんうん。キミにも言い分はあるかと思う。そこでだ。ちょっと署にきてもらおうか。話を聞かせてもらうよ」


「そ、それって」


 マズい。連れていかれる……。

 そのときだった。


「何してるのよ!」


 淡いピンク色のパジャマを着た少女が現れた。

 頭上に浮かんでいる。


「柚香! いつの間に……ってか、ずっと見てたのか?」


 少女は柳眉を逆立て激しく怒っている。


 二人の警官や若い男に、柚香の姿は見えていないらしい。

 むろん彼女の大声も、彼らには聞こえていないようだ。


「詩冬、あたしにしっかり掴まって! さあ早く」

「えっ、でも……」

「バカっ。あたしに掴まるのと、警察に捕まるの、どっちがいいの?」


 柚香はじれったそうに詩冬の耳を引っぱった。


「いてぇーよ」


 警官が「何をいっている?」と手を伸ばしてきた。


 だがその手が届くよりも早く、詩冬の体はぐんぐんと上昇していった。

 背後から柚香が抱えている。


 警官や職員たちは、いきなり空に舞いあがった詩冬を見ながら、ぽかんと口を大きく開けるのだった。


 もしこのとき詩冬の心に余裕があったら、上空から町の景色を眺めたりするのも楽しかったかもしれない。しかしそれどころではなかった。


「おい、ちょっと、無理無理! 危ないだろ、こんなに高く飛んだら」


 詩冬が足をバタバタさせる。


「ちょっと暴れないでよ、あんた重いんだから」

「うー!!! こんなところから落ちたら死ぬぞ」

「待って。いま、おろすから」


 学校から少し離れたところで、詩冬はおろされた。

 柚香が辺りを見回す。


「ここまで来れば大丈夫ね」


「大丈夫なものか……。助けてくれたのはありがたいけどさ。あの学校職員や警官たちはブッたまげてたじゃないか。もしさっき飛んだのを大勢の人々に見られてたらどうする? 人間が空飛んだって大騒ぎだぞ。そうなったら説明なんてできやしねえよ」


 助かったのは柚香のおかげだ。しかしあれでは無茶苦茶すぎる。

 詩冬としても文句を言わざるを得なかった。


 柚香が睨みつけてきた。


「単なる心霊現象で済む話じゃない。実際にそうなんだし。だいたい心霊現象に説明なんて要らないでしょ!」


「心霊現象で済むかっ。あのさ、世の中には秩序というものがあってだな……」


 柚香が詩冬の話を途中で遮る。


「秩序なんかの心配より、もっと自分のことを心配しなさいよ。本当になんなの、詩冬って」


 柚香の目元は真っ赤になっていた。

 泣いているのか。


「柚香?」


「そうするしかなかったのよ。詩冬を助けるにはそうするしか……」


 柚香が胸いっぱいに息を吸いあげる。

 そして一気に言葉にして吐きだした。


「あんたバッカじゃないの! なんであんなことやったのよ」


「だって柚香の記憶の手掛かりを見つけるには、この方法が一番てっとり早いと思ったんだ」


「手掛かりは『ゆっくり』探すって、詩冬が自分で言ったことじゃない。あたしがようすを見に来なかったら、詩冬は連れていかれたのよ」


「そうかもしれないけど……」それ以上言葉が続かなかった。


「バーカ、バーカ。詩冬のバーカ。相談くらいすればいいでしょっ。あれじゃ変質者に思われて当然じゃない。本当に……本当に……本当に詩冬はバカなんだから」


 柚香は視線を足元に落とした。

 詩冬が素直に詫びを入れる。


「ごめん」

「謝らないで」


 柚香の両足が微かに震えている。


「詩冬、ありがとう。あたしのために……こんなにまでしてくれるなんて思……」


 最後は詩冬に聞きとれないほど声が小さかった。

 顔を隠すように、くるりと背を向ける。


「ちょっと用事を思いだしたから」


 上空へと飛び立った。


 次第に小さくなっていく柚香を、詩冬はずっと目で追った。

 もし彼女が助けにきてくれなかったら、いったいどうなっていたことだろう。

 いまさらながらぞっとするのだった。


 ありがとうな、柚香……。


 午後から授業に出ることにした。

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