第9話 陽性と陰性
――サンプル!?
つまり柚香はドリルで頭蓋骨に穴を開けられてしまう側だ。
詩冬は二の句が継げなかった。詩冬の視線が自然と柚香に流れていく。
大きく見開いた柚香の目は、すこぶるショックを受けているようだった。
無理もない。
かけてやるべき優しい言葉が見つからなかった。
しかし柚香は詩冬を睨んできた。
「知らないっ。この人の奥さんのことは気の毒に思うけど、あたしじゃない! いい? あたしじゃないの」
詩冬が「わかった、わかった」と柚香をなだめる。
しかし彼女を気遣いながらも、興味は犀鶴の話の方にあった。
「で、どうして犀鶴さんがその研究局を探してるんです? 犀鶴さんは追われている身だったんじゃないんですか?」
柚香が不機嫌そうに横から口を挟む。
「どうせ、奥さんがそこに捕まってると思って、命がけで探してきたんでしょ」
「ふむ。それだけではあらぬ。じゃが、そういうことでよかろう」
奥歯に物が挟まったような返答だった。
これとは別に、もう一つの疑問が詩冬に湧いてきた。
「そういえば犀鶴さんも霊が見えるのに、どうしてサンプルにされなかったんですか?」
「当時のワシに霊は見えなかった。じゃがな、チベットへ逃亡したのち、インドに渡った。そこで僧侶となって修行を積み、ついに秘伝奥義の真髄を究めたのじゃ。霊がくっきりと見えるようになったのは、それからじゃ」
柚香が詩冬のTシャツの裾を引っぱる。
「詩冬っ、もう行きましょ」
しかし詩冬は目をキラキラと輝かせ、岩のように動こうとしなかった。
「インドすげぇーや」
詩冬の言葉に犀鶴が首肯する。
「人間にはな、『霊的陽性』の者と『霊的陰性』の者がおるのじゃ」
詩冬は唾をごくりと飲み込み、犀鶴の話にじっと耳を傾けた。
「まず『霊的陽性』とは、霊を感じることができる性質じゃ。『霊的陰性』はその真逆のこと。多くの人間は霊的陰性に属しておる。じゃが霊的陰性であっても、体調や状況次第で、ごく稀に霊が見えることもある」
「詩冬、早く行くのっ」
柚香が詩冬の腕をぐいぐいと引く。
しかし詩冬は足を踏ん張り、その場を去ろうとしなかった。
「だとすると、オレとか犀鶴さんは霊的陽性なんですね?」
「そうじゃ。しかもおぬし、霊がまるで人間のようにハッキリ見えるのじゃろ?」
「はい。普通の人間と区別がつかないくらい鮮明に」
「ならばおぬしの陽性の度合いは、極めて高いのじゃろうて」
詩冬は顔をほころばせた。霊的陽性の度合いが極めて高いという言葉に、何だか自分が特別な人物のような気がしてきたのだ。
犀鶴の話は続いた。
「霊的陽性の度合いが極めて高い場合、単に霊が見えるだけではない。霊に触れることもできるのじゃ。たとえば、一般の霊が霊的陽性度の極めて高い人物と接した場合、人間同士で触れたときと同じように、その人物の体を透り抜けることはできなくなる」
ふくれっ面だった柚香がニタリと笑う。
「ああ、こういうことね」
詩冬の頬を右拳でグリグリと
「ほーら。あたしの手が、詩冬の顔を透り抜けられない」
「やめれぇ、柚香」
詩冬をしきりに連れだそうとしていた柚香だが、犀鶴の話はしっかり聞いていたようだ。
犀鶴が咳払いする。
「それとな。霊自体にも霊的陽性と陰性があってのう、陽性の度合いが高いほど、霊的陰性の人間にも視認される傾向がある」
「つまり霊を見やすい人と見えにくい人がいるのと同様に、人に見られやすい霊と見られにくい霊があるってことですね」
「ほう。きちんと理解しているようじゃな」
詩冬はもっと話を聞きたかった。
「あっ、そうだ。犀鶴さんもいっしょに来ません? オレたちの作戦会議に」
「ちょっと、詩冬! あたしたちだけの作戦会議よ。部外者は認められない」
柚香が口をへの字に曲げている。
「でもさ柚香……」
柚香のすごんだ形相に、詩冬が口をつぐむ。
彼女は器用に表情を変え、作り笑いを犀鶴に見せた。
「説明はもう結構です。犀鶴さん、バイバイ。さあ、詩冬。さっさとカフェに行くの。長ーい立ち話で疲れちゃったから、もうアイス珈琲だけじゃ足りなくなった。ショートケーキも奢りなさいね」
力任せに詩冬の後ろ襟を引く。
詩冬は名残り惜しむように、犀鶴に手を振った。
「そ、それじゃ、犀鶴さん。また」
柚香に引きずられながら、カフェ・ラナの方へと向かった。
二人の背中に犀鶴が告げる。
「用心せよ、あそこの珈琲屋の辺り……何やら不吉な胸騒ぎがしよるぞ」
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