第12話 カエルのキャラクター
「店、出る」
柚香が出口に向かって闊歩する。壁越しではないところは、いつもの柚香らしくなく律儀ではないか。
詩冬は彼女のあとをついていった。支払いはすでに卯月が済ませているので、レジの前は素通りするだけだ。
「お待ちください。お客様」
詩冬を呼び止めるのはマッチョ店員だ。
「あれ? 代金は支払い済みだったんじゃ……」
「はい、いただきました。ですが、先ほどのお客様に渡し忘れたものがございまして」
店員はレジ機の横から紙を取りだした。
「本日は当店のレディース・デーでして、すべてての女性のお客様にこれを差しあげているのです」
店員が手にしているのはショートケーキ無料券。
おとといの炭焼きアイス珈琲無料券といい、ずいぶんと太っ腹な店だ。
「もし先ほどのお客様と会う機会がございましたら、お渡ししていただけると助かります」
「でもオレ……」
「もちろん無理にとは申しません。失礼いたしました」
彼女の連絡先ならばメモを渡されていた。会えないこともなくはない。
それにこれは『ショートケーキ』の無料券だ。彼女はまたここへ来るかもしれないし、もし同じものを食べるようなことがあれば、さっき食べた分の料金が浮くことになる。
「オレ、届けます」
「ありがとうございます!」
店員は丁寧に頭をさげた。
詩冬の隣で柚香が目を細めている。
「嬉しんでしょ。よかったじゃない、さっきの子とまた会ういい機会だもん」
ぶっちゃけ図星だった。
詩冬は柚香から視線を逸らした。
黙って店から出る。
自動ドアが閉まったところで柚香に言う。
「ああいう子は別にオレのタイプってわけじゃないし。でもさ、ショートケーキの無料券だぜ? もったいないじゃん」
「知らない。本当に馬鹿みたい。からかわれている自覚がないなんて」
柚香は空へ舞いあがり、どこかへ行ってしまった。
「なんだよ、あいつ」
詩冬は一人で外階段をおりた。
道端の小石を蹴った。
すると誰かに声をかけられた。
「おぬし」
声のもとを確認する。
ギョロッとした大きな目。それから長く伸びた髪と髭。
「うわっ、犀鶴さん」
突然現れると心臓に悪い。
「機嫌悪そうじゃな」
「別に悪くないですよ」
犀鶴が難しそうな顔でカフェ・ラナの看板を見あげる。
看板にはカエルのキャラクターが描かれていた。
「犀鶴さん? カフェ・ラナがどうかしましたか」
「うむ。国立生命研究局はこの辺りのはずじゃった。いまではその面影も残っておらぬ」
「この町は驚くほど急速に開発が進んでいますからね」
犀鶴が長い溜息を吐く。
「わが妻ユズカは、いつになったらワシのことを思いだしてくれるのか……」
蚊の鳴くような声だった。
詩冬がポンと手を叩く。ふと閃いたことがあったのだ。
「あのう、犀鶴さん。ゆ……奥さんの『写真』とか『思い出の物』とか、あるいはお二人の『思い出の地』とかって無いんですか? もしそういうのがあれば、記憶を思いだすきっかけになるんじゃないですかねえ」
犀鶴は青い空を仰いだ。
「そうよのう。場合によっては、ショック療法となってしまうかもしれぬが、考えてみるべきじゃろうか……」
そう呟いて去っていった。
…… …… …… ……
…… …… …… ……
詩冬は徒歩で帰宅。自分の部屋に入り、デスク前の椅子に座る。
寂しそうだった犀鶴の顔を、ぼんやりと思いだしていた。
するとそこへノックもなく、何かが部屋に入ってきた。
「詩ぃー冬ぉ」
もちろん柚香だ。
詩冬はチラリと彼女の顔を確認し、何事もなかったように頬杖をついた。
「おーい、詩冬。元気ないぞ」
柚香は両足を揃え、ちょこんと詩冬の頭上に着地する。霊なので重くはない。
詩冬はそんな彼女を無視し、頬杖ついたままじっとしていた。
頭上の足を払おうともしない。
柚香は足を屈め、上から詩冬の顔をのぞき込む。
「詩冬ちゃーん、そんなに落ち込むなよぉー。あたしも大人げなかったからさー」
なんのことだ、と詩冬は疑問に思った。柚香の平手打ちのことも、馬鹿にされたことも、もはや彼にはどうでもいいものだったのだ。
「誰が落ち込んでると?」
「あれっ、落ち込んでたんじゃなかったのね? それじゃ、あたしの記憶をとり戻す手掛かりを考えてくれていたとか?」
柚香は詩冬の頭上からふたたび浮きあがった。
「ああ、ごめん。記憶をとり戻す方法の件はまたあとでな。旦那の犀鶴さんも、いま必死に考えてくれてるようだし……」
柚香が背後に降り立つ。彼女がどんな形相でいるかなど、このとき詩冬は知る由もなかった。
「……犀鶴さんってあんな身なりだけど、すっごく奥さん想いなんだよなあ」
バシンッ
詩冬は後頭部に衝撃を受け、その勢いで顔面がデスクの上に激突。
痛めた鼻を押さえながらふり向くと、そこには柚香の足裏が見えていた。
もう一度、柚香の足裏が詩冬を襲う。
「いてえ」
「あたしのことより、あんな気味の悪い僧侶のことを気にしていたなんて! 詩冬は口ばっかりで、あたしの記憶をとり戻す手掛かりなんて何も考えてないし、ぜんぜん探してない! せっかく謝りにきてやったのにっ」
柚香は窓ガラスを抜けていった。
詩冬は椅子に座ったまま、飛んでゆく柚香を目で追った。
「柚香……。言われてみれば、記憶をとり戻させる方法のこと、オレはあまり本気で考えてこなかったかもな。アイツもあれでいろいろ大変なんだろうし」
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