第5話 いつもと違う帰り道
翌日のこと。もう夏休みが近いためか、授業への集中力は緩みっぱなしで、緊張感の欠片もなかった。そしてこの日の授業がすべて終わった。
帰宅のため、いつもの電車に乗る。だが運悪く寝過ごしてしまい、下車すべき駅を二つも越えてしまった。
梅雨明けが発表された先週までは、天気の悪い日が続いていたものの、ここ数日はすっきりした青空が見られた。特にきょうなんて、歩けばとても気持ちよさそうだ。詩冬はそこから電車を折り返すことなく、家まで徒歩で帰ることにした。
改札を出た。
普段とは異なる帰宅ルートになるが、中学の頃はここをよく通ったものだ。
久しぶりに歩く道に、懐かしさを覚えた。
街並みの景色にほとんど変化はなかったが、以前よく行っていたゲーセンがなくなっていた。ちょっとしたショックだった。そのゲーセンのあった場所には、『カフェ・ラナ』と書かれた看板が掲げられている。
カフェ・ラナの脇から細い道に入った。
人通りのない静かな道だ。小さな公園が見えてきた。相変わらず寂れた公園だ。
その横を通りかかったときだった――。
「兄ちゃん。待てよ」
声をかけられた。
振り向いてみれば、厳つい顔のチンピラ風の男が二人。
どう考えてもナンパではなさそうだ。
一人はスキンヘッドで、吊りあがった細眉。耳にはピアスをしている。
もう一人は百九十センチ近くありそうな長身。ほとんどイっちゃってるような目と、開きっぱなしの口が馬鹿っぽい。
二人とも面白い顔なので、本来であれば眺めているだけで楽しいかもしれない。しかしいまは詩冬が絡まれているのだから、事態は深刻だ。
スキンヘッドの男は詩冬の正面に回ってきた。
「なあ、兄ちゃんよう。俺さー、急病ですぐ病院行かなくちゃなんねんだけど、タクシー代がねぇーんだ。可哀想だろ? なあ、頼むよ。カネ貸してくれね? オ・カ・ネ」
誰が貸すものか。救急車でも呼べばいいだろ。
詩冬はスキンヘッドの男を無視し、その場から立ち去ろうとした。
ノッポの男がスキンヘッドの隣に並び、肩の上に手を置く。
「おい、正直に言えよ。借りるんじゃなくて、貰うんだろ。ギャハハハ」
詩冬は二人の言動に腹が立ってきた。
スキンヘッドは手を伸ばし、詩冬のズボンのポケットに突っ込もうとしている。詩冬はその手を払った。
「やめろ」
「あーーーんだ? おどれ、ごるぁあ」
スキンヘッドは威嚇モードに入った。
中学時代に剣道部副主将を務めた詩冬としては、もし手頃な木刀でもあれば、まず負けない自信はあった。しかしこんなところに木刀など、そうそう落ちているものではない。
知らぬ間に背後に回ったノッポの男が、詩冬を羽交い絞めにする。
これで身動きが取れなくなった。正面のスキンヘッドがニヤリと笑う。
そのときゴツっという鈍い音が聞こえた。
「うぉーーーーーーーーー」
叫び声をあげたのは背後のノッポだ。
ノッポの身に何があったかは知らないが、詩冬は彼の力が緩んだ隙にその両腕から抜けだした。ノッポは地面に尻餅をつき、後頭部を両手で抱えてる。
「困ってるようね?」
詩冬の前に現れたのは、パジャマ姿の少女だった。
ノッポの後ろには大きな石が落ちている。長径三十センチ程のものだ。
事態を呑み込むことができた。どう考えても柚香が犯人だ。
てかさ。これ、やり過ぎだろ?
柚香は得意そうな顔で、詩冬の頭上を一回転。
そしてゆっくり着地した。
「ちょっと待ってなさいね。あっちも、あたしが追い払ってあげるから」
柚香がスキンヘッドに向かって闊歩する。
ニタリと笑いながら両手を伸ばし、ヤツの首をギュッと絞めつけた。
「ぐへっ」
スキンヘッドは状況をまったく認識できていないらしく、苦しみながらも驚いた顔になっていた。ヤツには柚香が見えていないのだ。
一方、ノッポはようやく立ちあがろうとしていた。
ほぼ反射的に、詩冬がノッポの顔面へ蹴りをお見舞いする。
「うっ」
ヤツは鼻血を垂らした。
詩冬がクイッと肩をすくめる。
あっ、しまった。オレもやっちまった。
視線を柚香たちの方に戻してみる。
柚香の首絞めにより、スキンヘッドの顔が真っ赤になっていた。
「おい、柚香、もうやめろ! それ以上やったらヤバいって」
柚香がスキンヘッドを解放する。
しかしそれで終わりということではなかった。
「じゃっ、最後に」
パジャマの袖を捲る。
セミロングの髪が逆立った。
すかさず詩冬が柚香の手をとる。
このまま放っておいたらスキンヘッドを殺しかねない。
彼女の目つきはそれほど恐ろしいものだった。
「柚香、ほどほどにしとけよ」
スキンヘッドは咳き込みながら、自分の喉のあたりを押さえている。
「詩冬は甘いなあ。こんなヤツらはもっと懲らしめておかないと駄目なのに」
「もういいって。さあ、行くぞ」
詩冬はやや強引に柚香の手を引きながら、その場から立ち去った。
柚香の満足げに口角を吊りあげたさまは、戦場から誇らしげに凱旋する武将のようだった。まあ、それはいいとして……。
「アイツら、やっぱり柚香が見えなかったんだな」
「あたしが見える詩冬が、普通じゃないからね」
うるせっ。
「それよりさ、詩冬」
目を細める柚香の顔が、ヒトを化かすズル狐のように見えた。
「な……なんだよ」
詩冬の顔を覗き込んできた。
「助けてあげたんだから、何か奢ってくれるんでしょうね?」
「はあ? さっきのヤツらに代わって、今度は柚香がカツアゲするつもりか」
「カツアゲじゃなくてお礼でしょ」
同じことだろ。
あとで改めて礼を言うつもりだったが、そんな気はすっかり失せてしまった。
無視して歩きだす。
「待ちなさいよ」
柚香がシャツの襟元を引っぱる。
「やめてくれ。引っぱんな」
「こらこら、黙って立ち去ろうとしないの」
詩冬が舌打ちする。
「何も奢らねえけど、まだ用があるのか」
「用があるのか、じゃないでしょ。ねえ、ちゃんと考えた? あたしの記憶が戻る手掛かりをどう見つけるか」
そりゃ、約束したことだけど……。
コイツって結構、面倒くさいヤツなんだな。
「そんな簡単に思いつくもんじゃねえし」
すると睨みつけてきた。
「他人のことだと思って、なーんにも考えなかったんでしょ」
図星だ。約束を忘れていたわけではないが、あとで考えてみるつもりだった。
「べっ、別にそんなことはないぞ。いいか、よく聞け。きょう学校に行ってるときだって、お前のことをずっと考えてたんだぞ」
かなり大袈裟に言ってみた。
「あ、あたしのことをずっと考えて?」
急に柚香が赤面する。
「バカ、そんな意味じゃねえ。手掛かりのことだ」
「わ、わかってるからっ」
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